未だ、夜明けは遠く
人生は決断の連続です。「明日の晩ごはんを何にするか?」という些細な決断から、「この人と結婚してもいいのか?」という大きな決断までさまざまあります。
大きな決断ほど決めるまでに時間がかかります。それに一度決断したからといって、人生が大きく変わるとも限りません。「仕事を辞める!」と一度決断しても、その次に「本当にいいの?」という言葉が頭の中から出てきます。
決断の連続というのは、問われ続けている同じ問いかけに対して、その都度決断していくことなのかもしれません。一度作家になると決めても、「本当になるの?」じゃあ「毎日文章書くの?」、「今日も書くの?」と、問われ続けられると、どこかで気持ちが続かなくなるときもあります。
夢を追い続けるといいますが、何回か追うのではなく、何度も何度も追い続けるということなんですね。夢が叶うまで決断し続けられた人だけが、夢を叶えることができるのでしょうか?夢を叶えるって、そんなに大変なことなのかな・・・
なんか、夢を追いかける人が少ないのも、わかるような気がします。だからこそ、夢を追いかけるのは尊いことなのかもしれません。大好きなことをやって生きようと言いますが、大好きなことはやっているだけで幸せというのもありますが、そもそも大好きなことじゃないと人は続けられないという、ごく当たり前のところが本当の理由かもしれない。
決断し続けるにはエネルギーが必要です。大きな決断にはさらに大きなエネルギーが必要です。時には人生の岐路に佇むこともあります。こんなことを考えてたら、ある曲が僕の頭の中に流れてきました。
僕の青春時代を思い出させる名曲です。GLAYの中ではいちばん好きかも。「何を恐れているのかもわからず」、「出口を探している手探りで」、「人生の岐路に佇む」、「擦り切れた若さの残り火この胸にくすぶらせている」歌詞の内容が見事なくらい、今の僕にぴったりです。
20年以上前の曲が今の自分に響くというのは、言葉の力の成せる技かもしれません。むしろ、青春時代の頃よりも当てはまってます。僕は本からはもちろんのこと、音楽の歌詞からもインスピレーションを受けて来たのを思い出しました。
未だ夜明けは遠いかもしれないし、夜明け前がいちばん暗いともいいます。だけど、明けない夜はありません。とはいえ、実際の夜明けは1日1回必ず訪れるのに対して、人生の夜明けはいつなのかわかりません。人によっては何年もかかることだってあります。
そんな、手探りで出口を探している人をサポートするのが、僕の役割なのかなぁと思う今日この頃です。