晩夏のカミーノ④ ~ラベの犬祭り
アタプエルカは、原始時代の人骨が発掘された村なのだという。失礼ながら、こんななんにもないところに……と思わずにはいられなかった。太古の昔はこのあたりも、おいしい木の実が穫れる森だったのだろうか? せっかくなので、世界遺産の遺跡を見てみたい気もしたが、巡礼道からは少し離れていたので断念した。
私たちが今夜泊まるのは、オスタルというより民宿といったていの一軒家だ。たとえ巡礼の旅であっても、なるべく贅沢な宿に泊まりたいと切に願う私なのだが、この村にそんなものはないのだった。
値段の安さからして、どんな宿なのかビクビクしていたけれど、案外キレイで悪くない。1階がバルと食堂、2階が客室とバスルームになっている。
巡礼者向けの宿によくある、ベッドが3つ並んだ部屋で、私とMiwakoの2人には十分過ぎる広さだった。バスルームは共用だが、どうやら泊まっているのは私たちだけのようだ。
食堂もなかなか立派で、洒落た農家レストラン風のしつらえである。私たちは今夜も、無難でお手頃なメヌー・ペレグリーノ(巡礼者用の定食)を注文した。正直、さほど期待はしていなかったけれど、冷たいクリームスープもサーモンのソテーも、思いがけず繊細な味わいだった。
昨日今日と、巡礼道で立て続けに演奏することができたMiwakoは、満ち足りた表情でサーモンを口に運んでいる。私も、夕方にしばらく死んだように眠ったおかげで、人間らしい気分を取り戻していた。
食事がおいしいと感じられるのは、現世に還ってきた証拠だ。たった半日前の、異界の森に迷い込んだようなオカの山越えが、もう遠い昔に思える。
巡礼者用のメヌーにはめずらしく、得体の知れない安ワインではなく、ちゃんとしたリオハの赤が出てきた。リオハという文字を見ると、私はつい飲み過ぎてしまう習性がある。
何があろうと、無心に黙々と歩き続け、ワインを飲んで食べて眠る。それを延々くり返すのが巡礼だ。たまに飲み過ぎたとて、巡礼の精神に反するものではない。
そして翌朝は……案の定、私だけかなり寝坊してしまった。右腕の痛みは相変わらずだ。歩みのゆっくりなMiwakoは、サックスを背負って一足先に出発するという。ここから6kmほど先の、カルデニュエラの村のバルで落ち合うことにした。
巡礼4日目の今日は、アタプエルカからブルゴスまでの20kmを歩く。最初にひとつ峠を越えれば、あとはだらだらと舗装道路をゆけばよい。郊外の工場地帯を抜けると、世界遺産のブルゴス旧市街だ。
マタグランデ峠の大きな木の十字架までは約2km。鉄条網を張り巡らせた軍用地に沿って道が続くせいか、どこか物々しい緊張感が漂う。
3年前のカミーノ取材では、写真家の井島氏が、この十字架のところで何カットも撮影してくれた。残念ながら紙幅の都合で、本には掲載できなかったが……向こう側の世界とつながっているかのような場所として、記憶に焼きついている。
いつも現実的なひと言で私のロマンをぶち壊す、愛想のないアシスタントのアヤちゃん、熊野本宮から参戦したヤタガラス鳥居さん、井島氏そして私の4人で歩いたカミーノを懐かしく思い出した。全800kmを初めて旅するということで、みんな緊張しながらもワクワクしていた。
カミーノを歩いた者は、人生のよみがえりを経験するという。
実際、あれから当時の仲間たちは、それぞれ新しい人生を生きることになった。アヤちゃんは多少愛想がよくなり、記者として活躍していた。鳥居さんは熊野本宮大社の境内で巡礼者をサポートする店を開き、井島氏はさらに売れっ子となって世界を飛び回っていた。
代わり映えしないのは私だけ……という毎度お決まりのパターンだ。
もちろん、スペイン巡礼本は無事に出版され、私は編集者から著者となって、新たな人生がスタートしていたのだけれど──。
内面がちっとも変わっていないことは、私自身がいちばんよく知っていた。自分のしっぽを追いかけるような、堂々巡りの日々が続いた。
そんな中で、十年ぶりに再会した彼の存在は、遠くから私の行く手を照らしてくれる灯台の光みたいなものだった。
かつての感情が戻ってくることは、お互いに二度となかった。そのことを私は少しだけ残念に思い、同時にほっとしたのも確かだった。人生に踏み込み過ぎない、手を触れることもない穏やかな友情。私はずっとこんな関係を求めていたのかもしれない。
2カ月前に訃報を聞いたとき、どうしてか涙は流れなかった。それから、彼の担当編集者であり親友だった人と初めて会い、話をしてから間もなく、右腕の痛みが始まったのだ。
いわゆる亡くなった人による霊障、というのはあり得ない。いつでも私を応援してくれていた人が、私を苦しめるはずはない。だとするとこの痛みは、私自身の悲しみなのか。それとも、自分を責める気持ちの表れか。
