せめて、自分の服は(原則)リメイクにこだわりたい〜肌で感じた衣料品のリアル〜
前々回の記事で『己の胸に打ち立てたポリシー』なんて大袈裟な表現をしてしまいましたが
結論は、タイトルそのまんまです。
少し前まで一生掛かっても着られなそうな量の服を作っていた私が何故そのような思いに至ったのか?
それは、春に観たある番組がきっかけでした。
その番組では、ファッションデザイナーの中里唯馬氏が出演された映画について語られていました(映画の内容についてはこちら↓をご覧下さい)。
その番組で私が一番衝撃を受けたのは、世界中の古着の受け皿となってしまったアフリカはケニアのナイロビでの現状。
古着の巨大なマーケットがあり、そこで捌ききれない古着はゴミとなり、焼却処分されるという。その量が、もう信じられないくらいの量。
『焼却』ということは、環境にも負荷を与えます。
現地の住民からしてみれば、請負いたくもない、本来ゴミではなかった物を処分することにより生活環境が脅かされている・・・ということです。
中里氏は現地の方へのインタビューで
「もう服を作らないでほしい」
「服はもう世界中に十分あるのに、何故これ以上作る必要があるのですか」
というリアルな訴えを聴き、ご自身のお仕事への葛藤を抱きつつも、ファッションの存在意義を模索されている・・・とのことでした。
全く規模は違えど、私も服を製作することと作る術を教える仕事を目指していた者として、無視できない内容でした。
そしてこの番組を観てから約1ヶ月後、『日本ホビーショー』で様々な企業のリメイクを含むアップサイクルの取り組みに触れ、中でも2つの企業の取り組みに私は衝撃を受けることとなります。
1つは、廃棄される繊維から紙等を作る『サーキュラーコットンファクトリー』の取り組み。
拝見した時は、「こういう会社があるのなら安心」と思っていました(実はこの考えがとてもまずい)。
そしてもう1つは『BOOK OFF』主催の古着をアップサイクルした服でのファッションコンテスト。
モデルさん(=製作された方々と思われます)は若者ばかり。作品も場の雰囲気もとても華やかで、とても楽しいコンテストなのに、私は観ていて涙が止まりませんでした。
なんて言うか、服達の悲鳴が聴こえた気がしたんです。
自分もかつて、まだ洋裁をしていなかった頃は良かれと思って大量の服を寄付したりしていました。自分で作った服はそうも行かず、ウエスにしてもしきれない服は工業用ウエスとして活用してくれる施設に寄付したりしていたのですが、その行いが巡り巡って、アフリカに限らず自分の知らない人々の生活を脅かしていたという現実。
実は、寄付した服が受け入れた地域の人々の雇用を奪っているという話も聞いたことがあります。
振り返れば、社会人になる前(日本がデフレに入る前くらいの頃)はこんなじゃなかった。限られた服を大切に着ていたのに、いつから『まだ着られる服』を何の痛みも感じずに手放すようになってしまったのか。
手放した先の人々の生活に役立ててもらえたらと思ってした行為が、逆にその人達を苦しめていたとは。
そんな、過去に自分が抱いた罪悪感も一気に蘇りました。
最近はファッション業界でリサイクルやリメイク等の取り組みが盛んに行われるようになりましたが、先程記しました『サーキュラーコットンファクトリー』さんは材料(廃棄される服などの繊維類)が供給(紙等を作り出す)を上回っていて、材料の回収のみは行っていないとのことでした。
もう「着ない服は寄付やリサイクルに出せば社会貢献になる」という状況ではないと痛感しました。
実際、近所のスーパーでは1シーズン前のスーツ(ジャケット+パンツ+スカート)が3,000円とか、しっかり裏地がついたジャケットが単品で300円とかで買えてしまいますが、それでも売れなかった服達はどうなるのか、、、
服はもう世界中に十分あるのに
何故これ以上作る必要があるのか
この、アフリカの地の人々の悲痛の声が蘇ります。
この出来事があってから私は、服を増やすことへの罪悪感からミシンを踏むのが怖くなってしまいました。
洋裁教室に通い続けることにも、
もし教室を開いたら、今でも捌ききれない量の生地や服を持っているのに、更に増やすことになるのではないかということにも恐れを抱くようになり、洋裁と距離を置くようになりました。
で、2回目の記事の状態になるわけです。
それまで「洋裁で身を立てるしかない」という思い込みから洋裁一択で突き進んで来てしまったため、教室を辞めた時はものすごい虚無感と「これからどうしよう・・・」という未来への不安感で押し潰されそうでした。
しかし、洋裁を手放すのは嫌でした。
事実、洋裁はかつて『仕事』しかなかった私(サラリーマンの頃の話。いつも1つに全集中する性分らしい)を救ってくれたし、決して否定する訳ではありません。救われておきながら、どうしてそのようなことができましょうか。
ただ私の場合は、向き合い方が変わったと言いますか。
初めて本気のリメイクをした時に、風向きが変わったのだと思います。
戸惑いつつもそこに楽しさを見出し、
「ああ、やっぱり私は洋裁が好きなんだな」ということを再確認できました。
その時の素直な心境は
「もう服も生地も増やしたくないけど、洋裁は細々でも続けたいな」でした。
それが叶えられるのがリメイクなのだと気付いたのもその時でした。
とは言え
実は生地の在庫も半端ではなく、生地が詰まった衣装ケースを見る度に「早く消化せねば」という焦りを感じる日々でもあります。
しかしこの件についても最近、ご自身の服を自作されているという94歳の女性を拝見して解消しました。
生地もリメイク待ちの服達も、一生掛けて消化して行けば良い。
きっと、洋裁は私にとってライフワークになるのだと思います。
まあ『一生のつきあい』になるかと思うので、焦らずゆっくり、負担にならない程度に(あくまでも『原則』ですので)、時に立ち止まりつつも続けて行くのだと思います。