いじめと傍観者
小学校の時、いじめられている同級生がいた(「Bさん」と呼ぶことにする)。身体的ないじめはなかったが、話しかけても無視されたり、苗字で「XXさん」と言わずに「X!」と頭文字だけで吐き捨てるように呼びかけたりされていた。
1学年2クラスの小規模校だったので、クラス替えは3年から4年にあがるときの1回だけだった。4年になったときに彼女と同クラスになった。親しくなったきっかけは今では覚えていないが、多分苗字の並びで続いていたからだと思う。クラス替え直後は苗字の順に席が配置されるものだったし。
それなりに親しくなって、放課後近所の公園で遊んだり、私の家で一緒に宿題をしたりしていた。「一緒に」というのはちょっと違うかもしれない。その頃の私はいわゆる「真面目な子」だったので、帰ったらすぐに宿題やワークを片付けてしまっていた。そのころに彼女が私の家にきて、わたしの答えをノートに書き写していたのだった。だから私が宿題をまだやっていないと「なんで宿題やってないの?」と何故か責められたものだった。「そっちだって私の答え写しているだけじゃない!」と反論できればよかったのだが、なぜかそれができない小心者であった。
最初の頃はそんな感じでそれなりに仲良くしていたが、ある程度時間が経ち席替えやクラブ活動(4年以上は「クラブ活動」の時間があり、何クラブに入るかは4年に上がる時の話題の一つだった)で他の子と話すことが増えるにつれて、「あれ?Bさんってまわりからあまり好かれていない?」と気づくようになった。小学生なんて他のクラスのことは別世界だから、3年までの彼女の立ち位置なんて全く知らなかったのだ。
なぜ彼女がクラスから「無視」といういじめをうけていたのかはわからない。やや色黒だったから?小汚いアパートに住んでいたから?(同じアパートに住んでいた男の子の同級生は普通にあつかわれていたからそれはない)貧乏(学校主催の夏休み合宿に「田舎に帰るから」という理由でいつも欠席していたが、それはおそらく嘘で費用を負担できなかったのが本当の理由だったと思う)だったから?
いじめに理由を探すことなど無意味だが、小心者の私は「もしかしてBさんとはあまり親しくしない方がいいのでは?」と徐々に距離をおくようにして行ったのだった。早い話が「最低」である。
クラスで常に無視されるといういじめが担任にまで伝わったのは5年の2学期以降だったと思う。彼女がときどき欠席するようになったためなのか、親の方から学校に連絡がいったためなのかは不明だが、学級会の時間に担任が結構激怒して全員に反省文というか「どうしてこうなったのか」を書かせたのを覚えている。そして私は「そういう『無視』や『頭文字で呼び捨て』のようないじめがあったのは知っていたが私はそういう側に与していないからOK」のようなどうしようもない文章を提出したのだった。
毎年学年末に生徒の作文と担任の一年間の総括をまとめたような文集が作られ配布されていたが、担任の総括は当然Bさんに対するいじめのはなしであり、なかでも「『自分はいじめに加担していないし中立的な立場にいた』という主張をする人もいますが、それはただの傍観者であり、同じ加害者なのです。残念ながらクラスにはやめさせようとした人はいませんでした」という文はピンポイントに私を指しており、グッサリと刺さったのであった。
担任の一喝とおそらくは保護者会でも報告があったためなのだろう、6年になるとBさんへのそういったいじめはほぼほぼ消えて行った。まぁ、もうすぐ中学生になるという大イベントの方が話題の中心になっていったのも理由の一つかもしれない。
そして1学年5クラスという中学校に1学年2クラスの小集団の約2/3がはいり、その集団の中ではそんなちっぽけないじめ集団はあっというまに消えて行ってしまった。Bさんと私は同じ中学校に進んだものの同クラスになることもなく、新しい友達と普通に親しくしている様子を見かけるとあれは一体なんだったのだろうと思うのだった。
父は保護者会での話から私がいじめに(積極的には)加担していなかったのをひどく喜び、TVでいじめの問題が報道されるたびに「〇〇は小学校でいじめがあったときにそんなのはだめだ、と戦ったんだよな」といつも嬉しそうかつ誇らしそうに言っていた。それを聞くたびに私の心は「そんなんじゃないんだよ。自分はいちばん卑怯な傍観者だったんだよ」とちくちく針で刺されるような思いをするのだった。