タントリックヒーリング体感#1 8月24日(木)
タントリックヒーリングを受けた。
その体感を、まだ受けたてで感覚が生暖かいままの状態の今、書いてみようと思う。
私がタントリックヒーリングに出会ったのは今年の2月頃。
なぜか性について興味がある時期で、とはいえ、ただ欲求が高まっているとかそういうだけの問題ではなく、なにかよくわからないけど性について純粋に探求してみたいような好奇心にかられた。
そんな折、知り合いから性を使ったヒーリングがあるということを教えてもらった。
男性(女性でも可)が仰向けになった状態の女性の子宮部に手を置き、性のエネルギーを循環させていく。すると、不思議と性感を感じ、体感によってはオーガズムに達することもある。
そして、これはヒーリングである。性のエネルギーというのは感情や記憶がセットになっているという説があるらしく、施術中、昔のトラウマや閉じ込めていたあらゆる感情の解放が起きてきて、涙が出たり、笑いがこぼれてきたり、性感を感じたり、その人に必要な「解放」が起きてくる。
私は一番最初にヒーリングを受けた時、涙と叫びが止まらなかった。外から聞こえたら何が起きているのだと思われそうな叫び声だったが、叫ぶこと、思い切り泣くことをゆるされたその時間の後、家路の道がクリアではっきり、優しい世界に見えたことを覚えている。
その時に出逢った、タントリックヒーリングを学んでいる方がモニターさんを募集しているようで、定期的にヒーリングを受けさせていただいている。
(詳しくタントリックってなあに?と知りたい方は発案者taroさんの紹介ページ→https://profile.ameba.jp/ameba/kikori1361をみてね)
タントリックを受けるのは2ヶ月ぶり。
その間にあらゆる自分の感情が滞っているような感覚がしていて、いつも体が重く何をしていても「私がここにいていいんだろうか」みたいな妙な罪悪感にとらわれていた。
タントリックをずっと受けたかったのだけど金銭面の事情で難しく、ズルズルと時間を伸ばしているうちにこんなに間が空いてしまった。
そこで、私はいつもタントリックを受けさせていただいている方に交渉してみることにした。
タントリックを受けさせていただくかわり、私の体感を文章や表現をすることで、タントリックの存在、興味を持ってくれる人を増やすという手助けをさせていただくというのはどうでしょう?と。
今、私にはお金がない。
その代わり、今持てるもので人から受けたギフトや想いを循環させていく、ということをあらゆる分野において限らずやってみたいと今思っている。だからそのはじめの一歩として、今回はエッセイにしたためてみることにした。
前置きが長くなったが、30分前に受けたての体感である。
最初は、深く呼吸をし意識を集中させていく。
この時から、今日の私はたくさん、たくさん叫びたがっていると感じた。言葉にならない声が溢れてくる。
タントリックの最中、勝手に色んな言葉が口から溢れてくる。と書くとなんだか不審がられそうだけれど、毎回、いつも必要な解放が起きていると感じる。
最初に感じたのはマグマみたいな怒りであった。
言葉では追いつかないようなたくさんの怒り。たくさん放ちたいけれど、言葉に変換するのが追いつかないから段々宇宙語みたいな言葉が出てくる。
日本語にあえて訳すなら、もう嫌、嫌い、諸々放送禁止、放送禁止用語、、みたいな。
たくさんたくさん出したら、「なんでわかってくれないの?」という問いかけがわたしの中から湧いてきた。
私の中のちっちゃな子供、インナーチャイルドからの声であった。
生まれた時からずっと私の中にいて、私を無条件で信じ、愛してくれている存在。私にとって何が一番必要なのか、適しているのか、完璧なタイミングをいつも知っている、ちっちゃなかみさまが私の中にいる。
私はいつも自分に自信がなかった。
何が普通なのかよくわからなくて、自分だけが地上から1cmいつも足が空いているかのような、自分ひとり人間じゃないかのようなさみしさを感じていた。
そのさみしさを埋めようと必死になった。私は他の人が持っているように見える「普通」を手に入れようと、普通っぽい会話、普通っぽい身なりを目指し、失敗しないようにというのを心の癖にしていくうち、インナーチャイルドはがんじからめになって、彼女の声は少しずつ聞こえなくなった。
彼女の声がわからないと私は何が好きで何がしたいのかすら少しずつ見失っていった。人と会話をしていると「自分はこれ楽しい!」ではなく「普通とはなんぞや」ということばかり考えながら話をしていると、妙な気まずさが生まれる。やっぱり私1人宙ぶらりんになる。私は世界から居場所をなくしてしまったような気持ちになっていた。
そうではなく、私が自分で、その子の居場所をなくさせていたのだ。
どうしてわかってくれないの?
いつも私は痛い、哀しい、生きている心地がしない、、、。
ふと彼女の心の中で目が合った。
ずっと待ち続けた母親がやっとこちらを見てくれたかのように、彼女はまっすぐに喜んでくれた。
まるで、とんでもなくダメな母親であるかのようなような恥ずかしさを覚えた。いや、実際にそうなのだと思った。
私を無視することは、1人の子供を無視して虐待していることと同義である。そのことを私は思い知った。
こんなに無視し続けていたのに、彼女は健気に私がこちらを向いてくれるのをいつも待っている。そして、目が合えば誰よりもまっすぐに喜んでくれるのだ。
そんな存在はこの世界に彼女しかいなかった。
彼女が光を取り戻せば、私は私の本音を取り戻せる。
私が取りこぼした「普通」らしきものを手に入れる必要など、はなからなかったのだ。
自分の個性を否定して「普通」を目指そうとすること、それは私が生まれ持っていただいたギフトを否定することである。そしてそれは、私を、私を作り上げたこの世界そのものを否定することである。
ここまで痛めつけないとわからない自分に情けなさを感じたけれども、それと同時に、この世界は私が幸せになるためにできているのだと思った。
世界はきっと愛でできているのだ。そのことを、世界に色を、少しずつ取り戻していこう。この子の手を離さないように、いつも。
そうして、その子と少しだけわかり合えたら、怒りは少しずつ癒やされていった。ふと性感を感じた。ただただその感覚に身を委ねていた。体が動くことも、声が出てくることも抗わずただ現れる感覚に身を委ねていた。愛する人とのかけがえのないまぐわいのような、満たされた気持ちと充実感がそこにはあった。
少しまどろんで、気づけば心地よい眠りの中にいた、、ふとタイマーの音で、私は世界に戻っていった。
怒り、性を感じ、寝る、、なんだか自分が赤ちゃんみたいにただただ出てくるものに身を委ねることに最初は恥ずかしさもあったけど、これだけのエネルギーが私の中にあることを気づかせてくれて、そして解放への手助けをしてくれるタントリックヒーリングは本当にすごい智慧だと思う。
性は生、すべてを生み出す源である。色々な偏見のようなものもあると思うのだけれど、それを優しく解放していくことですべてが解放されていく、私は性は世界を平和にしていく、大げさかもしれないけれど、そのくらいの可能性を秘めているものだと感じている。
性をピュアなもともとの感覚のまま表現していく、ということもこれからやっていきたいな、となんとなく思っている。
あらゆる解放の手助けをしてくれて、自分を取り戻す大きなきっかけをくれるタントリックヒーリング。ご縁のある方には、ぜひ一度体感してみてほしい。
また今度受けたら体感を書きます。
そらかれー