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しぜんのかがくep.59 ep.60(10/4,10/11) 能登のまちづくりと復興 ゲスト:能登町役場 上田知史さん、「関係人口」

上田知史(うえだ ともふみ)さん 和歌山県海南市危機管理課勤務。2024年5月から2025年3月まで長期派遣職員として、石川県能登町復興推進課へ出向。主な業務は「復興計画の策定」。ライフワークとして、輪島市や珠洲市にも足を伸ばし、人繋ぎをされています。2024年8月30日には、その成果として能登町復興計画(中間案)の決定と公開をされました。

和歌山県海南市は、南海トラフ巨大地震で最大8メートルの津波が想定されています。令和4年度は、和歌山県海南市は「防災まちづくり大賞 消防庁長官賞」を受賞され、上田さんもこの取り組みに関わっていらっしゃいます。
具体的な取り組みとしては、地域住民と企業による「誰ひとり取り残さない持続可能な地域づくり」を目指し、地域と地元企業で連携した海抜18メートルにある藤白神社における避難場所の整備や実践的な津波避難訓練、これから10年先を見据えた地区防災計画をつくっています。

⭐️今回どういう経緯で能登町に出向されることになったのですか?
昨年、2023年6月2日、和歌山県海南市で令和5年6月豪雨が発生しました。和歌山県でも初めて災害救助法や被災者再建支援法が適用された災害で、危機管理課長として指揮を取っていました。水害だけでなく、南海トラフ地震の対応についても、どうすべきか考えるところもありました。今回能登半島地震の影響が大きかった能登町のまちづくりの支援に行くことで、今後に活かせると思い、自分から希望していくことにしました。

和歌山県海南市「令和5年梅雨前線による大雨及び 台風第2号による災害」
梅雨前線が西日本に停滞。顕著な大雨に関する和歌山県気象情報発令、線状降水帯発生。河川の溢水や内水氾濫により、1400件以上の家屋が浸水。災害救助法や被災者生活再建支援法が適用。

「令和5年梅雨前線による大雨及び
台風第2号による災害」の記録 https://www.city.kainan.lg.jp/material/files/group/46/kirokur6nen3gatsu.pdf

上田さんが能登町役場で仕事を始めるときの掛け声を教えていただきました。土地の文化、町の素晴らしい景色を見渡して、掛け声で仕事を始める…話をお聞きするだけで、前向きな気持ちになりますね。

今日は朝から酒垂(サカタル)神社まで行き、太鼓の音とともに、朝日に照らされた宇出津の町並みを高台から見てきました。復興推進課では、朝の朝礼後、課員全員で「ふっこー すいしん!」の掛け声から始まります。

上田様FBより
酒垂神社 酒樽が神社名の由来。あばれ祭が有名。

 和歌山県も能登町でも神社が避難場所となり地域コミュニティを作る場所でもあるのですね。神社や寺など歴史が古く昔から残されている場所は地域住民が関わり管理していることも多く、地域に必ず存在します。また長年に渡りその場所に神社が存在するということは、災害リスク(特に津波など水害)が比較的低い場所にある神社が多いのではないでしょうか。(和歌山県は9割以上の神社が高台にあります)。参考:「自然災害と地域づくり」朝倉書店 地域伝承がなぜ防災につながるのだろう?

1.復興に向けた対話の重要性 10年後の未来の街の姿

まちづくりには対話が大事。能登町では何度も対話の場が作られてきました。

上田さんが大事にしていることに「地域共同復興」があります。復興は、地域皆で対話をしながら進めていくことが大切です。これは東日本大震災でもそうでした。

行政だけでなく、NPOなど民間主導の対話も行われています。それが、「復興に向けた対話の場「のと未来トーク」」カタリバ代表理事(今村中澤久美さん)たちが行っている「のと未来トーク」(参考:https://nototalk.com/)です。

対話は時間のフェーズによって話す内容が異なってきます。最初は、現在の生活の不便さなどの話題が出てきます。その次にこれからの生活について悩みを共有する場となります。最後に、今後どういう街を作るかと、未来に目を向けた内容になります。

