晩夏のカミーノ③ 〜死と再生の森
3日ぶりの太陽が輝いていた。去ってしまったと思っていた夏が、また戻ってきたみたいだった。私もMiwakoも天を仰いで深呼吸し、幽かな夏の香りを少しでも吸い込もうとした。
巡礼者で混み合う朝食会場に、マルタの姿はなかった。確かにここに泊まっていたはずだが、彼女はうんと朝早く出発したのかもしれない。
途中までは、ギラギラした陽射しに炙られながら山を登った。顔に首筋にたちまち汗が流れたが、ひとたび森に入ると、すっと気配が変わってひんやりした。
中世の昔、道なき道をゆくオカの山越えは、巡礼者をひどく苦しめ、命を落とす者も多かったという。クヌギやブナの森は鬱蒼として、追いはぎが巡礼者を襲うという危険もあった。
今では道が整備され、もちろん追いはぎもいないのだが……それでも冥い森の名残りは、オカの山全体を色濃く覆っているように思えた。
ネイティブアメリカンのビジョンクエストは、森で一夜を明かす通過儀礼だ。ヨーロッパの童話の森も、日本の熊野の森も、似たようなイメージである。山は異界だが、森はさらに死と再生そのものだ。
「こんなに美しくて素晴らしい世界にいるのに、悲しんでいるのですね」
昨夜のマルタの言葉が、くり返し木霊のように響いていた。どうしようもなく痛む私の右腕に触れて、そんなふうに彼女はささやいたのだった。
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友の死を知ったのは、偶然の巡り合わせだった。ちょうど2カ月前、たまたま電話をかけてきた編集者が、ふと口にしたのだ。「彼が亡くなったなんて、まだ信じられないですよ」
そのことを私も知っていると、思い込んでいたようだった。
どういうことなのか、理解するのに少し時間がかかった。亡くなったのはつい3日前で、今日が告別式だったという。反射的に時計を見た。もう夜の8時だった。
「彼は……もう燃やされてしまったのですね」そんな言葉が、やっと口をついて出た。電話を切ってからも、ソファに座り込んだまま朝まで動くことができなかった。
知り合いのパーティーで、十年ぶりに再会したのは偶然だった。私は出版社を辞めて最初の本を出版したばかりで、そこで彼に会うなんて思ってもいなかった。
歳は私よりかなり下だが、編集者出身の作家としては大先輩だ。「お久しぶりです」と礼儀正しい口調で言ったのは、そんな彼のほうだった。
さほど見た目は変わらず、互いに今も独身だったけれど、十年前の激しい感情が戻ってくることはなかった。その代わり、たまに他愛もない雑談をしたり、互いの著書について感想を述べ合ったりという、穏やかな友情が続いたのだった。
事故ではなく病気だったと聞いた。それ以上はわからなかったけれど、私はもうそんなことを知る立場ではないのだ。
彼の担当編集者であり、親友だった人と、一度だけ二人で話す機会があった。一番つき合いが長くて信頼している人だと、よく名前だけは聞いていた。
帝国ホテルのバーで、お盆に入る少し前のことだった。年配の人だと私は勝手に思い込んでいたが、現れたのはすらりとハンサムで中性的な雰囲気の、彼と同年代の男性だった。
「とても急だったし、僕も詳しいことは知らないんですよ」その人は献杯のグラスを見つめながら、静かな口調で話した。
「病気で、というのは確かです。でも彼はいろいろと悩んでいたから……」重厚な木のカウンターの縁に沿って、指をゆっくりとすべらせながら、その人は言ったのだった。
「こんなふうに、いつもギリギリのところを歩いていて、ふと向こう側に行ってしまったのかもしれません」
高いところからゆっくりと落ちていく、彼の姿が見えたような気がした。私がずっとそばにいたなら、止められただろうか? いや、それは私の目の前にいる、この人の役目だったのだ。この人に止められなかったのだから、私にできることなんて、きっと何もなかったのだ。
右腕が痛みだしたのは、それから数日後のことだった。
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ふいに目の前がひらけた。森は突然に終わりを告げ、明るい陽射しの下を、巡礼者たちが平和に談笑しながら歩いていた。
「ピレネー越えに比べたら、全然大したことなかったね」目の前で、Miwakoがにっこり笑っていた。
私は黄泉の国から還ってきた人のように、目をこすった。道の先へ進まなくてはという思いと、今すぐ森に駆け戻りたいという思いが、ない交ぜになっていた。
サン・ファン・デ・オルテガの修道院は、春分と秋分の日に起こる「光の奇蹟」で知られる。その日だけ、窓から差し込む一筋の光が、ロマネスクの柱頭に彫られた「受胎告知」を照らすのだ。素朴でがらんとした堂内は、薄暗く人影もなかったが、死と再生はここにもひっそりと息づいていた。
修道院の少し手前のバルで、ブラジルのサンパウロから来た自転車巡礼チームと一緒になった。サンティアゴ十字とホタテ貝とブラジルの国旗をプリントした、緑色の派手なユニフォームを身に着けている。
昨夜のマルタはコロンビアだったし、このところ南米に縁があるようだ。ギラつく太陽も、彼らが連れてきたのかもしれなかった。陽気なお祭り騒ぎの中、Miwakoはボサノバをメドレーで演奏した。
北スペインの巡礼の道で聴く「イパネマの娘」は、一見ひどく場違いなようで、それでも肩を組んで歌う彼らを見ていると、これ以上この場にふさわしい音楽はないと思えてくるのだった。
私は観客の中にマルタの姿を探したが、見つけることはできなかった。この先もう二度と、彼女には会えないような気もしていた。
今夜の宿のアタプエルカまでは、さらに約6km、なんにもない平原を歩いた。
巡礼3日目の今日は、トータルで18.3km。さほど長い行程ではなかったが、私はぐったりと疲れ切っていた。ダンテの『神曲』の煉獄編をふと思った。山道を登りながら天国をめざす死者たちと、共に歩いたような気がしていた。
日はまだ高かったけれど、宿の2階の部屋のベッドに倒れ込み、私はしばらく深く眠ったのだった。
(晩夏のカミーノ④ に続く)
ブラジルの自転車巡礼チームの皆さんと!
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
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(晩夏のカミーノ④ に続く)