春のカミーノ⑩ ~プエンテ・ラ・レイナからエステージャへ
毎度のことながら、私たちはまた飲み過ぎてしまった。締めにナバーラ名産のコケモモ酒、パチャランを飲めば二日酔いしないと信じているのだが、そろそろパチャランからも苦情が来そうだった。
プエンテ・ラ・レイナ旧市街のワインバーGanbaraは、カミーノで見つけた小さな宝石だった。気のいいオーナー夫妻とお嬢さんに、また会いたいと思う。
巡礼の旅も6日目。地図に載っている高低図を見る限り、今日のルートはこれまでに比べて、なだらかで楽勝に思えた。この先5kmのマニュエルの村で朝食をとることにして、宿を発った。
有名なナバーラ王妃の橋を渡る、Miwakoとさくらちゃんの顔は晴れやかだった。橋はあの世とこの世を繋ぐ存在だというが、この先に広がる世界には、いいことばかりが待っている気がした。
数日前に氾濫して、私たちをあんなに怖がらせたアルガ川は、今はゆるりと平和に流れていた。そういえば『星の巡礼』で、パウロが内なる悪魔に出会うのはこの川べりなのだが、昨日のぺルドン峠に引き続き、今日も悪魔は休暇中のようだった。
川に沿ってしばらく歩いてから、再び丘陵地帯に入る。ここからは、少し上り坂が続く。Miwakoの歩みがまた急に遅くなった。
よかったら先に行ってほしいと、すまなそうな顔でMiwakoが言った。今日は楽器を背負っていて、歩くのが遅いからと。(断っておくが、楽器を背負っていてもいなくても、Miwakoの歩く遅さはほとんど変わらない)
三羽ガラス揃って歩こうと、昨日誓ったばかりだったが……確かに、巡礼の旅には、それぞれの気分やペースというものがある。
チームウサギである私とさくらちゃんは、この先の村のどこかで落ち合うことにして、Miwakoに手を振った。
友を再び置き去りにするようで気が咎めたが、「ミワコさん、きっと作曲したいんだよ」とさくらちゃんが言ったので、少し罪悪感が薄れた。
あきれるほど日陰のまったくない道だったが、春の花は可憐で美しく、心癒された。さくらちゃんはときどき深呼吸しながら、花の香りを嗅いでいた。
バッカスの申し子であるイケイケマダムのさくらちゃんは、三人の子の母でもあった。一番下の娘さんが大学に入るまでは、家族旅行以外、泊りがけの旅は封印してきたという。さくらちゃんにとって今回のスペイン巡礼は、25年ぶりの冒険の旅なのだ。
さくらちゃんの旦那様に私は、「奥様のことはお任せあれ!」と自信たっぷりに言ったが、面倒をみてもらっているのは私のほうかもしれなかった。
実際、さくらちゃんは誰よりも朝早く目覚めて、お茶を淹れてくれたりするのだった。疲れ切ってたどり着いたパンプローナの宿では、私とMiwakoのためにバスタブにお湯を張ってくれたこともあった。
別に無理しているわけじゃない、自然に体が動くのだと彼女は言っていた。
私は一度も結婚したことがなく、子供もいなかった。人にはそれぞれの人生があり、役割があるとわかってはいたが、さくらちゃんを見ていると、足元をぐらぐら揺さぶられるような気がするのだった。
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マニュエルの村の入口には、鄙びた雑貨屋兼パン屋があった。私もさくらちゃんも、かなりお腹が空いていたが、もうちょっと他に何かあるだろうと先へ進んだ。入り組んだ迷宮のような路地の階段を、上ったり下ったり。結局、何もないまま、村の出口まで来てしまった。
これはかなりの誤算だった。次のシラウキまでは3km近くある。今さらパン屋まで戻る気力もなく、私たちはとりあえず道端に腰を下ろして、水をひと口飲んだ。絶望的なほどに強い日差しが、容赦なく照りつけてくる。
そこに通りかかったのが、ドイツ人マダムのハイカさんだ。相変わらず、黒づくめの独特なファッションだったが、彼女の周りにはいつも涼しげな空気が漂っていた。
「マジパン食べる? 元気になるわよ」と、紙にくるんだ飴のようなお菓子を手渡してくれた。彼女の故郷では、疲れたときにはこれを食べるのだという。薄茶色をした見慣れないお菓子だったが、口に入れてみると、甘くほろりと溶けるとてもおいしいものだった。
昨日の梅干しのお礼だと、彼女はウインクして去っていった。軽装なので、私たちと同じく荷物搬送サービスを利用しているのだろう。アルベルゲではなく、いつもホテルに泊まっているようだ。
どう見ても有閑マダムなのだが、その足どりはキビキビとして逞しく、潔い決意のようなものが感じられた。一度ゆっくりお話をしてみたいなと思った。
