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この夏、8足目のわらじを履き始めた

8足目て。
私はタコか。

と、自分でも突っ込みたくなるけれど、この夏、ついつい8足目のわらじを履き始めてしまった。
家事育児、市民活動が3つ、学びの場が2つ、そして有給の仕事が1つだったところを2つに増やした。
どれも、欲張りな私の人生に欠かせない、大切なわらじばかり。

私の座右の銘は「多芸は一芸」だ。
本来は「多芸は無芸」と言われる言葉だけど、多芸のそれぞれを結びつけて展開させていくことで、相乗効果も生まれ、その人だけの1つの大きな芸術領域を生み出すのだと思って、勝手にこんな言葉を創って使っている。
実際、今私が履いている8足のわらじは、全部が全部つながっていて、見事に相乗効果を生み出し始めている。

昔から、こうやっていろんなことに手を付けて、いろんなことを同時に展開していくタイプなのは変わらないのだけど、それゆえにパンクもしやすく、エネルギー切れになることも多く、自分自身の扱いがこれまではあまり上手ではなかった。(今でもパンクしたりエネルギー切れは起こすけど)

ただ、ここ数年は、私自身がエネルギーが有限であるということ、プラスのエネルギーじゃないときに無理にやってもいいことがないというようなことが、身に沁みてわかってきたのもあって、随分器用な(ある意味ずる賢い)立ち回りができるようになってきた。
それもあって、気が付いたら8足のわらじを履いていた。多分過去最高記録。

8足のわらじを履くなんて、すごい!エネルギーに溢れてる!と思われるかもしれないし、実際そういう面もないわけじゃないけど、実態としての総エネルギー消費量は、フルタイムで働いていた頃よりグンと少ない量で回っている。

なにせ、8足も履いているので、基本的に一つ一つはそんなに重くない。全力投入できない時がある、というかむしろ、全力投入はできないというのが基本だったりする。
その上で、全体のエネルギー総量を超えないように、バランスをとっていく。ただそれだけのことだ。

なんでこんなことになっているんだろうかと、考えてみたのだけど、この暮らし方に行き着いたのには、いくつか理由があった。

一つは、次男の不登校だ。
毎日朝にならないと、行くのか行かないのかわからない。どんなサポートが急遽必要になるのかもわからない。
それにすぐに対応できるようにするのを前提に暮らしているので、その条件で抱えられるものだけを抱えるようにしてきた。結果、重いものはほとんどなく、状況に応じて対応ができるようなものばかりが集まっている。

もう一つは、私の過集中という特性だ。
何かをやるときに、基本的に集中モードを発動したら、しばらくは戻れない。その代わり、集中力を活かして短時間で何日分の成果を出す。
この過集中を活かせるやり方を模索した結果、オンとオフの差が激しくても問題ないものばかりが集まっている。

なので、今の私の8足のわらじは、実は突発的な状況にかなり強い。全部が全部調整がしやすいから、調整の手間はいるけど、そこさえクリアすればストレスは低い。どこかで大きなトラブルが起きたら、他のものは限りなくゼロに近づけることが容易にできる。そして、同様に何かに全集中しようと思ったときにも意外とやりやすい。

一番困るのは、3つくらいのそこそこ重要なことが重なるとき。
でも、逆に言うと、そういう時だけ、めっちゃ段取りをすれば、後はわりとなんとかなる。

今までいろんな状況で生きてきたけれど、もしかしたら今が一番心地いいかもしれない。

多芸は一芸。
いよいよ芸の域に片足を踏み入れた感。
あとは、極めていくのみ。

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