想うことしかできないけれど。
2011年3月11日14時46分、あの地震で、人生が一変した人々。
私は、テレビやラジオで報道される情報を知ることしかできない。
その想いや辛さを私は、想像することしかできない。胸が締め付けられるような苦しい想い。しかし、それだけだ。
どんなに想っても当事者ではない。
山形市内も凄い揺れが何度も襲った。全ての電気が消え、ろうそくで一夜を過ごした。
翌日の夕方に電気が復旧し、テレビをつけて、ゾッとした。
まるで、映画の中の世界のような津波の映像。
知らない間に、近隣の県でこんなことが起こっていたなんて。
一瞬で変わってしまった街並み。
家族の安否がわからない人々。
目の前の状況が現実だとは受け止められない。
日に日に被害の大きさがわかっていく。悲しみが襲う…
私は、3月11日から15日後に2人目を出産した。余震が続く中での出産だった。
娘の成長と共に毎年のように地震を思い出す。
今まで私が被災地の為にやってきたことは、被災地の特産物を購入すること。前に訪れた被災地を見に行って想いを寄せること。
そんな事しかしてこなかった。
被災地の皆さんは強い。10年が経とうとしている今も避難先で頑張っている人々。地元で頑張っている人々。
そして、それを悲しみで終わらせるのではなく、地震の被害を後世へ伝えている。凄いことだ。
これからも続いていく未来へ、東日本大震災は多くの影響をまだまだ残していくのだと思う。
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