向こう側の世界に引っ張られてゆく彼を止めるのは、結局、私の役目ではなかった。それは十分わかっているはずなのに、どうして痛みは去らないのだろう。
大きな木の十字架の下で、曇った空の下で、私は光を失ってひとりぼっちだった。右腕を十字架に押し当てるようにして地べたに座り込み、しばらく目を閉じて、私は痛みの声を聞こうとした。
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カルデニュエラのバルに、Miwakoの姿はなかった。その先のオルバネッハのバルにもいなかった。何しろ彼女は迷子の天才なのだが、ブルゴスの大聖堂前で早く演奏したくて先を急いだのかもしれない。
私は黙々と歩き続け、線路を渡って国道に入り、悪名高いブルゴスの工場地帯に差しかかったが……どうもおかしい。地図を確認すると、やっぱり道を間違えていた。
幸いこのまま歩けば旧市街に着くのだが、遠回りなうえに、車通りの激しい残念な道であった。
地図が読めて方向感覚に優れている、というのが、私の数少ない長所のはずなのに!
私は久々に、このたびは自分に対して舌打ちしたのだった。(ちなみにあとで判明したのだが、Miwakoも私とまったく同じ、間違った道を歩いたらしい)
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カスティージャの古都ブルゴスには、5月の春のカミーノ以来だ。さくらちゃんとMiwakoと3人で深夜までバルをはしごし、愉快な巡礼女子旅を締めくくった思い出深い町である。
今回もMiwakoは、世界遺産の大聖堂前でサックスを吹いた。観光や買い物には目もくれず、晩夏の日が落ちるまで、飽きずに何時間も演奏していた。
Miwakoにとって、行く手を照らす光となっているのは何だろう? 彼女は内側にたくさんの光を持っていて、それで自分自身や周りの人たちを照らしているのかもしれなかった。
演奏を続けるMiwakoを残して、私はホテルの部屋に戻った。ずっと聴いていたい気持ちもあったが、右腕の痛みがもう限界だった。ただ立っているだけで、どうしようもなくズキズキと痛む。
今夜の宿は、大聖堂がすぐ目の前のクラシックホテルだ。フランス窓を開け放つと、風に乗ってかすかなサックスの音色が運ばれてきた。ひんやりとした、もうすっかり秋の風だ。彼女の指先はずいぶん冷たくなっているのではないだろうか。
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巡礼5日目は、ブルゴスからラベ・デ・ラス・カルサーダスまでの13kmを歩く。一日の距離としてはかなり短いが、その先に果てしなく広がるメセタの大地に備えて、夜は早めに休息をとる必要があった。
ラベの村まであと3kmというタルダホスで、アルベルゲ(巡礼宿)に併設されたバルに立ち寄った。遅めの朝食をとっていたので、さほど空腹ではなかったが、カウンターに並ぶタパスは魅力的だった。
酢漬けのイワシとオリーブは、カミーノでの私の大好物だ。目が覚めるほど酸っぱいが、疲れをたちまち癒してくれる。赤ワインはリオハではなく、カスティージャ地方が誇るリベラ・デル・デュエロ。熟した濃い味である。
グラスにたっぷり注がれたワインを飲み干すと、やや頭がくらくらしたが心配はいらない。ラベの村にはとりたてて娯楽もなさそうで、あとは質素なオスタルで眠るだけだからだ。
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想像した通り、ラベはごく小さな集落だった。それでもアルベルゲは2軒あったし、私たちが予約した泉(La Fuente)という名のオスタルは、巡礼者に大人気のようだった。カミーノでの無数のスナップ写真が、バルの壁を埋め尽くしている。
今夜は10時で表の扉を閉めるつもりだと、宿の主人は肩をすくめながら言った。
「なにしろ今日は、お祭りだからね。酔っ払いたちになだれ込んで来られたら、かなわんよ」
そういえば、通りから楽隊の音が聞こえてくる。部屋でシャワーを浴びてゆっくりするというMiwakoを残し、私は祭り見物に出かけることにした。
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教会前の広場には、びっくりするほど大勢の人々が詰めかけていた。巡礼者も交じっていたかもしれないが、大半は地元民のようだった。悪魔や修道僧の仮装をした人もいる。水鉄砲を手にした若者たちが、相手かまわず水をかけていた。ビールやソーダ水を売る屋台は大繁盛だ。
ひときわ大きな歓声が上がった。人垣をかき分けて覗くと、真ん中にシェパードのような犬と、調教師の姿があった。ドッグレース、いやドッグショーだろうか?
