晩夏のカミーノ① ~再び星の道へ
夜のマドリッド・バラハス空港は、思いのほかひと気がなく、息を潜めたように静かだった。どこか別の星に、間違って降り立ってしまったのだろうか? 熊野名産の皆地笠に、カメラを向けてくる観光客の姿もない。私もMiwakoも言葉少なく、足早にタクシー乗り場に向かった。
三羽ガラスで歩いた春のカミーノから、ちょうど3カ月──2019年の夏の終わりのことである。
Miwakoが無口なのは、初めてのルフトハンザ航空のフライトで、ドイツビールをしこたま飲んで眠かったせいだろう。機内食もソーセージなどビールに合うつまみばかりで、居酒屋ルフトハンザだとはしゃいでいた。
私がめずらしく無口なのには、いくつか理由があったが、Miwakoに打ち明けてはいなかった。幸い彼女は、詮索好きではない。生粋のアーティストらしく、他人のことはあまり気にしないタイプでもある。
春のカミーノでの盟友、さくらちゃんは、上のお嬢さんが結婚することになり、今回は残念ながら欠席だ。考えてみたら、Miwakoと二人だけでカミーノを歩くというのは、これが初めてだった。それはそれで、かなりの不安要素といえた。
Miwakoはいつものように、5キロの重さのアルトサックスを背負い、もちろんフルートもスーツケースの中だった。30年ぶりに再会した幼なじみであり、優れた音楽家であるMiwakoは、人柄も素晴らしく尊敬すべき人物であったが……
ハッと気がつくと、Miwakoの姿がない。「足早に」歩いていたのは、私だけだったのだ。慌てて振り向いて探した。空港ロビーの遠く彼方に、すり足でゆっくりゆっくり歩いている姿が見えた。カミーノでも空港でも、彼女のカタツムリ歩行は健在だった。
「ミワコさーん、少し急いでくださーい」
気づいたMiwakoは手を振って応え、小走りになった……はずだが、速度はほとんど変わっていない。私はあきらめて、ベンチに腰を下ろして待つことにした。
スペインのカタツムリも驚くほどの、Miwakoのゆっくりモードは相変わらずだった。今回はさくらちゃんもいないので逃げ場はないが、決して舌打ちはするまいと、私は自分を戒めた。春のカミーノで数々のしっぺ返しを食らい、さすがに懲りていたのだ。
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今回の巡礼は5月の続きである。サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダから、イテロ・デ・ラ・ベガまでの138.7kmを7日間かけて歩く。
本音をいえば、もう少し長く歩きたかったけれど、Miwakoは連日ライブのスケジュールが詰まっていて、これが休める目一杯だった。それでも何としても全800kmを踏破したいという彼女のために、私は「四分割巡礼」を計画したのだった。
一気に歩き通すより時間もお金もかかるが、これはもう人助けというか、乗りかかった船というか、私のミッションのようなものだった。古来「星の道」といわれるカミーノを歩くと、次は誰かを案内する番になるというのは、パウロ・コエーリョの時代から変わっていないのだ。
次は12月にレオンまでの128.7kmを歩き、最後は3月から4月にかけて、残りの310kmを歩いて、聖地サンティアゴにゴールする。この挑戦を、翌年行われる東京オリンピックにちなんで、私は「みわリンピック」と名づけていた。
オリンピック級にムチャで無謀な挑戦という意味合いのネーミングだったのに、Miwakoはとても素敵だと喜んでくれた。彼女の純粋さは、世俗にまみれた私を、いつも申し訳ない気持ちにさせるのだった。
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タクシーに乗り込み、マドリッドの北の玄関口であるチャマルティン駅へ。東京でいうと、上野駅といったところか。駅の向かいのホテルに泊まり、明日の朝8時の特急列車で、まずはブルゴスに向かう。
巡礼であろうとなかろうと、贅沢で快適な宿を愛する私が、やむを得ず立地だけで選んだホテルだった。カタツムリなMiwakoを急かしても無駄なので、万が一にも列車に乗り遅れたら大変だからだ。
