春のカミーノ⑭ ~ログローニョからナヘラへ
古来「星の道」と呼ばれるカミーノで出会い、ともに歩いた人というのは、自分の鏡であり、先生であり、メッセンジャーであり……もしかしたら前世でも、少なくとも知り合いだったかもしれない。
私たちは今回、最初から三人連れだったし、アルベルゲ(巡礼宿)にも泊まらないので、そういった出会いにはあまり縁がなさそうで残念に思っていた。しかしカミーノというのは、私たちに罠もかけるが、出会いについても抜かりはなかった。
奇遇にも私の著書を読んでくれていた市川青年と元商社マンのNさん、俊足の韓国女子二人組、陽気なベネズエラファミリー、ドイツの有閑マダムハイカさん……。そして、ソウルから来たヒーサンは、この旅で最も多くの時を一緒に過ごした友だった。
旅の始まり、サン=ジャン=ピエ=ド=ポーの通りで、Miwakoが演奏していなかったら、ヒーサンとは出会わなかったかもしれない。そして旅の後半、私とバルで隣り合わせて再会し、バッカスの末裔さくらちゃんの引力で、夜毎の女子会が繰り広げられることにもなったのだ。
カミーノというのは、なんと緻密で用意周到なことか!
ヒーサンはこのままサンティアゴまで歩き続けるが、私たちの巡礼はあと2日で終わる。一緒に歩けるのも、一緒にワインを飲めるのもあと2日だ。
一見、巡礼には縁のなさそうな都会女子ヒーサンだったが、これからの人生について考えるストイックな旅をしていた。もちろん、泊まる宿はアルベルゲだ。そんな彼女の邪魔をしてはいけない……と私は思いをめぐらせていたが、さくらちゃんのひと言で、あっさりくつがえされた。
「ヒーサン、今日も私たちと一緒に泊まろうよ! アパルトメントホテルだから、もう一人くらい大丈夫だよ!」
確かに今夜の宿は、3ベッドルームにリビング付きという広さだった。それで部屋代は一泊100ユーロ。キッチンに洗濯機なども付いているので、アパートタイプのホテルは巡礼者の強い味方だ。
しかし、2日も続けてアルベルゲに泊まらないというのは、ヒーサン的にどうなんだろう? 私は心配だったが、彼女はニコッと微笑んでくれたので、それで話は決まった。私は宿のオーナーに電話して、リビングのソファベッドに、リネン類を用意してもらうことになった。
今日の行程は、ログローニョからナヘラまでの28.3km。比較的平坦とはいえ、いつもより長時間、歩き続けることになる。この先、まだまだ長く過酷な旅が続くヒーサンに、個室でゆっくり休んでもらえるのは、私たちにとっても嬉しいことだった。
「女の子は楽しまなくっちゃ! ですよね?」
ヒーサンがピースサインしながら、さくらちゃんの口癖をマネしたので、私は思わず笑ってしまった。
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ログローニョの町を出て4kmほど歩くと、グラヘラの自然公園に入る。緑に溢れ、雑木林や大きな池もあったりして、ちょっと日本の公園みたいな感じだ。上り坂が続いたので、Miwakoは少しつらそうだった。時折、小雨もパラつき始めた。
歩くのが速いヒーサンには先に行ってもらって、私とさくらちゃんは、Miwakoに合わせてゆっくり歩くことにした。今日は距離が長いうえに、道筋もやや複雑だったので、Miwakoを置き去りにするわけにはいかなかった。彼女はなにしろ、道に迷うことにかけては天才なのだ。
池のほとりで、家族連れの巡礼者に声をかけられ、写真を撮ってあげた。スペイン風に「はい、パタータ!」と言ってみた。パタータ(Patata)は、スペイン語でジャガイモだ。これで笑顔をつくるのは、なかなか難しいように思うのだが、まあ、チーズも似たり寄ったりだ。
