晩夏のカミーノ② ~美しい世界にて
昨夜はごく上等な赤ワインを一杯だけだったので、二日酔いなんていうこともなく、目覚めは爽やかだった。昔風の大げさなベッドから起き上がろうとして、私は腕の痛みに顔をしかめた。
ビロリア・デ・リオハの宿の朝食は、例によって卵料理こそなかったが、薄切りのハムにチーズに新鮮なフルーツと、女将の心尽くしだった。昨夜は魔女の家だなんて思って、申し訳なかった。
小さく切ってかわいく楊枝に刺したフルーツなど、スペインの巡礼道では、なかなかお目にかかれない。リンゴも洋梨も、どこでもたいてい、ごろりと丸ごと供されるからだ。
ランチョンマットに描かれたにわとりは、ここが聖ドミンゴの息のかかった村であることを思い出させた。私は酉年生まれなので、にわとりのモチーフを見ると、無条件で心が和む。聖ドミンゴと奇蹟のにわとりの加護により、今日も順調に歩けるに違いない。
「今日は、演奏できるといいなあ」
重たい灰色の空を見上げながら、Miwakoが言った。昨日は雨混じりだったので、サックスは背負わずに歩いていたのだ。今朝も怪しい雲行きだったが、楽器ケースに雨除けのカバーをつけての出発となった。
巡礼2日目の今日は、ビジャフランカ・モンテス・デ・オカまでの20.3kmを歩く。昨日に引き続き、起伏のあまりない行程だ。8.3km先のベロラードまで、休まず歩くことにした。
国道に沿って、単調な道がどこまでもだらだらと続く。見えるものといえば枯れ草の平野ばかりで、すっかり飽きてしまった。こんなときに、相棒がいるというのはありがたいものだ。他愛もないおしゃべりをして、気がまぎれるからだ。
と思ったら、Miwakoはいつの間にかスピードを上げて、ずっと先に行ってしまっていた。散々カタツムリ呼ばわりしたけれど、彼女はその気になれば、平らな道では早く歩けるのだった。
どこかで演奏するチャンスに備えて、先を急いだに違いないが、こんななんにもない道で、友を置き去りにするなんて、ずいぶん薄情ではないか? いつもの自分を棚に上げ、私は危うく誓いを破って舌打ちするところだった。
気を取り直して、また歩き始めた。右腕に力が入らず、ストックをぽとりと落としてしまう。今日は朝から何度もそんなことがあった。
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3年前の取材で訪れたときは、このあたりはロケ車で飛ばしてしまったので、ベロラードの町は初めてだった。何より驚いたのは、建物の壁いっぱいに描かれた奇妙なアートだ。なんというか、図案も色彩も日本人にはなかなか思いつかないような、強烈なインパクトである。
こんなアートが、自分の住む家に描いてあったら……私は夜通しうなされてしまうかもしれない。
どこからか、聴き覚えのある音色が響いてきて私はホッとした。
広場の真ん中の、緑に囲まれたベンチでMiwakoがサックスを吹いていた。町はがらんとして、人通りもないのが残念だったが、当の本人は、そんなことは気にせず楽しそうに演奏していた。壁画の中の人物や鳥や花たちに、聴かせているのかもしれなかった。
黒い犬を連れた男の人がふらりとやって来て、唯一の観客となった。気分よくリズムをとりながら聴いてくれている。犬はそのうち勝手にうろうろし出し、しまいには演奏に合いの手を入れるように、しきりに吠えたてた。
「ブラボー、楽しかった! うちの犬も音楽が大好きなんだよ」
男の人はバルで温かいコーヒーを買ってきて、Miwakoに手渡してくれた。黒い犬は主人の傍におとなしく寝そべり、そうなんですというように、しっぽで地面を叩いていた。
もう一人、拍手をしてくれた若い女性がいた。町の観光局に勤めているという、サラさんだ。いまどき女子のサラさんは、早速「日本のミュージシャンが、巡礼でベロラードを訪問!」という写真を、観光局のSNSにアップした。熊野古道との共通巡礼についても紹介してくれた。
「カミーノの中でも、この辺は地味で、車で飛ばされてしまうことも多くて……。でも巡礼の人たちの役に立ちたくて、頑張って発信してるんです」
これまでの私がまさにそうだったので、大変すまない気持ちになった。次回は絶対、この町に泊まろうと心に誓った。
さっきまで、個性的すぎる壁画アートにドン引きしていたくせに、私は今やすっかりベロラード推しだった。もちろん熊野名産の梅干しも、観光局の皆さんに進呈した。
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人間二人と犬一匹の観客だったけれど、町の素敵な舞台で演奏できて、Miwakoは幸せそうだった。サラさんお勧めのローカルなバルで、オムレツとタパスを軽くつまんでから、私たちは再び歩き出した。
