社会主義の悪いイメージとソ連
初めまして。reiichiです。
社会や経済をテーマとした文章を書きたくなったので
これから色々そういった発信をしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
ということで今回は、社会主義について書きたいと思います。
社会主義の悪いイメージについて
「社会主義について書きたい」と言っても、
社会主義は割とイメージが悪いので
その時点でブラウザバックしたくなるだろう。
その気持ちはすごく分かる。
だからこそ、この先を読み進めて欲しい。
なぜかと言うと、
社会主義に対する悪いイメージは誤解が多いからである。
というわけで、それについて
今回はソ連を中心に説明していきたい。
ソ連の体制
社会主義の悪いイメージは
ソ連の悲惨な結末にあるかと思う。
独裁体制のもとで国民の自由は失われ、
反抗する者は粛清された。
さらに大量の餓死を引き起こしたりなどで
ソ連は悪夢のような社会となり、
最終的には体制が完全に崩壊した。
ソ連の失敗が社会主義の失敗として捉えられ、
資本主義が最善のシステムであるとされた。
しかし、
ソ連の失敗を社会主義の失敗と捉えるのは
本当に適切なのだろうか。
そもそも、ソ連は社会主義であると言えるのだろうか。
個人的には、そうは言えないと考える。
確かにソ連の体制はマルクスの理論を引き継いだものである。
しかしそれはあくまで、マルクスの一つの解釈である。
そしてそれは、歪められた解釈である。
階級と所有
マルクスは資本主義社会における階級の存在を指摘した。
それが、「資本家階級」と「労働者階級」である。
これらの階級の違いは、生産手段の所有の有無により分けられる。
生産手段とは簡単に言うと、
商品を生産するために必要なもの(土地や機械など)のことである。
資本家階級は生産手段を所有し、
労働者階級は生産手段を所有しない。
この「所有」という概念が階級を形成する要素である。
するとここで、
所有を法律的に廃止さえすれば
階級の問題は解消されるのではという考え方が出てくる。
そしてそれを実際にソ連が実施した。
生産手段の所有は法律的に廃止され、
それらは国家の官僚が管理することになった。
そしてソ連は階級のない社会を謳ったが、
実際はそのようなことはなかった。
というのも、
「所有」を「法的なもの」ではなく「概念」として見れば、
「生産手段を所有する官僚」
「生産手段を所有しない国民」
という構造ができる。
すなわち、
ソ連の体制には形が変わっただけで階級は存在していた。
所有を「法的なもの」として捉えれば
生産手段を国有化することで階級の問題は解決できるが、
所有を「概念」として捉えれば
所有の法的な廃止が階級の問題を解決できないことが明確になる。
そもそも階級を解消できなかったソ連が
本当に社会主義国を名乗れるのだろうか。
疎外論
マルクスの理論において重要な概念が疎外論である。
疎外論とは、
本来人間の内側にあるべきものが外部化され、
それが「観念」として人間を支配することで
人間が人間としての本質を失ってしまうという現象である。
労働の疎外という観点で言うと、
本来労働とは人間が自ら発揮できる力であり、
自主的にその力を発揮することで
生産活動を行うことができる。
しかし、資本主義社会では
労働はあくまで利潤を拡大させ、
資本の力を強めるための手段となる。
この社会の主役は資本となり、
資本の力を強化するのに都合の良い
生産の在り方が重視されることで
人間は労働において主体性を失ってしまう。
さて、マルクスは労働における疎外を問題視したのだが、
ソ連は疎外をどのように解消しようとしたのだろうか。
答えは、
疎外論そのものを否定することによってである。
厳密に言えば、
疎外論はソ連にとって都合が悪く、
それを否定せざるを得なかった。
ソ連では
官僚が生産手段を支配しており、
国民はその生産手段に対して主体性を持たなかった。
この事実は、
ソ連においても労働の疎外が存在していたことを
明らかにする。
しかし、
疎外論を認めてしまうと
ソ連には「生産手段を持つ官僚」と
「生産手段を持たない国民」との間に
階級が存在しており、
官僚という支配階級によって
国民の生活が疎外されている事を認めることになる。
だから、
「階級のない社会」を自称していたソ連にとって、
疎外論は都合が悪かった。
マルクスが問題視したものを
解決するどころか、それを否定して
無かったことにしたソ連が
社会主義国を名乗れるのだろうか。
まとめ
今回は、
社会主義に対する悪いイメージを作っている原因である
ソ連の体制についての考察を行なった。
一般的にソ連は社会主義国として認識され、
ソ連の崩壊は社会主義の失敗とされている。
しかし実際は、
ソ連はマルクスを歪曲した
残酷な独裁国家であり、
そこに実在した階級や疎外は
ソ連の体制が
社会主義が理想とするものとは程遠いものであることを
明らかにする。
したがって、
ソ連の崩壊を
社会主義の失敗とするのも、
マルクス批判に利用するのも、
ソ連がどのような体制であったのかを分析すれば
ズレているということが明確である。
社会主義に関する議論をする際には、
まずはその誤解を解き、
固定観念から抜け出した上で行わなければいけない。
参考にしたもの
松尾匡、橋本貴彦(2016)『これからのマルクス経済学入門』筑摩選書
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?