視点の拙さを責めて何になる
選挙期間に入り、SNSでの議論が活発になり、私もいろいろと参考にさせてもらっているのだけど、少し腹が立っていることがある。
それは、一人一人が自分なりに考えたものについて、「視点が拙い」という主旨の指摘があるということ。しかも、それがかなり多い。
政治って、どこかの偉い人がやるものでもないし、
政治に対して意見を述べるのに、勉強してないといけないなんてことない。
一人一人が暮らしの中で感じたことは、ほぼほぼ政治につながる話だし、辛い思いをしているなら、なおさらそれは政治につながる。
そんな政治に関係ない暮らしをしている人なんていないのに、なんで政治を語るのに条件が必要だという雰囲気があるんだろう?
政治に意見するからには、せめて納税くらいしてないとね。
→そんなわけはない。納税してない・できないのは、それだけの理由が社会側にある。そこをどうするのか考えることは政治につながってる。
政治を語るには、まずはちゃんと勉強してからにしようね。
→そんなわけはない。ちゃんと勉強って、どこまで?何をどれだけ?どこまで深く?
国際情勢に詳しくても、人の原理を知らないとわからないこともあるし、団体経営のやり方を知ってても、社会変革のやり方は知らないかもしれない。
それぞれが生きてきた背景があって、その中で培われてきた意見に対して、また他の人が「それは違う」と言いたいのはわかる。でも、上から「何もわかってないくせに」と見下すのは違う。
だったら、せめて、「私はこの視点からこう見えるんですが、その点はどうですか?」と、ちゃんと議論をすればいいと思う。
私の友人は、選挙のたびに、
「考えても考えても何が正解かわからなくなる。だから、どこに入れていいのかわからなくて、自信がなくなる。変な人に入れちゃったらどうしようと思うと、投票するのが怖い」と言う。
この空気が一番怖い、と思う。
いいじゃん、間違ったって。誰にも怒られはしない。
入れた人がどうだったのかは、その後に見ていけばいいことだし、そうやって積み重ねればいいんじゃん?
せめて新聞は読め。ニュースは見ろ。と言うけど、それ本当?
新聞読んでなくても、ニュース見てなくても、毎日の生活の中で疑問に感じたこと、あるよね?それを自分1人じゃなくて、みんなでハッピーに解決するにはどうしたらいい?
そう考えたら、それはもはや政治の話でしょ。
上から目線で文句いう人は、自分がこう思うということを、他の人を貶める目的で発信するんじゃなくて、堂々と自分の主張として言えばいい。
それをもっともっと対等に世の中に出し合ってぶつけあって、議論していけばいい。
揚げ足とりは本当に苦手。
だから、みんな自由に意見を言って、間違ってようが何だろうが、堂々と自信を持って投票すればいいと思う。理由なんて何だっていい。
みんなの一票は貴重な一票だけど、その一票であなたの命が脅かされることもないのだから。
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