対話の場では、中学生から高齢者まで、男女関係なく幅広い年代の人が参加しています。人口が急激に減っていく危機感。暮らしやコミュニティの再建における女性や子どもの視点。当事者の生の声にはたくさんの大切な言葉があります。
参加した中学生が『子どもの声が大人には届かなかった』と涙を流して話をしていました。災害直後は大人たちが日常を取り戻そうと必死に走り回っている間、子どもの声を聞くことや居場所の確保の必要性。忘れてはならない大事なことを教えられました。

(上田さんが参加された対話の場について印象に残った文章を、いくつか掲載します。)
6/7(金)本日は、地震や津波等で甚大な被害を被った「珠洲市宝立地区」の復興計画意見交換会を見学。いまだに水が出ないこと。トイレが使えないこと。避難所から出れないこと。瓦礫の山が消えないこと。災害で家族を失った方のこと。子どもたちの心のこと。ぎりぎりの精神状態の中で、苦しみとともに、必死に生きている方々の悲痛な声が集まっていた。半島の先、高齢化率53%の町「珠洲市」で起こっている状況は、決して特異な姿ではない。

6/12(水)本日は少しずつ変わりゆく、変わらない能登を歩く。ボードに貼られたみんなの「能登町への思い」も少しずつ集まりつつある。

6/14(金)
仮設住宅前のいつも変わらぬ朝日。夜は築140年、波の音が聞こえる古民家「じろんどん」で復興に向けた意見交換会。奥能登の自然は偉大。時間がゆっくり流れる。奥能登の凄さ。半島の先端がゆえに残されている自然環境。

6/19(水)本日は、能登町復興推進委員会・産業経済部会のメンバーでの対話の場。「このまま何もしない10年後のまちの姿」をイメージした。その後、対話を重ね、「私たちがつくりたい10年後の未来」を想像。次回は、そのためには何ができるのかをみんなで探す。

獣害が増える、漁業の街ではなくなる、高校がなくなるなど、危機感のある意見もあったが、
10年後の姿としては、食を起爆剤とした観光都市、2拠点住まいをする町外出身者が増えるなど前向きな意見も出た。

重たい大切な言葉が次々に語られた。「復興の担い手は町民一人ひとり」対話を積み重ねて復興を目指す道を選んだまちに、新たな息吹を感じた。苦しみを喜びに変えるための一歩。

6/20(木)昨日の部会に続き、能登町復興推進委員会の地域安全・暮らし部会。1.1の地震の発災以降、ずっと地域の苦しみを抱えている方々に寄り添ってきたメンバーによる対話の場。半年近く、目の前の被災者の苦しみに共感し続けてきた方々には、遠い「10年後のまちの姿」を考え、対話することが本当に苦しそうだった。そんな方々から、最後に「子どもたちを中心にしたまちづくりをしたい」「苦しかったけど、これをやらなければ町が復興できないと思って話し合った。色々とやらなければならないことは見えた。官民連携でやっていきたい」という声を聞いた。

6/21(金)「みんなの顔が浮かぶ復興計画をつくりたい」
9/12.13地区在住職員を中心とした職員地区別復興まちづくりワークショップ後のまち歩き地図を前に想像で頭を動かした後の、食べて、歩いて、見て、声を聴く。地域の復興を考えるには、この繰り返しが大切。「虫の目」「鳥の目」「魚の目」能登半島の美味しい海の幸をいただきながら!

⭐️復興計画を作るためには、まずは足でその地を歩き、地域住民との繰り返しの対話が必要なのですね。少しづつ積み重ねた対話から、復興への住民主導の未来へのまちづくりが生まれていきます。ここで話し合いをされている課題や話題は能登の被災地だけでなく、他の地域の課題でも活かせる課題でもあるんですね。

2.対話の場の工夫

○震災前からの住民の交流の場。
能登町春蘭の里の交流宿泊所「こぶし」は、廃校となった旧宮地小学校を利用し、小水力発電、太陽光発電、水素発電等を活用し、施設やEV充電器を守る自立分散型エネルギーシステムを持つ宿泊施設。震災後も施設は使えました。2006年オープンの地域住民の交流の場。普段は市民農園での作業や、農業・農村体験の宿泊場所でもあります。