犬は広場を悠然と歩いては、ときどき立ち止まる。そのたびに人々の歓声と拍手が起こった。一周して調教師のところに戻ると、また歓声と拍手だ。何が面白いのか、さっぱりわからない。また別の犬が登場しては、同じことをくり返した。
「これは一体、なんなのでしょう?」と近くにいた女の人に訊いてみた。
「ドッグパーティーよ」彼女は当たり前でしょと言わんばかりの顔をした。ドッグパーティー? ますますわからない。
ふと記憶がよみがえってきたのは、二十年以上も昔──吉野の山奥の、小さな神社で出くわしたお祭りだった。私は餅まきを見たことがなくて、宮司の合図で若い衆がバラバラと餅を投げる様は、まるで異国の祝祭のように思えた。集まった村人は、ほとんどが年寄りなのに、実にうまくそれを拾うのだった。そして私は不思議なくらい、ただの一つも拾えないのだった。
もしかしたら、よそものは触れてはいけない餅なのかもしれない。早くこの場から退散したいと思ったが、畏れに打たれたように身動きできなかった──。
あのときの、なんともいえない感覚に似ていた。私はもう考えることを放棄して、階段状の観客席に腰を下ろした。カオスのような人込みの中で、こちらに手を振っている女性がいる。マルタだ。
オカの山越えの前夜に、ホテルのバルで会ったときと同じ姿だった。束ねた黒っぽい長い髪に、星をかたどった揺れるピアス。コロンビアから巡礼に来たということ以外、私は彼女について何も知らなかったけれど、懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいになった。
彼女は私の右側にすっと座って、不思議な犬祭りをしばらく一緒に眺めた。大きな歓声と拍手が再び沸き起こり、3匹の犬が勢ぞろいしている。そろそろフィナーレなのかもしれない。
「最近、亡くなった方がいらっしゃいますね」
世間話でもするように、さりげなく彼女は口にした。信じられないくらい長いまつ毛に縁どられた、透き通った茶色の大きな目が私を見つめていた。
「どうして……」
「あなたの後ろに、いらっしゃるから」
とっさに後ろを振り向くことは、怖くてできなかった。目の前の広場では、犬たちがゆっくりと練り歩き、人々は歓声を上げ、若者たちは水鉄砲でふざけ合っていた。どれも現実ではないみたいだった。非現実的な喧噪の中で、マルタの声だけがリアルに耳に響いていた。
メキシコやアメリカのセドナや、これまで世界のさまざまな場所で、私は霊媒と呼ばれる人たちに出会ってきた。その多くは女性で、彼女らに共通しているのは、この世のものならぬ美しさだった。
「彼のメッセージを、伝えてもいいですか?」
あまりに不意打ちで、喉がカラカラになって返事ができなかった。彼女は私の右腕に手を触れたまま──耳元に口を寄せ、呪文のようにすばやくささやいたのだった。
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水鉄砲を手にした若者が、すぐ目の前に立っていた。水をかけられるかと慌てて腰を浮かせたが、彼はにこにこしながら、私の右の手首になにやら結びつけた。青い毛糸の紐だった。
「これであなたも、お祭りの仲間です。楽しんでくださいね」
そう言って、若者はビールの屋台のほうに行ってしまった。いつの間にかドッグパーティーはお開きで、村人が二列になって手をつなぎ、その間を小さな子供たちが順にくぐるという、これまた謎のセレモニーが始まっていた。
隣にマルタの姿はなかった。私は手首に結ばれた青い毛糸の輪っかを、薄れてゆく陽の光にかざした。南米のおまじないのミサンガみたいだ。これが切れるとき、右腕の痛みは私を去るのかもしれなかった。
耳元でマルタがささやいた言葉──私はそれをはっきりと覚えていた。そのことが、彼女がこの世に確かに存在していたという証だった。
宿に帰って、青い毛糸を結んだ手首をMiwakoに見せた。
「どうしちゃったの、そんなのつけて」
Miwakoは可笑しそうにゲラゲラ笑っていたが、ふと真顔になって言ったのだった。
「もしかして一生、つけたままだったりして……」
呪いをかけるのはやめてよ、と私は彼女をぶつまねをしながら、心のどこかで、それでもかまわないと少し思っていた。
(晩夏のカミーノ⑤ 最終話に続く)
鳩が手招くアタプエルカの民宿にて。
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
by Miwako
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(晩夏のカミーノ⑤ 最終話に続く)