春のカミーノ⑤ 〜ピレネー越えからロンセスバージェスへ
ケルンの十字架のあたりには、巡礼者を惑わす魔物が潜んでいたのだと、私は今でも信じている。少なくとも、そこが結界であったことは間違いない。
山はすべからく異界だ。ハイキングの山であれ、巡礼の山であれ……そこには必ず結界が存在する。人の生きる世界と、異界とを分ける境い目。うっかり無礼をはたらいてしまうと、その後いろいろ不都合が起こってくることになるが、さて、私たち三羽ガラスはどうであったか──?
幼なじみの音楽家Miwako、イケイケマダムのさくらちゃん、そして巡礼リピーターで作家の私。熊野名産の皆地笠(みなちがさ)に、お揃いのヤタガラスTシャツの女子3名は、楽しむこととおいしいワインと快適な宿が大好きだったが、いやしくも巡礼者の端くれであった。バックパックにぶら下げたホタテ貝が、それを証明している。
さくらちゃんは、おそらくサンティアゴ巡礼についての知識はゼロだった。Miwakoはフランスのカタツムリもスペインのカタツムリも驚くほど、歩くのが遅かった。私はそんなMiwakoに舌打ちばかりしていた。いずれも巡礼者には似つかわしくない面々だったが、さいわいピレネーの山にとっては、私たちは「あり」だったのだと思う。
半刻前まで、視界を真っ白に覆っていた霧は、何処ともなく消え去っていた。お試しはクリアしたはずと信じて、私たちはフランスとスペインの国境を越え、巡礼の山へと分け入った──。
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2019年5月16日早朝にパリの空港に降り立ち、本場のクロワッサンに飛びつき、シャトルバスの中でシンディ・ローパーの “Girls Just Want to Have Fun” を聴いてから、丸二日が経過していた。
カミーノもその姉妹道である熊野古道も、歩くことで「人生がよみがえる」のだという。この48時間で、私たちは少なくとも、チャラい観光客から、ホタテ貝印の巡礼者へと変貌を遂げていた。
私たちのバックパックの中には、オリソンの山小屋でこしらえてもらった、バゲットのサンドイッチが入っていた。山小屋で出されたものは、ワインもおつまみも夕ご飯も朝ご飯も何でもおいしかったので、ランチのお弁当だけおいしくないということは、あり得ない。期待大である。
あの山小屋は、ピレネーの関所だったのかもしれない……歩きながら私はひとりごちた。夕食後に「自分はどうして今回カミーノに来たのか?」を発表し合ったのも、レクリエーションなどではなく、星の道へと歩み出す前の「選手宣誓」だったのだ。
この世のものならぬ、という言葉があるが、ピレネーの奥山はまさに異界の美しさだった。巡礼の山の樹というのは、どうしてこんなに、人間のことをじっと見ているような気配を漂わせているのだろう。
ピレネー越えの最高地点、レポエデール峠は標高1430m。最後の数キロの上り坂は、意外になだらかである。木立の間を黙々と歩いていると、ふと瞑想状態に入っていったりもする。
私にとっては、これで4度目のカミーノだったが、スタート地点のサン=ジャンから歩き始めるのは、2度目になる。1度目は2016年の同じ5月──今から3年前だ。著書の取材のために訪れ、前半はところどころ車で移動したので、最初からちゃんと歩くのは今回が初めてである。
どうしてカミーノに来たのか?──私の答えは「もう一度カミーノを歩いて、新しい本を書きたい」だった。そんなつもりで来たわけではなかったのに、自然に言葉が押し出されてきた。それを口にした瞬間、見えない世界のどこかで、ゼンマイ仕掛けの時計のネジが巻かれた。そんな気がする。
思いを込めて放たれた言葉は、たとえ時間がかかっても、形を少し変えたとしても、いつかは現実となるものだ。それは、当の本人が忘れた頃かもしれない。裏を返せば、本当は叶ってほしくないことは、決して言葉にしてはいけないのだ。
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「そろそろ、お腹空いたね~」ストックをリズミカルに動かしながら、さくらちゃんが言った。彼女にとってストックは、巡礼気分を上げるためのおしゃれアイテムで、ぶっちゃけストックなしで歩いたほうが楽だと言っていた。