5kmほど先のトサントスは、アルベルゲ(巡礼宿)が一軒だけのひなびた集落だった。サーモンピンクに塗られた家があり、私の愛するメキシコの田舎町を思い出した。懐かしさがこみ上げてきた。
昼も夜もなく出版社で忙しく働き、海外旅行にはさっぱり縁のなかった私が、メキシコを初めて訪れたのは34歳のとき。それから次々と、世界の聖地へのトビラが開いていったのだ。
当時は西洋の魔法や占いにまつわる本ばかり作っていたけれど、実際に、摩訶不思議な出来事の洗礼を受けたのは、メキシコでありアメリカのセドナだった。
スペインのカミーノではどうだったか? これで5回目の巡礼になるが、いわゆる「わかりやすい神秘体験」というのは一度もなかった。正直、拍子抜けだったが、その代わり因果応報とか、人生の学びのようなものが、ほぼ毎日くり返し訪れるということに気がついたのだった。
学びをもたらしてくれる存在の筆頭が、Miwakoであるのは間違いなかった。考えてみたら、30年ぶりに再会した幼なじみと、こうして再三カミーノを歩いているというのも十分不思議なことだといえた。
「右腕、動きづらそうだね」とMiwakoが言った。やっぱり気づいていたか、と思った。
ちょうど8月のお盆の頃だった。右腕にかすかな痛みを感じた。それからは坂を転がり落ちるように、痛みはたちまち激しくなった。
病院で処方された痛み止めは全く効かず、かかりつけの中華街の鍼に駆け込んだ。歳の若い先生だが、中医学の名医として知られている。時折、霊的な治療も交えたりして、これまでもいろいろな不調を治してもらっていた。
「これからもっとひどくなるかもしれませんが……大丈夫。治りますから、気を楽にしてください」
先生の表情を見るに、今回も「気の病」の類なのだなと思った。気を楽にと言われても、スペインに発つ日が迫っていた私は、暗澹とした思いだった。
実際、カミーノに来てからも痛みは増す一方だ。腕をかばうので、歩き方も少し変になっていたと思う。ストックもよく取り落としてしまう。
「そのうち治るみたいだから、心配しないでね」と私は言ったが、Miwakoは疑わしそうに眉をひそめていた。
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さらに2km歩いたビジャンビスティーアの村には、大きな一軒家のバルがあった。Casa de los Deseos は、直訳すると「願いの家」である。私の差し当たっての願いは、この腕の痛みが和らいでほしいということだけだった。今日のゴールまではまだ5kmほどあるので、ここで少し休むことにした。
ビールは身体を冷やすし、腕の痛みにも良くない……わかってはいたが、誘惑にあっさり負ける私だった。Miwakoが飲んでいるのは、カミーノ名物、しぼりたてのオレンジジュースだ。5月の春のカミーノで、毎朝パン祭りをしていた彼女とは、まるで別人のストイックさである。
バルの2階はアルベルゲになっているようだった。今日一日の歩きを終えた巡礼者たちがテラス席に陣取り、思い思いにくつろいでいた。
カミーノをもう何十回も歩いているという、カリフォルニアから来た男性と少し話をした。我々がいま歩いているフランス人の道だけでなく、もっと過酷だといわれる北の道や、銀の道、プリミティボの道など、全てのルートを踏破した強者だった。特に北の道は、本当に素晴らしいのだと、彼は熱心に語った。
歳は五十代の半ばくらいだろうか。アスリートというよりは、研究者みたいな雰囲気だった。
「カミーノには魔力があるんだ。すっかり中毒になってしまったよ。同じ道を何度歩いても、そのたびに違うんだから……」
私もMiwakoも大きく頷いた。そのたびに違う学びがあったんだろうなと思った。
「この先は、オカの山越えだから気をつけて。アディオス、ブエン・カミーノ!」
手を振って彼はゆっくりと歩み去っていった。ほんの少し足を引きずっている。巡礼道で痛めたのか、もっと以前からなのかはわからない。
「北の道か……」早くも次の課題を与えられたような気がしていた。Miwakoもたぶん、同じことを考えていたと思う。
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オカの山越えは、中世の昔から巡礼者を苦しめてきた難所である。今日このまま歩くと大変なことになるので、手前のビジャフランカ・モンテス・デ・オカに宿をとっていた。教会を見下ろす丘に立つ、三つ星ホテルと併設のアルベルゲ。私は迷わず三つ星ホテルを選んだ。