アメリカからやって来た、40代くらいの夫婦に小学生の女の子2人。子供たちの夏休みのたびに、少しずつ歩いているのだという。「アメリカから何度も来てるなんて、すごい!」とMiwakoは感心していたが、考えてみたら、私たちも同じようなものだ。
サンティアゴまでの約800km、一気に歩き通すことに、ずっとこだわってきたけれど……人それぞれ、いろいろなスタイルがあるのだと私は思うようになっていた。流れている時間も、きっと人それぞれ違うのだ。そのことを、私はカタツムリなMiwakoから学んだのだった。
今回歩く日数が、正味11日間となったのも、Miwakoとさくらちゃんの予定に合わせてのことだった。とくにMiwakoは、いつもライブの予定がびっしり入っていたので、こんなに長く休暇をとるのは初めてだと言っていた。
「あと2日で終わりなんて、寂しい~!」ストックを持ったままバンザイするみたいな恰好をして、さくらちゃんが叫んだ。
私もまったく同感だった。しかし足にマメこそ出来ていなかったが、地獄のぺルドン峠以来、足首の痛みは危険水域に達したままだった。悔しいけれど、この先さらに600km歩くというのは、どのみち無理だったと認めざるを得ない。
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途中のナバレッテは、記憶の底に沈んで忘れ去られたような、ひっそりとした町だった。巡礼者たちの姿も見えない。私たちがゆっくり歩いている間に、みんなどんどん先へ行ってしまったのだ。
教会の外観も地味だったが、しかし中に入ると、あまりの絢爛豪華さに息を呑んだ。こんな田舎に……というと大変失礼だが、中世の時代には、驚くほどの財が集まっていたに違いない。
今回の旅で、にわか教会マニアとなったさくらちゃんは、例によってじっくりと見学していた。特に、幼な子イエスをひざに乗せた、ふくよかなマリア様の前では、ずいぶん長いこと佇んでいた。
イケイケマダムのさくらちゃんは、こう見えて三児の母でもある。子供たちを置いて自由に旅行するのは、実に25年ぶりだと言っていたが……教会で聖母子像を目にするたび、母性が共鳴し合うのだろうか。
そして彼女は、面白いものを発見した。
小さな付箋に、名前と祈りの言葉を書いて、世界地図の自分の出身地に貼り付けるのである。
「すごいよね~。世界中から、巡礼に来てるなんて!」
さくらちゃんは、自分もその一人だという実感がないという。ゴールのサンティアゴまで全部歩いたら、実感湧くのかなあ? そう言って、ヨーロッパ地図の上のカミーノを指で何度もなぞっていた。
それは、まるで何かのおまじないのようだった。巡礼の知識ほぼゼロで、思いきり楽しむためだけにやって来たさくらちゃんだったが──またこの道に呼ばれ、戻ってくることになるのかもしれない。
私とMiwakoもあやかりたくて、いそいそと付箋を貼りつけ、さくらちゃんと同じ仕草を繰り返したのだった。
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巡礼者用の地図に記されたカフェマークには、これまで散々だまされ、痛い目に遭ってきた。しかし、この一見地味な町には、マークの数以上のバルがあるのだった。古い家屋をリノベーションした、いわゆる古民家バルである。
ここも新しくオープンしたらしい。女将さんは気さくだし、居心地のいいバルだ。地元のおじさんたちが、のんびりビールを飲んでいる。
フランス風オムレツ、というのがメニューにあったので頼んでみたら、こんな感じ。見た目はともかく、味はまぎれもなくスペイン風だった。
スペインのランチタイムには少し早かったが、今日はここで食べておかないと。なにしろ目的地のナヘラに着くまで、17kmずっと村もバルもないのだ。