一方、Miwakoにとってストックは命綱であった。一歩一歩、全体重を預けるようにして進んでいる。ストックからクレームが聞こえてきそうだった。そういう私も、ストックなしでは山は歩けなかった。
さくらちゃんの言葉におもねるように、行く手に小さな避難小屋が見えてきた。トイレがあるかと期待してはいけない。本当に、雨露をしのぐだけの小屋なのだが、遮るもののない山道では、物陰があるだけでも御の字なのだった。
時計の針は2時を回ったところだ。ここはもうスペインなので、まさにちょうどランチタイムである。フランス語の新聞紙にくるまれたバゲットのサンドイッチは、期待を裏切らなかった。シンプルに生ハムとチーズを挟んだだけなのに、やはり美食の国フランスの食べ物だった。
避難小屋の鉄の扉は閉まっていて、小雨混じりの風が容赦なく吹きつけたが、私たちは地べたに腰を下ろし、この旅における最後のフレンチを有り難くかじった。
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レポエデール峠の頂に立ち、西の空を眺めた。スペインでは西方浄土とは言わないのだろうが、やはり西の果てに聖地があるのだった。薄墨色をした山が折り重なるように、彼方まで連なっている。
あの山々のふところに、星の道が隠されているのだ──と私は思った。カミーノを歩いて自分だけの宝物を見つけた、古今の先人たちも、ここで同じような感慨に打たれたのだろうか。
Miwakoもさくらちゃんも、ただ黙って佇んでいた。ピレネー越えクライマックスの絶景なのに、誰も記念写真を撮ろうとは言い出さなかった。ここに掲載した写真は、3年前の取材時に井島氏が撮影したものである。
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この先、ふもとのロンセスバージェスまでは下る一方だが、実はここからが、ピレネー越えで一番の難所である。結構な急勾配がノンストップで4kmほど続く。美しい森を抜けてゆく道であるが、景色に目を奪われて足を滑らせないよう注意が必要だ。
そういえば、昨夜オリソンで知り合った唯一の日本人Nさんが、「この道を歩きたくて、カミーノに来たんですよ」と言ってiPadで見せてくれたのが、私の本の14ページ、井島氏が撮影したこの写真だった。
Nさんはサン=ジャンの巡礼事務所で、「この道は急勾配で危険」だからと、レポエデール峠から右に折れる迂回路(舗装道路)を勧められたそうだ。その助言に従うべきか? Nさんは悩んでいたが、結局どうされただろうか。
私たちはもちろん、そのまま森の中の道を進んだ。確かに今日のような雨の日にはスリップしやすいが、危険というほどではない。(ちなみに、もっと急勾配で危険な道は、この先いっぱいある)
と言いつつ、しかし私もMiwakoも、そこそこ滑ったり転んだりしながらの下山だった。カタツムリ走法のMiwakoは、下りになると意外に速いのが救いだった。さくらちゃんは、信じられないことに、まだ力が有り余っているように見えた。
セレブな奥様であり、専業主婦のさくらちゃんは、運動といえばジムに通うくらいだと言っていたが……その身体能力は半端なかった。そのことを、私は今回のピレネーで目の当たりにした。そしてどんな事態に直面しても慌てず騒がず、肝が据わっている。
「3人、産んでるからね〜」ストックをかざしてガッツポーズしながら、さくらちゃんは笑った。私とMiwakoは、ハイパーなマリア様の前にただひれ伏すばかりだった。
オリソンを出発してから、約8時間。雨がまた激しく降り出していた。緑のトンネルのような下り道は、このままどこまでも永遠に続くかと思われたが、ロンセスバージェスの村は、きっともうすぐそこだ。
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いきなり、視界がひらけた。禊の川を思わせる清らかな流れを渡って、村に入る。まさに黄泉の国からの帰還だ。
ロンセスバージェスは、敬虔な雰囲気の漂う小さな村である。パウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』の舞台にもなっている。この聖マリア教会で、パウロは最初の神秘体験をするのであった。
