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地獄の十王 その1.泰広王

創作のために創作する。
十王をキャラクター化しておもろい作品に昇華できると思えた。

「地獄」って子どもも大人も、コンテンツとして大好きだよね!
それについての記事、一つ目。

本記事は地獄の裁判長たち・十王において、亡者に最初の裁きを与える王。

その名も“泰広王(しんこうおう)”
について。

その旅路も含めてのメモである。

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1.三途の川のその前で...

人が亡くなると、死後の世界で裁きの旅が始まる。
これを中有の旅といわれたりする。

中有の旅…人の死後49日の間、霊魂が中有に迷っていること。冥途 (めいど) の旅。(goo国語辞書より)

十王の裁判は概ね、命日から七日おきに行われる。
泰広王はその第一回目、つまり初七日に行われる。

※死後49日間(=四十九日)以降も、十王の裁きは続くのだが、それは第7の十王・泰山王の際に記す。

最初の裁判に行くために、亡者が進まなければならないのが「死出の山」。
険しいだけでなく、殺風景で美しい眺めなんてあったものでない。肉体的にも(あるわけないけれど)、精神的にも疲弊する旅のスタートである。

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さて、富士登山よりも長く険しい山道を七日間も歩いてたどり着くのが、泰広王の御前である。

クッタクタになった亡者は、
「お救いください」「極楽へ導いてください」「助けて」
など、問答無用で訴えかける。


そんな哀れに嘆く彼らに、泰広王が与える言葉は決まってこうだ

「お前達は何度ここへ繰り返しやってくるのか」

裁きの後で亡者は、ご存じ三途の河へ向かう。奪衣婆とか賽の河原とかが名スポットだよね。

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ん?まだ河渡ってなかったの?!
裁きの後に渡るものだったの!!?

調べて驚きました。第一の王・泰広王の裁きは序盤も序盤の地獄前。
つまりこの時点では、“まだ彼岸を渡っていない”のだ

地獄の六道辻にも入っていないのに、一体どんなお裁きを与えるというのだろうか?
では、われわれが思い浮かべる裁判のようなものと、地獄の王のお裁きとがどう異なるのか、泰広王が与える言葉から確認していこう。

2.与える裁き

十王の裁判の役割は、はたして亡者が地獄行きか極楽行きか。どの地獄へ送るべきか。
そうしたふさわしい“罰”だけを決める単純なものではない。

重要なのは、

亡者自身に罪を自覚させ、受け容れさせること”

それができるまで十王達の裁判は続いていく。


...まぁ最低でも閻魔王様までは行かないとだよね。行って欲しいよね。

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よって第一の十王・泰広王が亡者に与える裁きは、「お前は○○地獄行き!」などではなく、

「なぜ地獄にまたやってきたのか」という哀れを含んだ叱責なのだ。
※正確には十王がいるのは地獄ではないという話も聞くが、そこは割愛。

十王の裁きを受けなければならないのには理由がある。何の罪もない魂に何の罰も与えられないからね。
亡者には大きい小さい関わらず、現世で犯した罪があるのだ。それに気づいてないだけだ。

それを聞くと、まだ地獄にやってきたばかりの亡者はこんなことを言いはじめる。

「私の現世はろくなものではなかった!だからこころの余裕がなかっただけ!」
「生まれながらの才能や環境で、良い人生が送れなかったのだ」
「私たちはむしろ哀れな人生を送るしかなかったのだ!」

......クレーマーかな?地獄の王だぞ、おい(汗)


仏教では魂は生まれ変わることができ、前世(生まれ変わる前の人生)での行いによって、転生先の良し悪しが決まる。

しかし転生先は同じ「人」とは限らない。
前世の行い次第では「獣」「虫」などの生きものや、「餓鬼」「修羅」など苦しみの世界へ転生させられたりする。現世で良いことをする=善行は大切なのだ。

それを踏まえて泰広王はこう答える。

以前にもお前はそう言ってここにやってきた。
前回受けた地獄の責め苦の中で、心から反省し、もう2度とこんな苦しみを受けまいといって、現世へ戻っていった。

なのに、あろうことか今の自分がここにいることを“罰に苦しみ、心から反省した”前世の責め苦のせいにして、再び地獄にやってきた自分を不幸だと思うなど浅ましい!

第一の王が与える裁き=言葉とは

“今お前がここにいるのは、(前世などでなく)今のお前自身のせいだ”

という地獄で自らの罪を受け容れるための大前提だ。

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3.信仰対象としては「不動明王」

閻魔様を含む十王は恐ろしい顔をした絶対者として描かれることが多い。

それは亡者に厳しく接している無慈悲な存在と思われる。
だけど、そんな十王に信仰をもつ考え方がある。

「本地仏」という考え方では、地獄の王はそれぞれ仏様が姿を変えた化身として現れているとされる。
つまり彼らはわれわれを苦しめる鬼ではなく、われわれを救ってくれる救いの存在なのだ。

泰広王もその正体は仏様だ。
本地は「不動明王」である。

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めちゃ怖い顔をした仏様の一種である。その役割は大きく三つ。

・仏教を信仰しない民を、畏怖させてでも教えによって救おうとする
・仏の教えを守らず、仮の快楽に心浮かれている民衆の有り様に心砕く様
・煩悩や教えを踏みにじる悪に対する護法の怒り

悪い行いや欲望にうつつを抜かしているわれわれに対して
「(゚Д゚)ゴルァ!!ーーーーー!!!」
と愛の鞭を振りかざしてくれる熱血な仏様なのだ。

また仏教を信仰してない人にも、「そんなことでは地獄に行っちゃうぞ!」と怖がらせてまでも教えてくれる。
だけでなく「よし、善いことをするぞ!」と決心したばかりの人たちを邪魔する悪霊や煩悩などからも守ってくれる。初心者に優しい存在なのだ。

そんな不動明王が姿を変えた泰広王が、地獄で最初の裁判を任されている。かつ“明王”という熱血タイプの仏様としては唯一である。


ここには以下の理由が考察される。

・欲に浮かれて現世を過ごすことを「悪いこと」だと第一に教えるため
・転生先では、今回と同じような人生を送ってはならないと教えるため
・畏怖によって地獄の恐ろしさを教え込むため

つまり泰広王が亡者に浴びせる言葉の本質はズバリ!

「もうこんな所にやってきてはダメだぞ!!」


.....いいお方やん。

とっても厳しい、怖い。
でも本当は優しい。

それが十王という存在をキャラクター化する点で楽しい要素だ。

4.〈参考文献など〉

『地獄の経典』山本 健治(2018)株式会社サンガ
『地獄巡り』加須屋 誠(2019)講談社現代新書
『十王讃歎鈔』系諸本と六道十王図 鷹巣 純(1997) 純東海仏教 (42), 1-17.東海印度学仏教学会


死後の十王(全13回)2020.10.10

https://www.youtube.com/watch?v=-YTuhWzSizs


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