Miwakoは、生ハムをはさんだボカディージョ(スペイン風バケットサンド)にかぶりつきながら、私のオムレツをチラチラ見ていた。さくらちゃんは、昨日飲み過ぎたからと言って、食べ物はパスして、しかしなぜか生ビールを頼んでいた。このてんでバラバラ、自由な感じがまさにカミーノだった。
私はこれまでずっと、Miwakoにダイエットするよう口うるさく言ってきたが、カミーノを歩いているうちに、彼女のパン祭りも卵祭りも、許せる気分になっていた。謎のフランス風オムレツを、私は気前よくMiwakoと分かち合ったのだった。
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卵料理の神通力だろうか? Miwakoはこれまでになく速く歩いてくれて、ナヘラの数キロ手前、サン・アントン峠でヒーサンと合流できた。ここからは三羽ガラス・プラスワンで連れ立って、一路ナヘラの町をめざすのだ。
右も左も、見渡す限りブドウ畑で、さくらちゃんがほくそ笑んでいるのが、見なくてもわかった。今夜もまた、リオハワインの宴となるのは間違いない。
「レイコさんは、どうして作家になったんですか?」
ふいに訊かれてドキッとした。本好きだというヒーサンの表情は真剣で、軽い世間話ではなさそうだった。「どうして」というのは、WhyとHowの両方だという。
これまで自分の中で、曖昧にしていた核心部分に、スパッと切り込まれたような気がした──。
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そもそも3年前、最初のスペイン本を出版するとき、私は著者ではなく「監修者」のはずだった。「著者で、いいんじゃないですか?」と言ったのは、いつも冷静かつ現実的なアシスタントのアヤちゃんで、版元の担当編集者もあっさり同意した。
それまでずっと、会社員であり編集者だった私は、自分でもおかしいくらいビクビクしてしまった。本なんて、100冊以上作ってきたはずなのに……自分の名前が表紙に印刷されるというのは、また全く別な話だった。調子に乗ってる、とか、生意気だとか思われないだろうか?
「そんなこと、誰も思いませんよ」とアヤちゃんはめんどくさそうに言い、実際その通りだった。
本が出てすぐ、和歌山の新聞社でインタビューを受けた。「肩書はどうしますか?」と訊かれて、私は口ごもった。プロデューサーとか聖地研究家といった言葉が浮かんだが、私が名乗ると、どれもなんだか怪しい。
「和歌山のことも書いてらっしゃるので、紀州の紀にちなんで、紀行作家でいきましょうか」
ベテラン記者さんの鶴の一声で、私は「紀行作家」となった。いつかは作家と名乗れるよう精進したいと、心ひそかに誓っていたのに……あっという間に名づけられてしまったのだ。
次の本が出たとき、今度は、ある雑誌に寄稿することになった。編集長のN氏は古い友人だったが、「肩書は作家でいいですよね?」とさらっと言った。これから旅のことばかり書いていく訳じゃないですから、と。以来、紀行作家ではなく、ただ「作家」と名乗ることになった。
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長く勤めていた出版社で、最初に配属されたのが文芸の編集部だった。今でも作家イコール「小説家」だとイメージしてしまう。私が作家を名乗るのは、ちょっとおこがましい……という意識がずっとあった。
後日、N氏にそのことを打ち明けると、彼はアハハと笑って、「小説でもエッセイでも、なんでも書いたらいいじゃないですか」と言ったのだった。時代は変わっているし、作家という言葉には、無限の可能性がありますよ、とも。
まあ、そんなわらしべ長者みたいな成り行きで、私は次々に名づけられ、作家になったのだった。作家という肩書で文章を書き、講演をしたり、たまにメディアに出たりもしたが、未だ小説もエッセイも書いてはいない。ヒーサンは、ガッカリしただろうか?
