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春のカミーノ⑬ ~ビアーナからログローニョへ

ビアーナのホテルの朝食ビュッフェには、卵料理がふんだんに用意されていた。トルティージャはもちろん、目玉焼きにゆで卵にスクランブルエッグ、スペインでは珍しいポーチドエッグまであった。

パラドールとまではいかないが、さすが旧伯爵邸のホテルだ。一瞬ここがスペインの巡礼道であることを忘れた。

「わあ、卵! やった〜!」

Miwakoが大喜びで飛びついた。今朝はパン祭りはお休みで、めったにない卵祭りだ。これで今日の歩きはバッチリだと胸を張っていたが、目的地のログローニョまでは僅か10km。今のMiwakoであれば、卵の力を借りなくても楽勝だろう。

さくらちゃんと私は、今夜の決戦(バルめぐり)に備えて、量は控えめに、でもおいしそうなものはひと通りいただいた。特にゆで卵の半熟加減は、素晴らしかった。

新しい旅の仲間、綺麗系韓国女子のヒーサンは、ヨーグルトにドライフルーツを少々。国籍を問わず、アラサーのお洒落女子は意識が高い。

アラフォーどころか今やアラフィフとなってしまった私には、そのキラキラした感じが眩しかった。

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四羽ガラス連れだって歩きながら、さくらちゃんが「巡礼者の垂訓」を読み上げてくれた。もう7番目まできている。

巡礼者は幸いである。ただあなたが巡礼をするのではなく、巡礼にあなたを変えさせるならば。

私はこれまで3回もカミーノを歩いているのに、さほど代わり映えしない──という残念な結果が出ていた。性格も変わっていないし、人生が激変したわけでもない。見た目だけが、少しずつ年を取っている。

「巡礼に自分を変えさせる」には、一体どうしたらいいのだろう?

巡礼を終えて、人生が大きく変わったという人はたくさんいる。3年前の取材チームのメンバーも然りである。

写真家の井島氏は、日本にいる間もないほど、世界を飛び回るようになっていた。熊野の鳥居さんは、本宮大社境内で荷物搬送の店を開き、英語とスペイン語混じりの和歌山弁で、巡礼者をサポートしていた。

いつも情緒に欠けるひと言で、私のロマンをぶち壊していたアヤちゃんは、以前よりも人あたりが良くなっていた。今では私の元を巣立ち、記者として活躍している。

「まずは目の前のことから、一個ずつ変えていけばいいんじゃない?」

マダムさくらからのお告げだった。なるほどその通りだ。まさに巡礼と同じように一歩一歩、変わっていけばいいのだ。

私は生来せっかちなウサギ型だったが、実は、何事も変わるには時間のかかるタイプなのかもしれなかった。だからこんなに何度も、周りがあきれるほど巡礼を繰り返しているのかもしれない。

まずは、歩くのが遅い幼なじみに舌打ちする癖から、やめてみるのはどうだろう?

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フランスの国境を越えてから長らくお世話になったナバーラ州とも、ついにお別れだ。二日酔いを防ぐパチャランに、土着のナバーラワイン、悪魔の棲む峠、スピリチュアルな町や村の数々よ、アディオス! さよなら……

そして私たちは、ラ・リオハ州に足を踏み入れた。リオハといえば、もちろん赤ワインである。ずんぐりしたキノコのように丈の低いブドウ畑を抜けて、ログローニョには予定通り、昼過ぎに到着した。

ラ・リオハの州都であるログローニョは、世界に名だたるリオハワインの聖地。有名なバル街では、地元民も観光客も巡礼者も、等しくバッカスのしもべとなって飲み明かす──。

ヒーサンとはまた夕方に落ち合う約束をした。私たちは公営のアルベルゲ(巡礼宿)で巡礼手帳にスタンプをもらい、せっかくなので町の見物に出かけた。

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観光名所であるサンティアゴ教会は、ファサードに鎮座するサンティアゴ・マタモーロス(モーロ人=異教徒をやっつける聖ヤコブ)の像が有名だ。白馬に乗って剣を振りかざす、戦うヤコブ様である。