教会のお隣のアルベルゲ(巡礼宿)に立ち寄り、事務所でクレデンシャル(巡礼手帳)にスタンプを押してもらった。アルベルゲでは、宿泊者でなくてもスタンプはもらえる。
古くから巡礼者の救護院だったという、大きな修道院を改装したアルベルゲで、ベッド数は180以上もあるそうだ。二段ベッドの並ぶ男女同室の相部屋で、シャワーやトイレは共同、シーツや布団はないので寝袋はマスト。これがアルベルゲの基本スタイルである。
そして何より、アルベルゲのベッドは「早い者勝ち」だった。午後の早い時間に埋まってしまうこともある。常に「本日の最後尾」を拝する我々には縁のない世界だ。
というわけで、私たちはアルベルゲではなく、山小屋風のオスタルを予約していた。オスタル(Hostal)は、オテル(Hotel)よりカジュアルな宿で、値段もずっと安い。たいてい1階がバルや食堂になっている。アルベルゲに泊まらない巡礼者は、このオスタルのお世話になることが多い。
オリソンで預けた私たちの荷物と楽器は、宿の入口にちゃんと届いていた。楽器が無事だということを確認して、Miwakoはホッとしていた。高級品やブランド物には興味のないMiwakoだったが、楽器だけは、普通なかなか手に入らない高価なビンテージのアルトサックスだ。アルベルゲに泊まることができないのも、ひとつはここに理由があった。
巡礼シーズンでオスタルは満室だった。チェックインの順番を待っている間も、雨でずぶ濡れになった巡礼者が次々とやって来ては、部屋がないと断られていた。この先の村ブルゲーテまでは、雨の中をあと4kmも歩かなくてはいけない。どうかお隣のアルベルゲに空きがありますように……と、非常に申し訳ない気持ちで、私は彼らのために祈った。
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歴史あるオスタルのようで、がっしりした木造りの内装が、いかにも山あいの宿という風情だった。私たちは四人部屋に落ち着き、何はともあれ、順番に熱いシャワーを浴びた。朝からずっと山の中で、雨に雪に霧、そしてまた雨という洗礼を受けてきたのだ。ここで万一、風邪など引いては大変である。
しかし、すでに手遅れかもしれなかった。私はやや熱っぽく、鏡を見ると、唇が腫れたように赤くなっていた。ときどき咳も出る。これはマズイ、マズイぞ……
そのとき、ツキジさんが羽田で餞別にくれた、救急セットのことを思い出した。たしか漢方薬が入っていたはず──私は慌ててスーツケースを漁った。葛根湯の顆粒が2包。少し迷ったが、まとめて一気に飲むことにした。これはどんな不調もたちまち治す、魔法の漢方薬なのだ……と自分に言い聞かせながら、ぬるま湯でのどに流し込んだ。
結論からいうと、ツキジさんの漢方薬はよく効いた。危機一髪で、私は風邪の淵からよみがえったのだった。
ツキジさんは、私が事務局を務める熊野古道女子部の部長である。昨年の秋のカミーノでは、ナイチンゲールのごとく皆の傷の手当をしたり、Miwakoのサポートをしてくれたりと、非常に頼れる人格と体力の持ち主であった。彼女がくれた漢方薬に、特別なパワーがあっても不思議ではない。
オリソンの恐るべき5分間シャワーでも風邪を引かなかった私だが、やはりピレネー越えのプレッシャーは大きかったのだと思う。三羽ガラスともに無事山を下りることができて、安心のあまり気が緩んでしまったに違いない。
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夕食前に、バルで一杯やるのがスペイン流だ。オスタルの下のバルは、巡礼者で溢れかえっていた。お隣のアルベルゲからも、こちらへ飲みに来ているようだった。私たちがスペイン国に入って、最初の乾杯である。星という名をもつビール、エストレージャ・ガリシアは文句なしにおいしかった。
写真を見ると、私もMiwakoもさくらちゃんも、実に清々しい顔をしている。異界である山での試練をクリアし、下界に戻ってきたという、安堵と達成感があった。この先、更なる試練が待っているだなんて、考えもしていなかった──。
(春のカミーノ⑥ に続く)
次回もまた、一難去ってまた一難! 三羽ガラスは再びピンチに……
¡Hasta luego!(アスタ ルエゴ またね)
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(春のカミーノ⑥ に続く)