「中秋の名月=満月」じゃないって知ってました?
一昨日は中秋の名月。
そして昨日は満月。
「中秋の名月=満月」じゃないって知ってました?
僕は知りませんでした。
月って見てると癒されます。
日光浴ならぬ月光浴という言葉もあるそうです。
月ってどこまでもついて来てくれる感じがしてなんか安心します。
以前、新大阪か名古屋から東京に帰る新幹線に乗ったときのことです。
新幹線が出発するときに窓を覗くと月が見えました。
近くの景色はすぐに過ぎて行ってしまいますが、月だけはずっと一緒について来てくれるんです。東京に着いたときにも、月はそこにいてくれました。
月って自分では光を発することはできません。
太陽の光が反射して光って見えます。
たとえ三日月に見えるときであっても、本来、月はまん丸です。
これって人の心も同じようなものだと思います。
人の心は本来まん丸な状態で生まれて来ます。
ところが、生きていくうちに、だんだんと形がいびつになっていきます。
正確にいうと、愛されるために自分を切り捨てていきます。
小さい頃に騒いでいたら、親にうるさいって怒られます。
親に愛されるためにやんちゃな自分を切り捨てます。
小さい頃は、親の愛がないと生きていけません。
生きていくために、自分を切り捨てて全力で親の愛を取りにいきます。
こうして自分を切り捨てながら生きていくうちに、本来、まん丸だったはずの心が大人になるにつれ、形が崩れていきます。
それでも切り捨てた部分は、なくなったわけではありません。
三日月に見えても、本来はまん丸であるように、人の心も欠けている部分があったとしても、光が当たっていないだけであって、実際にはそこにも心があります。
ただ、そこは生きていくために切り捨てた部分なので、光が当たって見えてしまうと都合が悪いんです。なので、光が当たらないように隠しているんです。
光の当たっているところだけではなく、光の当たっていないところも含んだ全体で見てみると、いつもとは違った自分が見えると思います。
人生の目的は、形の崩れてしまった心をまん丸に戻すことかもしれません。
光が当たると都合が悪いところに光を当ててみる。
そして少しずつ形を取り戻していく。
それが心を癒すということなんです。