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しぜんのかがくep.62(11/22)アニメ「伊勢湾台風物語」神山征二郎監督YouTubeインタビュー裏話。セツルメント活動との関連
アニメ「伊勢湾台風物語」は以前ポットキャスト(ep.58 9月27日)でお話しましたが、アニメ「伊勢湾台風物語(1989年製作))神山征二郎さんのYouTube動画がついに公開となりました!
出演:映画監督 神山征二郎(こうやま せいじろう)
1941年岐阜県本巣郡(岐阜市)出身。新藤兼人監督などの助手を勤めた後、1971年「鯉のいる村」で監督デビュー。全国労映賞受賞。1987年「ハチ公物語」は年間興行収入ベストワンとなる大ヒット。代表作に「遠き落日」「ひめゆりの塔」「学校をつくろう」他。80を過ぎてなお、制作意欲は衰えず。最新作「シンペイ 歌こそすべて(2024年公開)」
企画・制作・著作: 名古屋市港防災センター
聞き手:名古屋市港防災センター長 大場(提髪)玲子
撮影・編集・構成・演出:足立剛( A'sf/P-Step )
1959年発災の伊勢湾台風から65年目となる今年(2024年)、
アニメ映画「伊勢湾台風物語(1989年)」を監督された神山征二郎さんにお話を伺いました。(2024年9月22日収録)
【内容】高校3年生時の伊勢湾台風体験談と、その体験を活かしたアニメの場面の展開、アニメ映画制作のきっかけやその舞台裏、次世代に伝えたいメッセージなど。
神山征二郎さんとの出会い
「伊勢湾台風物語」は、私自身が子供のころに映画館で見て、心に残っている映画なんです。施設で上映した際、「子供に見せたかったので家族で来ました。」という声を毎年聞いていました。それだけ多くの人の心に響いているんですね。
2年前の2022年に中日新聞の記事「服(まつろ)わない(服従しない)」で神山さんの連載を知り、誌面だけでなく、映像で残したいと強く思いました。
今年の夏に、岐阜県羽島市の企画展(市政70周年記念)「映画監督 神山征二郎の奇跡展」が羽島市歴史民俗資料館で行われました。その際に講演会に行き、初めて神山さんにお会いしました。これまで作成された映画作品の数(約30作品)にも驚きましたが、1時間の講演会で滔々と語られているのを見て、施設にお呼びしてお話ししていただこうと決心しました。
神山さんの映画の特徴
神山さんの作品は主に史実をテーマにしたフィクション作品です。
私自身は、それぞれの映画印象深い場面がいつまでも心に残り、どれも忘れられなくなる映画だと思いました。
〇「2人のハーモニカ(1976)」…戦争時代の特攻隊員とその土地に住む子供たちとの交流。淡い恋についても。
〇「千羽鶴(1989)」…広島の原爆症になって亡くなった貞子さんの物語。病床で千羽鶴を折る貞子。白血病で亡くなることがわかってから親が貞子さんに美しい赤い着物を着せて学校へ行かせた場面。
〇「救いたい(2014)」…東日本大震災時の医師の話。鈴木京香さんが麻酔科医。震災で肉親を亡くしたショックから、好きな人の優しさを受け入れることができない部下の麻酔科医。そんな彼女を見て胸を痛める義理の母。祭りを復活させようと奔走する漁港の男たち。
〇「ハチ公物語(1987)」…メガヒット作品。当時日比谷の映画館で、入場2時間待ち、立ち見がでるほど。東京の渋谷駅のハチ公の物語ですね。仲代達矢さんがハチの夢にでてきた場面で涙が止まらない。
〇「ふるさと(1983)」…岐阜県の揖斐川の上流、徳山ダムに沈んだ村の話。美しい山の景色の中で生き生きと生きる子どもたちや、老人の話。
撮影裏話
神山様は現在長野県にお住まいで、約3時間かけて、名古屋にお越し頂きました。駅にお迎えに行くとサングラスをかけて颯爽と登場。本人にオーラがあり重鎮感を感じます。
インタビューの際に、こんなお話を伺いました。