現代では宗教的な問題があって、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂などでは、踏みつけられているモーロ人の部分を花で覆ったりしているが……ここログローニョでは、かなり大っぴらだ。

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教会の中に祀られているエスペランサのマリアは、ログローニョの町の守護聖母。どこか仏像を思わせる、東洋的な雰囲気のマリア様である。

「エスペランサって、どういう意味?」今やすっかり、にわか教会マニアとなったさくらちゃんが尋ねた。

スペイン語で「希望」だと私は答えた。たとえ変化は目に見えなくても、すべてのことには希望があると、聖母は語りかけているようだった。

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カテドラル前の広場には、町の人々が続々と集まってきていた。これからお祭りのパレードが始まるらしい。大人の背丈の倍くらいある大きな人形が、楽隊と共に通りを練り歩く。

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パンプローナでもビアーナでもそうだったが、私たちは今回、町では必ずフィエスタ(祝祭)に出くわすようだ。これはやはり、カミーノに歓迎されているということなのだろうか──。

「オラ! ブエン・カミーノ!」

ひらひらと手を振りながら、久々のベネズエラファミリーが、目の前を横切っていった。とっくに先を行っていると思っていたが、どうやらこの町で連泊したようだ。明日お祭りだってよ、じゃも一泊する? そんなノリだったのかもしれない。

長男夫人のマリアが私のところに走って戻ってきて、囁いた。「あなたに、神の祝福を」そしてみんなと一緒にお祭りの雑踏の中に消えていった。この旅で彼らに会ったのは、それが最後だった。

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パレードが終わって、私とさくらちゃんは大事な夜の部(バルめぐり)に備えて、部屋でシエスタを取ることにした。

Miwakoはカテドラル前の大通りに陣取って、フルートを吹いている。私たちはしばらく聴いていたが、このまま何時間でも演奏は続きそうだったので、先に戻っているねとMiwakoに声をかけた。

またしても置き去りとは、友達としてちょっと薄情に思えるかもしれない。しかし考えようによっては、彼女が自分の音と向き合う時間を邪魔したくない、という気遣いでもあるのだ。

まあ、お昼にバル街で赤ワインを飲んでしまって、やや眠かったというのもあるのだが……

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ホテルに戻る途中、サガスタ通りにあるボタの専門店に立ち寄った。ボタは、水やワインを入れる山羊革の水筒である。色も模様も様々で、お土産として人気が高い。

ここは歴史あるお店で、現在修行中のお嬢さんで五代目になるそうだ。親父さんと顔が似ているので、すぐに親子だとわかる。

写真は3年前の取材時に、井島氏に撮ってもらったもの。父娘にはさまれて、満足そうにボタを手にしているのが、熊野の鳥居さんである。

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自分によく似た美しいお嬢さんが、家業である伝統工芸を継ごうと頑張っている──親父さんはさぞ嬉しいことだろう。

3年前にもいくつか買ったが、全部お土産にしてしまったので、今回は自分のために、アメジスト色のボタを一つ手に入れた。悪酔いを防ぐといわれる石、アメジストにあやかるということで。

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シエスタから目覚めたときには、日はだいぶ傾いていた。大通りに戻ってみると、Miwakoはまだベンチに座ってフルートを吹いている。ここまでは想定内だったが、すこし離れたところで熱心に動画を撮っているのは、ヒーサンだった。

あれから2時間以上、ずっとここで聴いてくれていたのだそうだ。ほら、私たちはいつも聴いてるから……とかなんとか言い訳しながら、かなりバツが悪かった。

「ミワコさん、ほんと素敵です! 感動しました!」

ヒーサンの熱烈な賞賛の言葉に、Miwakoは嬉しそうだった。そういえば私たちは、身近に彼女の音楽があることに慣れ過ぎて、感謝と感動の言葉を忘れていたのではないだろうか?

