しぜんのかがくep47(5/24)〜化粧と美容(その歴史 感染症や病対策)
化粧とは?直感的に思い浮かぶのは顔を装うメイクですね。他に髪を整える、爪を整える、香水などをつけるなども化粧と言えるかもしれません。
今回はメイクアップの化粧の歴史について主にお話しします。
人がメイクをする理由
メイクをすると、気持ちが明るくなって元気がでたり、自信がもてるようになったり、すすんでほかの人と会ったり、もっと外にでかけるようになったりしますよね。ポーラ文化研究所が実施した調査(「ポーラ文化研究所 化粧文化調査2020」レポート2)によると、女性がメイクをする理由として最も多かったのは「身だしなみ・マナーとして」で、過半数を占めました。次いで「肌の悩みをケア・カバーしたいから」「他の人からきれいに見られたいから」「自分に自信をもちたいから」「紫外線から肌を守りたいから」が続きました。
化粧で得たい気持ちとして「オン・オフの切り替えで得られる心地よさ」「楽しい気持ちになる」など、アクティブな方向へ気持ちを切り替えられることを期待している人もいるでしょう。化粧には、外見を美しく見せるだけでなく、心をウキウキさせることで免疫をアップさせるなどの心理的な効果があります。「化粧療法」という言葉もあります。また、メイクで装うだけでなく、UV機能カット等など紫外線ダメージを防ぐこともできたり、最近ではメイク(ファンデーション)で保湿も可能になってきました。
それでは私たちは化粧はいつからしていて、どのようなものだったのでしょうか?最初は全く違った意味を持っていました(「呪術的」「医療的」な意味)
いつから化粧は始まったのか?
いつから化粧が始まったのでしょうか?アクセサリーとは違い、はっきりとはわかっていないようです。アフリカ南端のブロンボス洞窟で7万5000年前のオーカー片(鉄分を多く含む粘土の塊のこと)が発掘されました。当時の人は顔や体に塗っていたそうです。粘土なので赤褐色ですね。描く模様で民族を見分けるたり、呪術的な意味もあったようですよ。今も化粧品に粘土は使われているという話は以前の土の回(しぜんのかがくep.03 )でもしたのですが、強い日差しから肌を守る役割もあったかもしれませんね。
古代エジプトでも紀元前1万年頃から化粧をしていたようです。古代エジプト人というとツタンカーメンの黄金のマスクに見られるような、太いアイラインのイメージですよね。紀元前4千年の壁画にも見つかっているのですが、すでに「コール」と呼ばれる硫化アンチモンや硫化鉛などを原料とした黒い粉で目を囲むようなアイラインを引いていました。
目を大きく見せる効果もありますが、この黒には鉛が含まれており水分が混ざると抗菌作用を示したので眼病予防として男女関係なくアイラインを引いていたようです。
(※金属イオンは、微量でも殺菌性や抗菌性が強いことが知られています。これは、陽イオンの抗菌性物質が陰電荷を帯びている細菌に吸着し、細菌たんぱく質を溶解・変性させて、細菌を破壊・損傷する作用によって殺菌します。銀イオン殺菌などもありますね。)
(※硫化鉛は毒性が高く、発がんのおそれや生殖能への悪影響のおそれ、血液系、神経系、腎臓の障害などの危険有害性があるので今は使われていません。今は安全性の高いカーボンブラックや酸化鉄が使われています。)
太いアイライン(アイブラック)は、外出時の強い太陽光から目を守る「日除け=太陽光の反射によるまぶしさを抑える効果」をとしても役立ったそうです。野球選手が目の下にアイラインを引いているのもその意味ですね。
「クレオパトラ」は、太いアイラインのみならず、濃紺色のラピスラズリ(瑠璃)や深緑色のマラカイト(孔雀石)などの宝石を砕いた顔料を目の周りに塗っていました。これが「アイシャドーの始まり」と言われています。眼病予防用な効果プラス「邪視(悪意を持って相手を睨みつけることにより、対象者に呪いを掛ける魔力)」から身を守るための「魔除け」の意味も持っていたそうです。また目が太陽神を表していたため、目を大切にしていたとも言われています。
日本の化粧の始まり
日本の化粧もはじまりは、儀式や呪術といった「宗教的」意味合いが強かったそうです。日本人の化粧の色は、赤から始まり、白、黒の三色が基本でした。
古墳時代の3世紀後半の古墳から、顔や身体を赤く彩色した埴輪が出土したりしたことから、赤い顔料を用いて、顔や身体に化粧をしていたようです。また、「日本書紀」や「魏志倭人伝」などの文献にも、当時の日本人が赤い化粧をしていた記述がみられるそうです。