マジパンの糖分をささやかなガソリンにして、私たちは立ち上がって歩き出した。後からくるMiwakoが、どうかあのパン屋に立ち寄りますようにと祈った。
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シラウキは、小高い丘の上の城塞のような村だった。お金持ちそうな白っぽい家がかたまっていて、地図にはカフェマークもあった。しかし期待に反して、バルは一軒も見当たらなかった。私とさくらちゃんは、信じられない思いで顔を見合わせた。
この先のロルカまでは、さらに6km。ブドウ畑と牧草地が続くだけで、店も何もないのだ。食料といえば、さっきハイカさんがくれたマジパンの残りが2粒。あとはバナナが1本だった。
さくらちゃんがリュックから例の紙切れを取り出し、4番目の垂訓を読み上げた。
巡礼者は幸いである。あなたのリュックが空っぽになり、心が静けさと生命で満たされるならば。
私たちのリュックが空っぽになるときは、生命の危機かもしれなかったが、とにかく先へ先へと歩き続けるしかない。
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相変わらず日陰のない道を黙々と歩き、サラード川にかかる中世の石橋を渡り、しばらく行くとロルカの集落が見えてきた。
地図のカフェマークはもう信じられない。二度あることは三度あるというので、またしてもバルがなかったら……私たちはもう一巻の終わりだ。
幸い、バルはあった。しかも温かい食事メニュー豊富な、素晴らしいバルだった。
私たちはここで、今回の旅で初めての「お米料理」にありついたのだった。厨房にいるのは韓国人の女性のようだった。少し汁気のあるアジアンテイストのパエジャが、お皿に山盛りになって運ばれてきた。
さくらちゃんも私も、ガツガツと食べた。めずらしくビールもワインも飲まなかった。日本を発ってからちょうど一週間、さすがに疲れが溜まっているようだ。
ハイカさんの姿はなかったが、イタリア人のマダムも、フランス人のグループも、アメリカ人のカップルも、「やれやれ、大変だったね」という顔で食事をしていた。みんな朝から、私たちと同じ目に遭ったと思われる。
ようやく人心地ついて、ふとMiwakoのことを思い出した。今頃どのあたりを歩いているのだろう? 食後にコルタード(エスプレッソにミルク少々)を飲みながらしばらく待ったが、現れる気配はない。
まあ、迷子になりようのない一本道だ。このままエステージャまで行ってしまおう。
「きっと、たくさん作曲してるんだよ」とさくらちゃんが言った。きっとそうだと、私も自分に言い聞かせた。
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エステージャまでは、あと8.5km。陽に炙られながらダラダラ歩く。最後の1kmはエガ川に沿って進み、旧市街に入る。今日は楽勝のはずだったのに、日陰のまったくない道が続いたせいで、ひどくくたびれた。
今夜の宿も、アパルトメントホテルだ。管理人さんに電話をして、鍵を持ってきてもらうシステムである。少しわかりにくい場所だったので、私たちは部屋に荷物を置いたあと、巡礼道沿いのカフェテリアでMiwakoを待つことにした。
顔見知りの巡礼者たちが、次々と前を通っていったが、Miwakoはなかなか現れなかった。これまでの経験上、おそらく、あと2時間はかかると予想を立てた。
さくらちゃんには、足のマッサージに行ってもらって、私はその辺をぶらぶら歩いたり、お茶を飲んだりして時間をつぶした。
2時間たってもMiwakoは来ない。時計の針は7時を回った。日没の9時にはまだ間があるが、いくらなんでも遅すぎる──私はだんだん不安になってきた。笠をかぶった日本人を見なかったかと、巡礼者がやって来るたびに尋ねたりもした。
「ずいぶん顔色が悪いけど、どうなさったの?」
ロルカのバルで一緒だったイタリアンマダムが、私の顔を心配そうに覗き込んでいた。カラフルなワンピースとサンダルに着替えて、町なかを散策中のようだった。
友達とはぐれてしまって……私は肩を落として弱々しく呟いた。
またしても、友を見捨ててしまったこと、私は激しく後悔していた。まさかそんなことはあり得ないのだが、なんだかこのまま一生、Miwakoに会えないような気さえしてきた。
途中、険しい峠も危険な場所もなかったけれど、日本の聖地でよくある、いわゆる神隠しというのが、スペインにもあるかもしれないではないか。
