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快晴ではない景色
前回の記事で精通していない言語の音楽や歌詞の無い曲を好んで聴くと書いた。今回は僕のそんな偏執的なアンテナが向く音楽を列記してみたい。
リオオリンピックの閉会式でブルガリアンヴォイスによる君が代を披露した三宅純。余談だがこのアレンジを打診したのは椎名林檎だったという。ピナ・バウシュなどの舞台音楽を数多く手掛けているのは知っていたが数千ものCM曲を提供していたのは全く知らなかった。数年前に観たKAATでの凱旋コンサートは僕の中ではDavid Byrneの「American Utopia」と並んで白眉。様々なエッセンスを取り入れて独自の世界観を提示してくれるミュージシャンは数多く存在するがデザインこそ最新だがペラッペラのポリエステルのコートを着ているような借り物感が否めないアーティストも沢山存在する中で三宅純やDavid Byrneは吸収してきた異端の成分がしっかりと血肉となり力強く脈打っているように感じてならない。
上記のアーティストは精神状態が安定している時には心地良く聴けるものの少し心が揺れている時にはバター多めのクリームシチューで胸焼けするような感覚になることもある。そんな時はサワークリームを入れずに飲むボルシチのような中野公揮を聴くことにしている。彼のMVには必ずと言って良いほどコンテンポラリーダンスがフィーチャーされダンサーのためにあつらえたかのような曲調に最初は嫌悪感を覚えた。しかし、Issei Miyakeのファッションショーで何かが乗り移ったようにピアノを弾く彼を観てからは印象が完全に変わった。彼の音楽を聴いていると呼吸が出来る。何故前述のコンテンポラリーダンサー達が我が物顔で気持ち良さそうに踊っているのか、それは呼吸が出来る隙間が彼の音楽には必ず在るからなのだ。またもや余談になるが彼の所属するレーベル Nø Førmat!はニッチで良質のアーティストを多く抱えていることで有名である。
今回の最後を締めてもらうのはAnn Burton。一言で例えるなら彼女の声はオブラートに包まれたバターキャンディ。期せずしてクリームシチューからのバター繋がりとなったが不思議と彼女のバターは胸焼けしない。甘さが売りのシンガーは数あれど程良い塩気を含んだアーティストは少ない。そこが僕が彼女を評してバターと言う所以。派手さは無く歌も超絶巧い訳でも無く声域も狭い。しかし彼女のアルトヴォイスはひきはじめの風邪ぐらいなら治してしまう成分を含んでいる。また、英語がネイティブではない人だからこそのもたつく発音がまた良い。「雨の日と月曜日は」の「What I feel」を「ふぁらいふぃーる」ではなく「ふぁだいふぃーる」と発音するとこなんかゾクゾクする。