なんと言われようと、私は快適な宿をこよなく愛しているのだった。巡礼のスタイルは人それぞれ。どこに泊まり何を食べるかも、人により千差万別だ。
泊まる宿がアルベルゲだろうとホテルだろうと、どうしたって、出会う人には出会うのだということも、これまでのカミーノで学習済みである。
Miwakoは、寝られればどこでもいいと言っていたが、そんなことは口だけだと睨んでいた。春のカミーノで、さくらちゃんとサント・ドミンゴのパラドール(お城や修道院など歴史的建物を改装した、国営の高級ホテル)に泊まったときのはしゃぎぶりを、私はよく覚えていた。
近くには有名な「オカの聖母の礼拝堂」があり、毎年8月15日、聖母マリア被昇天の祝いには、各地から多くの巡礼者が集まるという。この小さな村全体に、宗教的な雰囲気が色濃く漂っているのはそのせいだろうか。
ホテルもどことなく、中世の修道院を思わせる造りだ。部屋にはささやかなバスタブがあったので、私は湯に浸かって右腕のマッサージをした。この痛みはどこからやって来て、私に何を教えているのだろうか、と思った。
夕食は時代がかった大広間の食堂で、メヌー・ペレグリーノ(巡礼者用の定食)をいただいた。前菜・メイン・デザートの三皿のコースに、パンとワインと水がつく。これで12ユーロ程度なので、メヌーは巡礼者の強い味方だ。
私はまた性懲りもなく、前菜に豆のシチューを選んだ。幸い赤インゲン豆ではなくレンズ豆だったので、食べているうちに恐ろしいほど量が増えるということはなかった。メインは鶏肉のオレンジソテー、デザートは定番のプリンにした。
ワインはボトルで供される。たいてい安価なテーブルワインだが、「巡礼者のために」用意されたものだと思うと、格別の味わいだ。今夜のワインは明らかにどぶろく系だったが、調子に乗って飲み過ぎることさえなければ、明日の朝も無事だろう。
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さて、私はMiwakoのために、今宵の演奏の場を求め、広い敷地内を歩き回った。中庭の奥のほうに明かりが見えた。がっしりとした木の扉の向こうは、山小屋風のバルだった。閉店の時間が迫っていたが、支配人は快く演奏をOKしてくれた。
品のいい年配のファミリーが、テーブル席でワインを飲んでいる。「村には飲むところがないから、気晴らしにときどき家族で来るのよ」と奥さんがウインクした。
では、さらなる気晴らしを……とMiwakoがサックスを取り出し、大いに盛り上がった。私たちのほかに、巡礼者の姿はなかった。明日のオカの山越えに備えて、みんな早寝してしまったのかもしれない。
壁にずらりと並んだ剥製の鹿たちが、こちらをじっと見ていた。彼らが音楽好きかどうかは、わからなかった。
アンコールに応えて演奏したのは “What A Wonderful World” だ。敬虔なこの村の人々に交じって、私も聴き入った。このうえなく素晴らしい世界が、確かにここにあった。
Miwakoが部屋に引き上げた後も、私はしばらくカウンターでぼんやりしていた。支配人が、ショットグラスに黄色いハーブのリキュールを注いでくれた。薬草の強い香りがした。
ふと気づくと、私と同じくらいの背格好の女性が、カウンターの右端に座っていた。美しい人だった。黒っぽい長い髪を一つに束ね、銀色の星をかたどったピアスが揺れていた。なんとなく見覚えがあるのは、カミーノのどこかですれ違ったのかもしれない。「巡礼者の方ですか?」と話しかけてみた。
微笑んで彼女は頷いた。コロンビアのメデジンから来たのだという。中南米ではメキシコ、ベネズエラ、ブラジル、そしてコロンビアからの巡礼者も多い。はるばる海を渡って……と思うが、それは私たちも全く同じなのだった。
「こんなに美しくて素晴らしい世界にいるのに、悲しんでいるのですね」
マルタと名乗ったその女性は、私の右腕にそっと触れて、ささやくように言った。私は目を大きく見開いた。
急に泣きたいような気持ちに襲われたけれど、涙は全然出てこなくて、私はただ星の形をしたピアスが揺れるのを見つめていたのだった。
(晩夏のカミーノ③ に続く)
Miwakoを囲んで、音楽好きな支配人そして地元の皆さま、グラシアス!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
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◆新装版が発売されました!
『スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』(髙森玲子著 実業之日本社刊)
(晩夏のカミーノ③ に続く)