「大丈夫! 彼女はきっと大丈夫よ!」
マダムは私の肩に手を置いて、力強く励ましてくれた。さまざまな国の巡礼者が、次から次へと私のところにやって来ては、口々に励ましたりハグしたりしてくれた。マッサージから帰ってきたさくらちゃんが、カフェの前の人だかりに何事かと驚いていた。
「来た! 彼女が来た!」
誰かが大声で叫んだ。皆地笠をかぶり、重たい楽器を背負ったMiwakoが、カタツムリのようにゆっくりゆっくり近づいてくるところだった。みんなの歓声が上がった。
星降る町エステージャでの、感動の再会劇だった。また再び、Miwakoに会うことができて本当に良かった……
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さて、いつものパターンではあるが、私は軽く不機嫌になっていた。これはMiwakoが悪いのではなく、きっとあまりにも疲れ過ぎて、血流が滞っているのだ。
──というわけで、私もマッサージに行った。大きな教会のある広場に面した、古びたマンションの一室。白衣を着た年配の女性が、指圧のようなマッサージをしてくれる。窓は開け放たれ、蓮の花のお香が焚かれていた。
お香の白く細い煙が、横たわる私の体の上で渦を巻き、疲れと不機嫌さを連れて、窓から出てゆく様をイメージした。
施術が終わり、うとうととまどろみかけたその瞬間、教会の鐘が鳴り響いた。私はうわっと叫んで飛び起きたのだった。
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疲れも不機嫌も、本当に煙のように消えていた。足首の調子も、少しマシになったようだ。私は機嫌よく部屋に戻った。
Miwakoとさくらちゃんが、ヨーロッパスタイルの洗濯機と格闘していた。アパルトメントホテルの良い点は、洗濯機が付いていることなのだが、これがなかなか曲者であるケースも多い。
さて、今夜の夕食はどこでとるべきか?
中世の有名な巡礼案内も、ここエステージャのワインと食事のおいしさを褒めたたえている。悩んだ挙句、やはり老舗レストランのカサノバにした。
3年前の取材では、ここで食事をしているときに、星ならぬ大粒の雹が降ってきたのだった。これは吉兆に違いないと、写真家の井島氏も、アヤちゃんも鳥居さんも、大いに飲んで食べていたのを覚えている。
店は旧市街の狭い通りに面していて、1階がバル、2階はレストランになっている。2階がいっぱいだったので、バルのテーブルにクロスを敷いてもらっての夕食となった。
酢漬けのイワシや、切りたての生ハムなどシンプルな料理が中心だが、これがどれもめっぽう旨いのだった。特に生ハムは脂がとろりとして香ばしく、私の中ではカミーノでのナンバーワンかもしれない。
恰幅のいい女将の愛想は悪く、無口で威圧感があって怖いくらいだったが、これもナバーラあるあるだ。
誤解を恐れずに言うと、北スペインを横断するカミーノは、日本でいうと東北6県をゆくようなものである。独自の文化・風習があり、都会の饒舌と軽薄さとは無縁の地だ。いわゆる情熱のスペインを象徴するフラメンコも、ここにはない。
特にナバーラ州の人は愛想がないことで知られるが、別に悪気があるわけではない。私たちは赤ワインのボトルを2本空け、締めにナバーラ名産パチャランを頼んだ。女将はニヤリと笑って、これはサービスよと言った。
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今夜もたくさんの星が瞬いていた。星降る夜にマリア像が見つかったことが、エステージャという町の名の由来だ。カミーノは「星の道」と呼ばれるだけあって、星にまつわる伝説が多い。
洋の東西を問わず、星には願いを叶える力があるというが、それがもっとも高まるのは新月だ。新月には、月が星の輝きの邪魔をしないからだと、その昔、占星術の師匠に教わったことがある。
いつになるかはわからないが、この町を今度は、新月の夜に訪れたいと思った。
「ねえねえ、いま何を願ったの~?」めずらしく酔っ払ったさくらちゃんが、まとわりついてきた。私はハッとした。願いはすでに、星に届いてしまったのかもしれない。
(春のカミーノ⑪ に続く)
今夜もパチャラン最強!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
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(春のカミーノ⑪ に続く)