屋外の対話の場。芝生の上で対話もあります。

野外での対話の場は気持ちも開放的になり、みんなの声を聞こうとするので、積極的な意見が出てくる。星空の下で対話するというアイデアもありました。

○9/3(火)他の県の施設への視察
新潟県「糸魚川市駅北大火復興まちづくり」木造3階建の復興市営住宅。にぎわい拠点施設「キターレ」。歩道には雁木(ガンギ)の再生。防火を目的とした防災広場の整備。早期再建を目指し、様々な国庫補助メニューを積極的に活用し、復興を進めていた。
(平成28年12月22日に糸魚川市大規模火災がありました。延焼面積がひろく、昭和初期に建てられた防火構造に該当しない木造(いわゆる裸木造)の建築物が密集した場所であった。)

糸魚川火災に関する災害を伝える展示

3.事前復興

事前復興は、国土交通省が主体に全国で推進されています。被災前に復興後のことを考えておこうという考え方です。和歌山県海南市では、令和2年から4年にかけて、「事前復興計画」を作りました。災害が起こってから場当たり的に物事にあたるのではなく、長期スパンで10年で何が必要かを想定しておくこと、復興の全体像を事前に把握しておくことが重要です。
復興は時間との勝負。何を選択するかが重要です。より良い復興のためには、発災前に組織や地域としての十分な準備が必要。それが「事前復興」。

4.復興まちづくりとその課題

10年後のまちづくりとは。「子どもたちを中心にしたまちづくりをしたい」「苦しかったけど、これをやらなければ町が復興できないと思って話し合った。色々とやらなければならないことは見えた。官民連携でやっていきたい」「復興の担い手は町民一人ひとり」という住民の声がありました。

6/8(土)能登町内を散歩。公費解体が少しずつ進み始めました。瓦礫の景色が減っていくと、みんなの心が安定してきます。でも、全て空き地に変わり、生活の営みの痕跡が消え去ってしまった後には「喪失感」が待っていると思うと複雑です。
6/26少子高齢化、人口減少、若者の都市部への流出など多くの共通の課題を持つ地方都市。「能登半島地震は日本の災害対応・復興対応」の分水嶺
5/24高齢化率50%の半島の先でおきていることは10年後、20年後には日本の地方ではどこでも起きること。

6/26今回の災害を受け、今後の大規模災害に向け、日本全体で考えていかなければならない課題は非常に多い。少子高齢化、人口減少、若者の都市部への流出など多くの共通の課題を持つ地方都市。『能登半島地震は日本の災害対応・復興対応』の分水嶺。耳にいつまでも残るこの言葉が身に染みる。

7/4 災害公営住宅は、大規模災害であればあるほど、地方であればあるほど、完成してからでは解決ができないと思われる非常に難しい課題を抱える。完成から10年後の姿。空室の問題。入居高齢者の見守りの問題。孤独死の放置の問題。コミュニティの維持や分断の問題。建設により生じた都市構造の変化の問題など…「事前復興」が大切だと感じた方々には、災害前には忘れがちなこの問題にも、ぜひ被災前から取り組んでいただきたいと強く感じます。
⭐️災害が起こる、起こらないに関わらず、少子高齢化、人口減少などの普段からの地域の問題が10年後の未来の私たちの暮らしの姿です。災害が起こるとより顕在化します。どのようにまちづくりをすればその問題の影響を少しでも減らすことができるのでしょうか?
→やはり地域コミュニティで支える地域づくり、町の愛着や祭りによる住民同士の関係づくり、街の外部の人が関わる「関係人口」作りが大事です。

5.被災地域の人々の大切な言葉(自然との共存、恵み、心の潤いを与える支援)

