地獄の十王 その2.初江王
創作のために創作する。
十王をキャラクター化しておもろい作品に昇華できると思えた。
地獄の旅路も含めた記事、その二つ目。
本記事で取り扱うのはその名も“初江王(しょこうおう)”。
三途の川を渡りきった亡者が、死後14日目にして受ける裁きの王。
はたしてどんなお裁きをするのかな?
そのメモである。
1.十王アイテム・壇茶幢(だんだどう)
第一の王・泰広王の裁きを受けた後、三途の川を渡りきった亡者が次にお見えになるのは初江王の御殿である。
ここで亡者に行われるのは
“生前行った善行”
を問うことだ。
善行とは、文字通り仏教における善い行いのことであり、これを行うこと=徳を積むことである。
徳をたくさん積めば、次に生まれ変わるときはより良い転生先になる。
さらに、仏様のような悟りを開くためにもこの徳を積む修行が大切だとされている。
善行の例)
・布施...困っている人に施しを行ったり、分け合うこと。
・戒....さまざまな戒律を守ること。
・作務...看病や他人の手伝いなど、無償の奉仕。
・説法...お経を唱えること。またお経を聞くことも善い。
・見直業...正しい見解を持つこと。
お坊さんが行っていることはこれら徳を積む修行であり、説法はまさにそれだ。
聖職者ではないわれわれも、生きものを大切にしたり、人に優しくしたりなど、私利私欲におぼれず清らかな心がけを行うこと。
また家族や親、周りの人を大切にすることも善行である。大事!!!
さて、亡者は王の前で生前の善行を告白する。
しかしここはまだ地獄の第二番地。
少しでも軽い罰に逃れようと浅ましく考える亡者ばかりだ。
「え~っと、良いことばかりしたんですけど、具体的にはちょっと忘れちゃいました(^_^;」
残念な亡者。そんなのは通用しないのだよ。
なぜなら初江王以降の王には、地獄のアイテムがあるからだ。
その名も“壇茶幢(だんだどう)”
またの名を人頭杖ともいい、生前の亡者が行った善いことと悪いことをすべて記録している。
いわば地獄のアレクサだ。
「こいつは生前、アリをいっぱい踏んでいたぞ!」
「こいつは生前、落とし物を拾っていたぞ!」
地獄の王の前に、“嘘”は通用しないのだ。
この“嘘”というものは十王裁判において、重要なものだ。改めて確認しておく必要がある。
なぜなら初江王においては、
「嘘をつくことは咎められない」からだ。
なんで???
2.与える裁き
なぜ初江王は亡者の嘘を咎めないのか。
前もっていっておくと、初江王は優しいお方なんすよ。
嘘をつくことはいけないことだ。地獄のレベルにおいても五番目に重い罪となり「大叫喚地獄」に落とされ、8000年も苦しみ続けなくてはならない。
また、小さいときにも「ウソをつくと舌を抜かれる」「嘘つきは泥棒の始まり」など、嘘は善くないと教えられてきたものだ。
初江王は嘘を咎めない。
代わりに、現世に残る家族や身内を恨んだり、怒りを向けたものは即地獄へたたき落とす。
初江王が壇茶幢を用いて主に問うのは「生前の善行」。
これは周りの人にどんなことをしてあげたか、を問うことでもある。
犯罪や悪行だけで判断せず、その人が周りにどんな関わり方をしていたか、内面の善に注目する王なのだ。
特に家族や身内との間ではより重視される。
人が亡くなったあと、その人を弔うために「お葬式」や「お墓参り」などの行事が仏教にはある。お彼岸とかね。
これらを「法要(追善)」という。
これは現世の人たちが、亡くなった相手を大切におもうことで成り立つ。
「おじいちゃん、今までありがとう」
「おばあちゃん、もっと話したかったよ」
「ポチ、ずっと大好きだよ」
死者との間で行う行事=感謝を伝える行事
こうした追善に初江王はすごく弱いのだ。
「おまえ、良い奴だったんだな~~(T-T)」
「みんなから愛されていたんだな...ウゥゥ....」
亡くなった後にその身内が、きちんとお葬式をあげてくれたり、お墓に弔ってくれたり、お坊さんに頼んでお経を唱えてもらったり。
十分に大切にしてくれていることがわかると、初江王は裁判を延長し、第三の王へ導いてくれる。
人間関係の間にある“愛情”を大切にしてくれる、とても人間味のある王なのだ。
だから大切な人に法要をするのは、地獄の裁判で亡者を支えることになるから大切なんだよねo(`・д・´)oウンウン
逆に
そうした法要をしてくれなかったり、してくれた身内に対して悪態をついたり、恨みを向けたら初江王はブチ切れる。
「あいつら...あんだけ良くしてやったのに俺に線香一つあげないなんて、ゆるさん!」
「私がこんなに苦しんでいるのに、まだ生きているあいつらは何の弔いもしてくれない!ひどい!」
こういうこと言うと、初江王はこう返す。
「だまらっしゃい!!
あなたがここにいるのは生前の行いのため。
あなたが生者に弔われないのも、あなたの生前の行いのため。
残された家族の哀しみを棚に上げて、自分への罰から逃れようとする。あさましくも彼らに恨みをもつなんて、その心こそあなたが今ここにいるわけです」
泰広王の裁きとも似ているが、やはり今の自分が裁きにあうのは自分のせいだ。そしてそれは家族のせいにしてはならないのだ。
“残された家族の振る舞いは、生前の行いを映す”
3.信仰対象としては「釈迦如来」
初江王の本地は「釈迦如来」
いわゆるお釈迦様と呼ばれる仏様の一種だ。
またの呼び名を“ガウタマ・シッダールタ”。実在した人物である。
仏陀と呼ばれる悟りを開いた者の中で一番有名なのではないだろうか。
遠い昔のインドで仏教を開き広めた、偉大なその人である。
いろんな逸話や伝説があるが、やはりなんといっても「人の世から仏になった」というのが特徴だ。
“この世は諸行無常である”
“執着から離れることが悟りへの一歩”
“自分の心によく気づきなさい”
こうした教えには、彼が王族の地位を蹴ってまで仏の道を進んだワケ。
当時のインド社会で、貧困・病・格差・飢えに苦しむ人々を救うにはどうすればいいか。
つまりどんな人間も逃れられない「死の悲しみ・生の苦しみ」を重視したからだと思える。
そんな仏様が初江王の正体だというのは納得できるところがある。
・残された家族の哀しみと想いを感謝で伝えることを大切にする
・亡くなるまでに周りへ向けた優しさを大切にする
・死は苦しみではなく、むしろその人との繋がりを思い起してくれる
初江王の質問の本質とは
「亡くなるまで、どれだけ身近な人に優しくできたか」
...なんだか、大切な人にありがとうを言ってあげたくなるね。
あらためて、死ぬそのときまでに伝えられるだけの感謝は伝えておこうと思える。
4.〈参考文献など〉
『地獄の経典』山本 健治(2018)株式会社サンガ
『地獄巡り』加須屋 誠(2019)講談社現代新書
『十王讃歎鈔』系諸本と六道十王図 鷹巣 純(1997) 純東海仏教 (42), 1-17.東海印度学仏教学会
死後の十王(全13回)2020.10.10
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