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8月第5週(後半)

8/29

週あたまから読み始めた本がある。

『WHOLE BRAIN』

火曜日の朝、頭の中のモヤモヤ(思考)をどうにかしようと、検索して出てきた本。

実は先週からすでに「左脳」「雑念」をキーワードに、Kindleでそれらしき本を漁り読みはしていた。
自分のこの考え過ぎる脳が厄介…
そう思ってジタバタし始めて、でもそれって過去何度もくり返し読んでは試みてみたりしたのだけど、いつの間にか元の考え過ぎる思考に戻っている。で時が経つと、やっぱりしんどい。

何度目の、発見の旅だろう…
見つけるべき私は、どこにいるのだろう?


『WHOLE BRAIN』は、著者(神経解剖学者)が突然の脳出血により左脳が機能しなくなったことで、回復するまで右脳の働きのみの世界を体験した、という出来事を経て、改めて脳の中の「思考」「感情」のしくみと、それらの働きによってもたらされる「自分をかたちづくるキャラ」についてきわめて理論的に書かれている。ただ右脳の機能でもある「非言語的」な意識の説明には、いわゆるスピリチュアルな概念も含まれる。

読んでいると『インサイド・ヘッド』を思い出す。
キャラの役割、捉え方が割と違う(インサイド・ヘッドは感情のキャラのみ)が、自分の経験をどのように処理しているか、という点で共通点があり、イメージしやすかった。

たとえば私の場合、「目の前の出来事を、ネガティブ感情キャラによって、過去の類似した嫌な出来事、未来への類似した不安などに当てはめたり比較したりして処理している」みたいなことかなと。

そんなこんな今週ちょこちょこと本を読んでいたら、夕方ある出来事が起きた。

今日は台風で天候がひどくなる予報があった。

朝仕事に向かう時から、なんとも重たい感覚が両肩にのしかかっていた。
その原因は何なのか…気圧なのか、台風そのものなのか?
わからない…
そのまま夕方になって、買い物が終わり車に乗った時。

「やりたくない」

つぶやいてみた。

どうも気圧のせいではないようだ。
これから帰宅して夕飯をつくる。
それがいやなのか?

「できない」

またつぶやいた。

完璧な親になんかなれない。
求められる理想像をいつもこなせるわけではない。

「いらない」
余計な親切なんかいらない。


「入ってきてほしくない」
自分一人の時間が大切なのに。

「わからない」
どうなるかなんて。

そうやって、何度もくり返して、つぶやいてみた。

これは、誰の声だろう?
たぶん、私のメインキャラ(ネガティブ)だ。
しょっちゅう頭のなかでつぶやいているはずなのに、考えてみると口に出すこと、なかったな。
誰にも向けられない、「したくない」という気持ちを吐き出して、吐き出して。

でも結局、何がどうしたわけでもなく、
そのまま家に帰り、黙々と夕飯の仕度なんかをした。

でも頭の中も心も、すごく穏やかだった。


8/30

台風が思ったよりひどくなく、ひどかったら休む気満々だったのに出勤する。
今までであれば、なんかガッカリして、イヤイヤな気持ちで行っていた事が少なくない…
(ガキだな…)

でも、今日は頭で「折り合い」がついているらしく、ネガティブは出てこなかった。
昨日の気づきのおかげかも。

そして、夕方になってまた出来事が起きた。

簡単に言うと、自分なりに理解して取り組もうとしていた作業が、リーダーの意図と違った。
リーダーは、「だからオレがさっきから言ってるでしょ」と言う。
私は内心「は?全然説明してなかったけど?説明下手すぎる…」

あるいは、
リーダー「これ借り物なんだから丁寧に」
私「(え、当たり前でしょ?)ちゃんと跡がつかないようにして後で貼りますけど」

1日経ってふりかえって、
まったく思いやろうとしない関係をつくるのは、私のほうみたいだと気がついた(笑)

この時、
私のほうがわかってるんで!(ドヤァ)
って顔をしてるんだろうな…

『WHOLE BRAIN』に出てくる「キャラ④」は、考える右脳機能。自分のキャラすべてを包括する愛情に満ちたキャラ。対して、いわゆる社会的な顔として日頃表に出ているのはキャラ①。考える左脳機能。どこまでも答えをだしたい、理解したい、把握したい。自分が、自分が、を前に出していく性質。

その姿をイメージすると、その時の私はまさしくキャラ①として、腕を組み、難しい顔して、納得いかない雰囲気ダダ漏れてた。

なのでこれからは気づいたら(気づけたら)、とりあえず腕組みはやめて、穏やかな表情で佇む。キャラ④のように。

そうできるように、キャラの訓練をしようと思った。

8/31

何も用事のない日曜日。
「しなきゃ」がないことはとても楽だ。
最初にそう捉えると、結局は「すべき」な換気扇掃除も、「やろう」と思ってするのだから不思議。

娘は最近元気がいい。
始業式から学校に行くつもりらしい。
そんな姿を見るとホッとする。

そして、そう書きながらハッとする。
あー、これはカラ元気なのか…

「もう休むのは飽きた」
「みんなと同じように生活したい」
頼もしい発言は確かに本当なのだろう、
でも、完璧を求める性格が、より高い高いハードルをつくり続けているのだとしたら。

やっぱりだんだんと休むんだ。
だんだんと元気なくしていくんだわ。

私の中の「不安」キャラがそう続けてくる。
過去がそうだったもの。
期待しては、ガッカリしたんだもの。

そーなんだな、不安キャラよ。
(私はこの人にBeefeeと名付けている)

君は本当によく、辛抱強く相手してる。
娘の悲しみにも怒りにもつきあって、共感してあげている。

でもBeefee、
学校に行けるかどうか、は
彼女の問題なのだ。
君は「私」の仲間なのだ。
私を助け、私の人生を深く豊かにするのに力を貸してほしい。

そして、最終的には、みんなつながってる。
望まずともそうなっている(らしい)。

結局安心はできないだろうね(不安キャラだから)
でも、世の中そこまで不安がって、絶望しなくてもいいところだよ。心配しすぎじゃ他の誰も何もできないからね。

幸せになりたいのは、みんな同じだもの。