(上田さんが参加された対話の場について印象に残った文章を、いくつか掲載します。)
 家屋の倒壊が激しい町、輪島の町の中心部や美しい棚田集落「金蔵」を、時間をかけて地域の声を拾いながら歩く。その後、千枚田でぼんやりと「災害に逆らうのではなく、自然と共存してきた先人たちの思い」を考えていたら、偶然、近くにいた保存会の方の語りが耳に入る。「千枚田は絶景ではなく、能登の暮らしそのもの。地震は大変だが、壊れるのは当たり前。畑も田んぼも段々。崩れたら形を変えて暮らしていく。それが能登の暮らし。崩れたものに逆らわず、諦めるのではなく、自然から恵を受ける。手作りこそが自然の恵への感謝に繋がる。」必死にメモした。
5/27 能登町の「コンセールのと」で行われていたイベントで、減災ラボの鈴木光さんが懐メロレコードをかけていたので見学し、意見交換。レコード盤の回転を見ながらずっと音楽を聴いていた女性が印象的であった。多様な重層的な支援が被災者を救うのだと思う。テクニカルな力強い支援だけではなく、被災された方の心に潤いをあたえるような支援も大切。まずは多くの方に能登に来ていただきたい。
8/25奥能登に来てからいつもそうだが、必ず、高齢のおばあちゃんが声をかけてくれ、最後は「話をしてくれてありがとう。元気でね」と名残惜しそうに言ってくれる。
珠洲市大谷。主要道も途絶え、スーパーもお店もない場所で住み続けることを選んだ方々の声は、郷土愛という言葉より、豊かで時には厳しい自然環境の中で時間をかけてつくりあげてきた生活への「受け入れ」や「覚悟」と言った感じの方が強い気がする。
80歳を越えてひとりで住む方は「今の生き方しか選べないよ」と言う。「週に一回、移動スーパーが来てくれるから何とかなるさ」「避難所や仮設住宅はごみごみして無理だから納屋で住む方が気楽。ひとりだから」「ずっと山へ入って仕事ばかりしてきたからね」

6/22(土)家屋の倒壊が激しい町野町中心部や美しい棚田集落「金蔵」を、時間をかけて地域の声を拾いながら歩く。その後、千枚田でぼんやりと「災害に逆らうのではなく、自然と共存してきた先人たちの思い」を考えていたら、偶然、近くにいた保存会の方の語りが耳に入る。「千枚田は絶景ではなく、能登の暮らしそのもの。地震は大変だが、壊れるのは当たり前。畑も田んぼも段々。崩れたら形を変えて暮らしていく。それが能登の暮らし。崩れたものに逆らわず、諦めるのではなく、自然から恵を受ける。手作りこそが自然の恵への感謝に繋がる。」必死にメモした。

災害とどのように向き合うべきなのか。復興で大切なことは何なのか。ゆっくり歩くと、奥能登の現場には、貴重な言葉がたくさん飛び交っている。

美しい棚田集落「金蔵」

⭐️自然と共存してきた先人たちの思いを知り、その土地がどのように成り立ってきたか?どのように災害を乗り越えてきたか?自然環境への向き合いかた、付き合い方をしり、愛着のある暮らしにある自然の恵みへの感謝の気持ちがそれぞれの人々のアイデンティティーとなると思います。それを大事にしながら被災地は復興へ向かっていくのではないでしょうか。

6.能登の祭り。復興の力。能登の魅力

能登町宇出津では、7/5-6「あばれ祭」が開催されました。能登町宇出津八坂神社で約40数本の奉燈(キリコ)が町をねり歩き、2基の神興を海や川、火の中に投げ込んで暴れます。暴れ足らないと神様が暴れるそう。約350年前の寛文年間(1661~1672)当地に悪病が流行したため、京都の祇園社から牛頭天王を勧請。盛大な祭礼を始めたところ、神霊と化した青蜂が悪疫病者を救ったことが由来です。
上田さんは祭りに参加して分かったそうですが、能登の人にとって、神事であり、ただのイベントではありません。悪霊を取り払うという人々の願い、地震など災害の影響をを取り払うことを真剣に願っている住民の姿があり、ローカルアイデンティとなっています。2度と災害が起こってほしくないと言う気持ちを表現するためのお祭りにもなるのではないでしょうか。