とりたてて面白みのない、カジュアルなシティホテルで、部屋の内装もシンプルだったが……壁の鏡に書かれた言葉に、二人とも思わず笑顔になった。
BIENVENIDOS A MADORID(マドリッドへようこそ)──誰かの落書きみたいな手書きメッセージに、ニコちゃんマーク。
腰かけ程度に立ち寄ったマドリッドに、こんな歓迎をしてもらって恐縮……だったけれど、このところ沈みがちだった気分に、光が差した気がした。ワクワクする気持ちもよみがえってきた。また新しい冒険が、明日から始まるのだ。
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幸い、列車に乗り遅れることもなく、予定通り10時26分にブルゴス駅に到着。
3カ月前、三羽ガラスでワインを飲んだカフェを横目に見ながら、タクシーに乗り込み、サント・ドミンゴの町をめざした。
徒歩で3日、車では1時間余りの道のりを、東へと戻る形になる。途中、今夜の宿であるビロリア・デ・リオハのオスタルに立ち寄り、スーツケースを下ろした。
大柄でいかつい感じの女将が出てきて、この辺にはレストランがないが、ここで夕食を食べるか?と聞いてきた。もちろん食べると答えると、彼女はにこりともせずに頷き、「雨になるから、レインコートを着ていきなさい。ブエン・カミーノ!」と送り出してくれたのだった。
サント・ドミンゴのカテドラル前から歩き始めたのが、ちょうどお昼の12時。スタート時間が遅いので、今日の行程は14.1kmと短めにした。
スペインの日の入りは、5月に比べるとやや早まってはいるが、それでも夜の8時半頃である。明るいうちに、余裕で到着できるはず──いやいや、油断は禁物だ。思ってもみないことが起こるのがカミーノであり、Miwakoとの旅なのだから。
青々としていた小麦畑は刈り取られ、枯れ草の大地が広がっている。女将の言った通り、雨がポツポツと落ちてきた。他に巡礼者の姿もなく、うら寂しい気持ちになるが、Miwakoは元気いっぱいだった。久しぶりにカミーノを歩けるのが、嬉しくてたまらないのだ。手にしているのは、あれからまた新しく買った赤いストックである。
5月に出会った市川青年も、韓国女子のヒーサンも、無事にサンティアゴまで到達していた。彼らがたどった道を、秋の色に姿を変えてはいるが同じ道を、私たちはいま歩いているのだった。
ほぼ平坦な一本道を6.7km、順調に歩き、グラニョンの村に着いた。午後2時、ちょうどスペインのランチタイムだ。看板にト音記号と音符をあしらった、モダンなバルに入ることにした。
ギターやキーボードが、片隅に無造作に置かれている。どうやら夜はライブもやっているらしい。Miwakoの顔がほころんだ。空間に残る生の音楽の気配が、彼女を居心地良くさせているようだった。
お隣のテーブルでは、スペイン人らしき巡礼者グループが、赤ワインのボトルを開けていた。やたらおいしそうに飲んでいる。
このたびのカミーノでの、記念すべき一食目だ。チーズ入りのオムレツと、奮発して生ハムも一皿注文した。Miwakoはいつものようにコーラだったが、私は少し迷って、白ワインを頼むことにした。
「白ワインですって? なぜ白? どうして赤を飲まないの?」バルのおねえさんが目を丸くして私を見つめ、信じられないという仕草をした。
そうだ、ここはまだラ・リオハ州だった。私は長い物には巻かれ、郷に従う日本人である。「いや、ええと、赤を」と言うと、彼女はにっこりし、電光石火の如く赤のグラスが運ばれてきた。
確かに、とびきりおいしいリオハの赤だった。生ハムとの相性も抜群だ。「私も飲もうかな」とMiwakoが言って、二人でささやかな乾杯をした。歩き途中のバルで、彼女がワインを飲むのは、たぶんこれが初めてだった。
Miwakoが最初にカミーノを歩いたのは、昨年(2018年)9月、サリアからのラスト100kmである。巡礼ドキュメンタリー動画の制作のために、熊野古道女子部の仲間たちと共に歩いた。ゴールのサンティアゴで催されたセレモニーでは、着物姿でサックスを演奏し、喝采を浴びた。