「周りが名づけてくれたということは……この世界に求められて作家になった、ということではないですか?」
立ち止まって、私の顔をまっすぐ見つめながらヒーサンは言った。その口調は、どこかアヤちゃんに似ていて、私は再びドキッとした。
本好きだけあって、ヒーサンの発するコメントは鋭い。確かに、成り行きというのは、決していい加減なものではなく、「成って、ゆく」ということなのだから……
何かをしたい・なりたいと思ったとき、それがこの世界に求められていることならば、必ず不思議な力が働くものだ。
私に質問をしてきたということは、ヒーサンは作家をめざしているのだろうか? だとしたら、ヒーサンは私であり、私はヒーサンなのだった。
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終わりがないかと思われた道の彼方に、「赤い町」と呼ばれるナヘラの旧市街が見えてきた。町並みに迫るように、赤土色の岩山が連なっている様は、懐かしいアメリカの聖地セドナを思わせた。
編集者ではなく著者になろうと、私が心に決めるきっかけとなったのは、15年前のセドナで体験した出来事だった。そのことをヒーサンに伝えると、彼女はひどく驚いた顔をした。
「セドナ! 何年か前に行きました!」
やはりヒーサンは私だった。ちょうど10年前の、私だ。彼女はカミーノで出会った私の分身であり鏡であり、希望なのだった。
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ナヘラの歴史は古く、ローマ時代より前に遡る。この山の狭間の土地をめぐって、時の権力者たちが激しく争ってきたのだ。
旧市街は迷路のようで、どこかエキゾチックな風情を漂わせていた。町の中心にそびえる修道院には、謎に包まれたビザンチン様式のマリア像が祀られているそうだが、扉は閉ざされ、見ることはできなかった。
ピレネー山中のあの因縁のマリア像をはじめ、カミーノには実に多くのマリア様や、マリアを祀る教会が存在する。聖ヤコブがカミーノの外向きの顔であるなら、マリアは内向きの顔。私たち巡礼者を常に支え、抱きとめてくれているように思える。聖ヤコブのシンボル、ホタテ貝も、考えてみたら母性の象徴ではないか。
修道院をのぞむ広場に沿って、バルやカフェが立ち並び、その外側を赤い岩山が取り巻いている。町全体が、まるで大きなシェルターのようであり、子宮の中にいるようでもあった。
私たちは温かいカフェ・コン・レチェを飲みながら、日記をつけたり、行き交う人々を眺めたり、思い思いの時間を過ごした。
今日の行程を歩き切れるかと心配していたMiwakoが、なぜか一番元気だった。歩くコツをだんだんつかんできたのだと、得意げだ。もう明日で歩き納めなのに、まったく……と私は舌打ちしかけて、ハッとした。舌打ちはやめると、昨日誓ったばかりだった。
さくらちゃんが、すかさず「巡礼者の垂訓」を手渡してくれた。8番目の文言は、さっきのヒーサンの言葉に重なった。
巡礼者は幸いである。道々、真の自分に出会い、立ち止まり、見つめ、聴き、自分の心を大切にすることを知るならば。
「自分の心を大切にする」ということ、私はこれまで、忘れがちだったかもしれない。人がどう思うかばかり気にしたり、自分がどう見えるかに一喜一憂したり……そんなふうに、人生の日々の大半を過ごしてしまったような気がする──。
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私たちのカミーノは、明日が最終日。それはつまり、みんなで飲めるのはあと二晩ということだ。「今夜も飲むぞ~、リオハワイン!」寂しさを吹き飛ばすように、さくらちゃんが宣言した。
Miwakoはいつものように楽器を背負い、気合十分だ。熱いシャワーと脚のセルフマッサージでよみがえったヒーサンも、ニコニコして楽しそうだった。
おいしいと評判の、リオハの郷土料理の店に向かいながら、私は少し浮かない顔をしていたようだ。さくらちゃんがすっと寄ってきて、肩に手を置き、優しく励ましてくれた。
「ワイン飲んで、お肉食べたら、元気になるよ! 扉の向こうには、いつも楽しいことが待ってるんだから」
本当にその通りだ。
立ち止まって、心を見つめたあとは、また前に進んで扉を開ける……なかなか変われない私だけれど、その繰り返しを、存分に楽しもうと決めた。きっとそれが巡礼の、人生の醍醐味なのだ。
レストランの扉を開けると、先客がいた。移動販売カフェでMiwakoの演奏を聴いてくれた、アイルランドのお達者チームだった。喜びの声と拍手が湧き起こった。
心得たとばかりに、Miwakoがアルトサックスとフルートを取り出した。人生を楽しむ大先輩たちとともに、とびきり楽しい夜がまた始まろうとしていた──。
(春のカミーノ⑮ 最終話 に続く)
Miwakoがアイルランド民謡を演奏し、みんなで歌って大盛り上がり!
そして、次はいよいよ最終回。
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
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『スペイン サンティアゴ巡礼の道 聖地をめざす旅』(髙森玲子著 実業之日本社刊)
(春のカミーノ⑮ 最終話 に続く)