・中学時代の好きな人が「玲子さん」という。中学生3年生の初恋の人。プラトニックであったが、映画になるようなラブストーリーがあった。神山さんは生徒会長で学校の誰もが知っているカップルだった。
・実は犬嫌い。子どものころ、犬にかまれた経験がある。神山さんが監督の「ハチ公物語」は秋田犬、「伊勢湾台風物語」でもブチという犬が登場する。
・災害時の状況を今だったらCGで表現できるが、当時はアニメでしか台風の状況を表現できなかった。伊勢湾台風台風の災害状況の非常に大きかったので、今でもアニメーション出ないと表現できないかもしれない。
親子映画運動
テレビの普及によって映画館の入場者数は1960 年からの10 年間で約 4 分1 に急減し、70 年代を通して回復することはなかった。高度経済成長期を経て、テレビは消費社会の中核メディアとなる一方で、映画は暴力と性表現に頼り、消費の中心となった家族を遠ざけ、周辺的なメディアへと自らを追いやっていく。60 年代後半から 70 年代にかけてのこうした劇映画の変容や大手映画会社の経営戦略については、映画研究者や批評家、当時の関係者によって幅広く論じられてきた。
親子映画は当時者である教師や母親によって、親子読書運動 やおやこ劇場などとともに地域の(児童)文化運動としてその意義が訴えられた。全国各地で文化ホールの建設が進むとそこで親子映画を行うことになる。こうして映画館や入場者が減少するなかで、親子映画の人気 は高まった。
神山さん監督の映画最新情報
「シンペイ〜歌こそすべて」11月20日から長野県先行ロードショー。
2025年1月10日TOHOシネマズ日比谷~全国。
シンペイとは、中山晋平という明治に生きた作曲家。
黒澤明監督の『生きる』(1952年)で主演・志村喬さんが歌った『ゴンドラの唄(いのち短し 恋せよ乙女…)』、『カチューシャの唄』、日本映画初のタイアップ主題歌『東京行進曲』、盆踊りの定番曲『東京音頭』、子どもからシニアまでが口ずさむ『シャボン玉』や『てるてる坊主』を作曲した方ですね。
歌舞伎俳優・中村橋之助さんが主演です。
ぼうさいひとこと 戦争や災害後のセツルメント活動にも通じる?
伊勢湾台風物語アニメが上映された状況(親子映画運動)は、過去の災害時で実施された「セツルメント活動」にも通じると思うんですね。
セツルメント(settlement)とは、「解決、決着」という意味です。宗教家や学生が、労働者街やスラムに定住して、住民との人格的接触を図りながら、医療・教育・保育・授産などの活動を行い、地域の福祉をはかる社会事業です。
最初は外国の民話(ロシアの「せむしの仔馬」)や、『竜の子太郎』(道林一郎、1966)、 『黒姫物語』(家城巳代治、1967)、『ちから太郎』(家城巳代治、1968)と いう人形劇映画を最初に、戦争を扱った『象のハナ子』さんなどが上映されました。主に最初は日本の民話や神話が題材ですね。そこから児童文学に興味を持ってほしいという親の願いが反映されています。
だるまちゃんの絵本作家「かこさとし」も、1950年代、川崎(神奈川県)でセツルメント活動をされていました。
それらの活動は具体的には、子どもたちに勉強を教えたり、絵を描いたり遊んだりするボランティアの活動で、大人向けの法律相談や、衛生面の向上のための診療所も設けられていたそうです。
伊勢湾台風では、ヤジエセツルメントという名称で展開されています。その由来は、被災地である名古屋市南区弥次ヱ町(やじえちょう)です。
主に、被災児童の保育活動を中心とする援助活動でした。劣悪な環境にある子どもたちを支援するため、名古屋大学教養部、愛知県立女子大学、日本福祉大学、愛知県立旭丘高等学校童話部の学生たちが地域で支援活動を行いました。このセツルメントは、仮設住宅内の養鶏所事務所で無償の保育所が解説され、1960年(昭和35年)2月から1962年(同37年)8月までの2年半の活動が行われました。
⭐️Podcast本編はこちら↓宜しければお聴きください♪
神田沙織 がりれでぃ スピンオフ
ナチュラル・サイエンス・ラボ
しぜんのかがく