『禍福は糾える縄の如し』
まさにその通りだなぁと感じる時がある。「表裏一体」という言葉も深い実感を持って共感出来る。あまり波風立たずに低空飛行でも良いから穏やかに日々を送りたいと願うも、自分一人で生きているわけではないから他人にペースを乱されたり見えざる何かに躓くことは日課みたいなもので、逆にそういうハプニングがあるからのっぺりとした感情に陥る事もないと感謝する気持ちの方が大きかったりする。
幸い、若い時よりも心の耐性が出来てきているからか喜びの絶頂の時にドン底に突き落とされるような事が起こっても何とか乗り越えられるし、底辺を彷徨っている時に救ってくれる良い出来事があったとしてもぬか喜びはしない。現実はドラマより奇なりとは言うが、天を仰いで膝から崩れ落ち土砂降りの雨に打たれて泣き叫ぶ、なんてことは現実ではそうそう起こり得ない。しかしながらドラマの筋書き通りに物事が運ぶと言う事もまた否。予期せぬ不意打ちを喰らわされて動揺する、なんてことは日常茶飯事だ。
アキ・カウリスマキというフィンランドの映画監督がいる。彼の撮る映画は一見感情の起伏など完全に否定しているかのように見える。しかし、粛々と佇む登場人物達の心境はとても穏やかとは言い難い。静かな描写イコール静かな心理、では全く無い。
「色々あるけどさ、結局自分で受け入れて生きていくしかないんだよな」と突き放しつつも優しく見守っている、そんな彼の視線と同じような気持ちが自分の中にも存在することに気付いて安堵する。
「かふくは あざなえる なわの ごとし」