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INFJにぴったりのボランティア
今日は久しぶりに、近所の里山づくりの手伝いに参加してきた。
里山の定義はいろいろあると思うのだけど、この会の管理する里山は、本当にちいさな山のふもとを植栽したり、ピザ窯を頂につくったりという、小規模なもの(だと思う)。
そもそも、代表のおじさんの「所ジョージみたいなアウトドア遊びしたい」といった個人的願望から始まった(はず)。それが15年くらい続いていて、会員数は10数名くらい。私以外、一回りかそれ以上のおじさん。
その15年前、頂に桜などの樹を植えるってんで、ちょうど新築引っ越ししたてのうち夫婦含む何組かが選ばれて植樹した。
それからのつきあいではあるが、数年前までは会員の名ばかりで私は全然参加してなかったのだけど、これまた下心ありありなある理由で(里山のDIY道具を個人的に借りたかった)手伝いを再開したのだった。
今日の作業は、落ち葉の回収だった。
ひたすら桜や何やかんや落葉樹の落ち葉をかき集めて、おじさんが軽トラで近所の集積所に運ぶ。(近隣農家に燃やしてもらう)
スタート直後は涼しかったのに、陽射しが強くてすぐに汗ばんできた。
この作業はまったくのボランティアである。
だけど、イヤじゃない。
その理由は何なんだろうと、黙々と落ち葉を集めながら考えた。
たとえば同じボランティアでも、地区の子ども会役員とかPTAとかとは全然気持ちが違う。あと、先日愚痴まくった義父の会報手伝いともまったく違う。
理由はたぶんいくつかある。
ひとつ、思い当たった。
「肩書きがない」
からじゃなかろうか、と。
肩書きとは、ここではつまり
「◯◯ちゃんのお母さん」
「◯◯さんとこの長男のお嫁さん」
とかだ。
里山ボランティアに参加しているとき、
私はまったくの「個であるこの私」として参加している、という意識なのではないかと思う。
もちろんこの意識は実は自分が気にしてるだけで、周りの会員は皆同じ自治会の人達で、私が「どこそこに住む種まきさん」なのも、夫がどこの職場に勤めてるかということも、大体知っている。
でも、作業している間は、私の中では肩書きを意識しなくてすむ。
なんなら、おっさんばかりの会員に唯一加わってる奇特な40代女性、かもしれないが、40代男性もいるのでことさらに珍しいわけでもないようで、なので本当に何の役割も意識しなくてよいのだ。
それから、自然物に触るところ。
何の気遣いも、距離感を気にすることもなく、ただ目的にそって作業できる。
作業が終わると、見た目がスッキリして気持ちいいところ。
あとは…これは性格的に、リーダーとかは勝手にプレッシャーや責任を感じて気が重たいのだけど、ここでは私は何の役もない、できる範囲で来て帰れる気楽な作業員なので、それもすごくやりやすい。
で、いつもは早くに切り上げて先に帰るのだけど、今日はまるまる3時間頑張った。
帰りに、山で採れたキウイフルーツを数個もらった。さすがに疲れた。でも気持ちよかった。
ここは、内向的だけど外とのつながりも少しは欲しい私にとって、ちょうどいい場所なんだということが、わかった。
※年に1回、地域の人を招いて植樹とかピザ焼きとかするイベントがあるんだけど、これは参加しないことにした。すげー疲れるから。