カミーノで出会った人は、すべからくメッセンジャーだというが、ヒーサンはそのことを知らせるために、私たちの前に現れたのかもしれなかった。

そして──中谷師匠いうところの、ヤコブ様とバッカス様が交代する時間がやってきた。バル街での巡礼女子会のスタートだ。

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5月下旬のログローニョは、夕方になるとかなり冷え込む。街ゆく人たちもダウンを着込んでいる。今夜の1軒目はどこにしようか? 鉄板でジュージュー音を立てる、熱々マッシュルームの店からスタートすることにした。

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ニンニクのきいた熱いオイルが、二段重ねのマッシュルームを伝ってパンにしみていく。これがもう、夢に出てきそうなくらいおいしいのだった。ここはやっぱりビールだ。

2軒目はお待ちかね、リオハワインが並ぶバルへ。韓国女子はお酒が強かった。さくらちゃんと同じくらい、いけるクチだということが判明した。昨夜はアルベルゲの門限があったので、セーブしていたようだ。

ヒーサンは、仕事で和歌山を訪れたこともあるという。熊野古道はまだ歩いていないと聞いて早速、熊野古道女子部に勧誘した。

初めての海外在住部員の誕生である。本日付で女子部のソウル支局が発足し、ヒーサンに支局長をお願いすることにした。

めでたく承諾が得られ、写真はその結成式の模様である。Miwakoが抱えているマグナムボトルは、お店にあった撮影用だが、妙になじんでいる。

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夜はまだまだ続くが、Miwakoは先にホテルに引き上げた。なにしろ明日は、ナヘラまで30km近く歩かなくてはいけない。今回の旅で一番の長い距離である。

「明日の朝、また卵が出るかはわからないから」そう言って、Miwakoはチラリと上目遣いで笑った。朝食に卵料理さえ食べれば、どれだけでも歩けるのだと言わんばかりだった。

三羽残ったカラスたちは、観光客で混み合うラウレル通りから、カテドラルの裏通りに移動した。こちらの方が、さらにローカルな雰囲気である。

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常連らしいOLさん風の女子たちが、恰好よく立ち飲みをしていた。我らが巡礼女子チームも、なかなかサマになっている。

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さくらちゃんとヒーサンは、ずっと昔からの知り合いみたいに飲んでいた。ヒーサンはこのままサンティアゴまで歩き続けるが、私たちの巡礼はあと2日で終わる。

「ヒーサンは、どうしてカミーノに来たの?」と聞いてみた。キラキラした都会女子という雰囲気の彼女は、巡礼なんて地味なことをするタイプには見えなかったからだ。

ワイングラスを目の高さに掲げて揺らしながら、ゆっくりとかみしめるように、ヒーサンは日本語で答えた。

「今年でちょうど40歳になったので、これからどう生きていくか、考える旅がしたかったんです。ヨーロッパには行ったことがなかったので、挑戦の気持ちもありました。私は都会があまり好きではなくて……いろいろ調べているうちに、この道のことを知ったんです」

アラサーではなくアラフォーだったことにびっくりしたが、都会が好きではないというのも意外だった。ヒーサンのシンプルな言葉には静かな熱がこもっていて、それは私たちにまっすぐ伝わってきた。

彼女の人生における大切なセレモニーに、私たちは立ち会っているのだった。「巡礼に自分を変えさせる」ことを、彼女は選択したのだと思った。

「新しいヒーサンに乾杯! サルー!」

さくらちゃんの高らかな音頭で、私たちはグラスを合わせた。ヒーサンが私たちにとってメッセンジャーであるように、私たちもヒーサンにとって、何かを伝える使者なのかもしれなかった。

あと2日で、私たちはその何かを伝えることができるだろうか──。

春のカミーノ⑭ に続く)

さよならバルの街、ログローニョ!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)

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カバー

春のカミーノ⑭ に続く)

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