全部歩き終わるまで、Miwakoは昼夜問わず、決してワインを口にしなかった。それだけ緊張していたし、みんなに迷惑かけてはいけないと思っていたのだそうだ。今年の春のカミーノでも、彼女が巡礼中にお酒を飲んだのは夜だけだった。
大げさなようだが、隔世の感があるとはこのことだ。こんなふうに昼間からリラックスしてワインを飲むMiwakoを見ていると、私の心もほわっとほぐれていく気がした。
「カミーノを最初から最後まで全部歩いて、たくさん曲を作る」とMiwakoは心に決めていた。もうすでに、何曲かは出来ているのだという。音楽に縁のあるバルに、こうして真っ先に立ち寄ったのも、彼女にとって幸運の前触れに違いなかった。
私自身はというと、春にオリソンの山小屋で誓った「カミーノを歩いて、また新しい本を書く」という言葉は、すっかり脇に追いやられていた。どうせ毎日歩くのに精一杯で、日記をつける暇なんてありはしないのだ。今回はとにかく、Miwakoのサポートに徹しようと決めていた。
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グラニョンから2kmほどで、リオハの州境に至る。出迎えてくれたのは、地の果てまで一面に広がる、枯れたひまわり畑だった。人の背丈ほどの高さの、数千いや数万はあろうかという群生だ。
夏の盛りには、強烈な色彩でこちらを圧倒してきたであろう彼らも、今は色褪せて首を垂れ、それでも気丈に真っすぐ立っていた。いのちを失ってはいない証拠に、日のある方角にそろって黒い顔を向けている。死者を悼む葬列のようだと思い、2カ月前に亡くなった友のことをぼんやり考えた。
「ひまわりの、視線を感じるね」あとから追いついてきたMiwakoが、上着の襟をかき合わせながら呟いた。
ここからは、カスティージャ・イ・レオン州。遮るもののない、荒涼としたメセタの大地が続くことで知られる。夏の巡礼は日に炙られて地獄だというが、季節は秋に向かっているので恐れることはない。この先ブルゴスまでの間には、樹木の茂る森だってある。
「もちろん、ワインもあるよね?」とさくらちゃんなら言っただろう。
さらに6kmほど歩くと、ビロリア・デ・リオハの村が見えてくる。巡礼者のために道普請をしたという聖ドミンゴは、1019年にここで生まれたという。そういう意味では聖地と呼べるのかもしれないが、まあ、見たところ普通の田舎の村である。
村はごく普通だったけれど、今夜の私たちの宿はかなり個性的だった。壁を黄色く塗った邸宅で、昔風のだだっ広い寝室には、古めかしい調度品の数々。由緒ありげな肖像画がこちらを睥睨している。女将は相変わらずにこりともせず威圧感があったが、彼女のこしらえる夕食は、手が込んでいてすこぶる美味だった。
「この野菜も果物も、ぜんぶ私が育てたのよ。たくさん食べなさい」
ダイニングにいるのは私たち二人だけで、グリム童話の魔女の家に招かれたような気分だった。ひと気のない空港に、昼間の異様なひまわり畑といい、少し時空がずれた世界に来てしまったのだろうか……
「なんだか、ずっと元気がないね。大丈夫?」Miwakoの声で、我にかえった。
そんなことないよ、と笑って返しながら、私は内心ドキリとしていた。楽器を手にしていないときは、いつもぼーっとしているようなMiwakoだったが、時折みせる鋭さは、やはりアーティストらしい勘なのか。それとも幼なじみの嗅覚だったろうか。
今このタイミングで私がカミーノを歩いているのには、もちろん意味があるはずだ。Miwakoのスケジュールに合わせて決めた日程だったし、彼女のために私はここにいるのだと思っていたけれど、違うのかもしれない。
そんなふうにして、たった7日間の巡礼の旅の、第1日目が終わったのだった。
(晩夏のカミーノ② に続く)
翌朝の記念撮影で、やっと少し笑ってくれた女将!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
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(晩夏のカミーノ② に続く)