能登町小木の『とも旗「復興誓能登」』(石川県の無形民俗文化財:御船神社の春祭りで(大漁と船の安全を祈願する祭明治時代の子供の遊びが起源)
被災の爪痕が大きい小木港へ。とも旗祭りで船を出すことは中止となりましたが、旗立ては実施されました。中学生たちが作り上げた壮大な旗が風になびき、下を見ると、小さな子どもたちが停泊した船に乗り、「わたし、海っこだよ」と言って、楽しそうに遊んでます。これが「能登町の力」。
中学生の復興を自ら「誓う」覚悟。「願」ではない。次世代にもつなげていく。

7.能登町復興計画(中間案)の決定と公開 2024年8月30日

次世代が希望が持てる未来のまちづくり。能登町は里山里海がコンパクトに集まっているところ、それが魅力です。そこから紡いで出てきたのが「能登町の暮らしの循環」キーワード:「里山里海」 「暮らし」 「生業」 「祭り」
「恵み」  「知恵」 「感謝」 「人」
長年の里山の暮らしの中で生業が生まれます。能登は1次産業である農業によっり四季折々の農産物が作られます。その中で感謝の気持ちが生まれ、祭りになります。それにより人が集まるこれらの循環を持続化させ「幸せに暮らすまち」になっていきます。住民と共に作る計画であり、項目ごとに住民の意見が書かれています。8月には中間案が発表されましたが、今後外部有識者の意見を聞いて12月末に完成します。
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▼能登町復興計画(中間案)
http://town.noto.ishikawa.jp/www/info/detail.jsp?common_id=21668

「これまで復興しなかった被災地はない。」京都大学防災研究所 牧紀男教授からいただいた言葉です。東日本大震災の時に大船渡市に1週間後に入った時に、地域の職員の人が「この言葉をかけられて涙が出た」と、そして現在10年たった時に「確かにそうだった」という話を聞きました。復興というのは人が行うもの。人がいる限り復興は前に進むもの。人が復興するためには人間自身が復興すべき。特に重要なのは地域で築き上げてきた歴史や文化を知ることが重要です。復興は目指す山は同じですが、アプローチの仕方が異なります。どの道を進むかはそれぞれの街が築き上げてきたものを振り返ることから始まるのではないでしょうか。

8.皆さんへの上田さんからのメッセージ

能登は地震の影響から現在水害の影響もあり、非常に厳しい状況です。そのため、その直後ですので、寄り添うような支援はもちろん必要です。復興というのは5年10年かかるものですので、その中での関わりが重要と思います。能登厳しい自然環境とか今の被災の現状を見ることも必要ですし、復興で変わりゆく姿、また里海や里山が生み出した変わらない美しいもの、景色だけではなくてその中で生み出した農産物があります。能登の自然を見にきてください。観光し、美味しい海の幸を満喫してください。これからも10年20年長いスパンで一緒に街の復興を見ていきましょう。

防災ひとこと 「関係人口」

関係人口(観光以上移住未満)という視点で能登に関わるという視点もあります。能登にボランティアに行く、仕事をする。月一でもいいんです。リモートワークとかも広がっているので、そういう都市住民の人たち兼業や副業などの仕事を地方拠点と絡めてみたり、地域の祭りなどの催事の運営にボランティアで参加してみたり、まずはファンベースの関係性を継続していくことですね、地方においてはやっぱり人手不足なのでそれでも大歓迎なんですね。
国土交通省も二地域居住を促進する初の関連法を、本年5月15日に成立させています。「改正広域的地域活性化基盤整備法」 
地方部を中心として、人口減少が著しく進行している地域において、居住者の生活環境が持続不可能となるおそれが高まる中、このような地域の活性化を図るためには、地方への人の流れの創出・拡大が喫緊の課題となっています。 一方、新型コロナウイルス感染症の感染拡大を経て、UIJターンを含む若者・子育て世帯を中心に二地域居住に対するニーズが高まっており、二地域居住は関係人口を創出・拡大し、魅力的な地域づくりに資するものです。そこで、二地域居住の普及・定着を通じた、地方への人の流れの創出・拡大が必要です

⭐️Podcast本編はこちら↓宜しければお聴きください♪
神田沙織 がりれでぃ スピンオフ
ナチュラル・サイエンス・ラボ
しぜんのかがく


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