特に、目や口の周りが赤く塗られていることから、「目や口という“穴”から、悪霊や悪い気が入ってこないように」という「呪術的」な意味合いで、化粧が行われていたと考えられています。いわゆる「魔除け」ですね。これはエジプトと同じですね。
※ピアスも“邪悪なものから身を守るため”の『魔除け』として身につけていたそうです。耳に光り輝くモノを着けて、暗闇に棲む魔物を遠ざけようとしました。
なぜ「赤」が使われたのかは、定かではありません。
日本も酸化鉄などを含む「赤土」と呼ばれる鉱物を含む土を使っていたという説もあり、殺菌効果があるため「医療的」効果という目的もあったのでしょう。
また、植物の紅花(ベニバナ)も昔から使用されていたことがわかっています。邪馬台国があったのではないかといわれている奈良県の纒向(まきむく)遺跡から、大量の紅花の花粉が出土されました。紅花は化粧の他、染料として使われていたようです。今でも東北の山形県では紅花が有名ですね。山形から紅餅(染料に使う)を京や大阪へ紅花商人が運んでいました。京都の舞妓さんや芸妓さんの紅の色ですね。小町紅という伊勢半という江戸後期からある紅屋の紅は塗り重ねると玉虫色になり江戸時代大流行したそうですよ。
※なぜ玉虫色になるのか?はわかっていないそうです。紅の純度が高いと粒子が細かくなり、乾燥した状態で光に当たると乱反射が起こり、赤色は吸収され人間の目には補色(反対色)の緑色に近い色で捉えられるのではないかと言われています。
そして肌を白くするという化粧は世界的に通用するものでした。肌が白いと日焼けをしていないので、「労働を感じさせない」ため、特権階級であることを誇示する目的や、色が白いことは、「純粋性」という人間の美しさを表現すると言われています。
白い粉は昔は鉛白(えんぱく)といい、鉛が使われていたものと、水銀を原料とした軽粉(水銀白粉)があリました。鉛の白粉はぺったりと白く仕上がりますが、水銀の方は少しキラキラとした感じだったそうです。
軽粉は、水銀、食塩、にがり、赤土をこね合わせ、鉄鍋で約600度で4時間ほど加熱すると白い粉として鍋の蓋に蒸着します。伊勢国(三重県)射和(いざわ)地方から産する水銀を多く原料としたところから、「伊勢おしろい」とも呼ばれ伊勢参りのお土産として有名なのだそうです。
江戸時代に使われたのは比較的安価な鉛白であったようで、オシロイバナの種子の真っ白な胚乳を粉にして混ぜて増量したものも販売されていたようです(私は子供の頃白い粉を取り出して遊んでいました)。
明治時代に白い化粧をいつもしていた歌舞伎役者の中村福助が慢性鉛中毒になり足が震えて急に倒れたことから使われなくなったそうです。今は鉛を使わない白粉(主に酸化チタン)が使われているそうです。
また、日本ではお歯黒は日本独特の特徴的なメイクですね。日本最古の化粧とされ『魏志倭人伝(弥生時代)』や『古事記』にも記載されており、明治時代以降、昭和の初めまで徐々に廃れていくまで続いた長い歴史のある化粧です。白い歯が美しいという現在の感覚は本当に最近のものなのですね。黒は他の何者にも染まらないということから、女性は貞操の印とされていました。
お歯黒化粧に必要なものは「お歯黒水」と「五倍子粉(ふしのこ)」です。「お歯黒水」とは、米のとぎ汁や酢などに古釘など錆びた鉄を入れた水溶液のこと。「五倍子粉」は「ヌルデ」という木にできた虫こぶ(ヌルデシロアブラムシ)の成虫が出た後の虫こぶを粉末にしたものです。タンニン(ポリフェノールの一種で、赤ワインや茶葉、渋柿などに含まれる渋み成分)を多く含むそうですよ。タンニン第二鉄というインクと同じ成分だそうです。これはエナメル質が酸に溶けるのを防ぎ、歯を保護すると考えられています。
(タンニンは歯のタンパク質を凝固・収縮させ、細菌による歯の溶解を防ぎます。また、鉄奨水に含まれる第一鉄イオンは、歯のエナメル質を強化し、耐酸性を高める効果があります。これにより、化学反応で生成されたタンニン酸第二鉄が歯を細菌から守る緻密な被膜を形成します。)
お歯黒道具を使って、この2つ「お歯黒水」と「五倍子粉」を歯に染め付けていきます。毎朝の習慣としての身だしなみだったようですよ。歯の病気の予防にもなったのですね。
ヌルデシロアブラムシの虫こぶ
参考:化粧の日本史 山村博美著 吉川弘文館
防災ひとこと
化粧は魔除けと病気を防ぐ。ポイントメイクは赤、白、黒。
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神田沙織 がりれでぃ スピンオフ
ナチュラル・サイエンス・ラボ
しぜんのかがく
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