FETISH WEARーフェティッシュ・ファッション、衣類の歴史 Vol,1
今回は、ロンドンのホロウェイ・ロードで30年以上ヴィンテージストアを運営している”Blue17 vintage”の記事を一部訳して掲載しています。
歴史研究家が書いた記事ではないのでそのあたりはご了承を。
正確な文章で全記事を読みたい方はこちらから。
(掲載画像も違います。)
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このブログではフェティッシュウェアの世界と、ダークでエキサイティングなSMファッションの世界をご紹介します。
特に今回は靴に注目し、靴へのフェチがどこから来たのか、フェティッシュウェア、靴へのフェチ、誰のおかげで今のSMがあるのかなどを簡単にご紹介します。
①フェティッシュ・ウェア-素晴らしい歴史
1−1,フェティッシュ・シューズの進化
19世紀まで足は(衣類によって)隠されていました。
次第に露出されるようになり、ボタンで留めたブーツがドレスの端から覗くようにもなります。
靴紐で締め上げ、ラインストーンで慎重に包まれた脚は賞賛されるべきものであり、とても強いファンタジーを生み出すものでした。
19世紀に旅行や貿易が盛んになると、東洋の影響を受けてドレスアップにエキゾチックな雰囲気が漂うようになっていきます。
今日ではブーツを履いた足首をちらっと見ただけでそれほど興奮することは想像できませんが、女性の身体の色々な部分が覆われていた時代(それ以前のジョージア王朝時代とは全く逆)には、ブーツを履いていようがいまいが女性の足が見えただけで興奮したものでした。
アンダーグラウンドのポルノでは6インチのヒールを履いた女性たちが登場し、靴フェチやファンタジストたちを魅了していくようになります。
1−2,レオポルド・フォン・ザッヘルー=マゾッホ
「マゾヒズム」という言葉は、この人物のおかげで存在します。
マゾッホは女性の靴から酒を飲み、靴を履いている人の足にキスをするという、支配と靴フェチへの愛を書いた人物です。
代表作は女性の支配に焦点を当てたフィクション、「毛皮を着たヴィーナス(Venus in Furs)」。
この作品は ”※カインの遺産”と名付けられた、女性支配を追求するシリーズの一部。
1−3,ニコラ・エドメ・ルティフ・ド・ラ・ブルトンヌ
性やポルノに関する近代的な考え方に貢献したもう一人の人物が、「フェティッシュ」という言葉の生みの親であるニコラ・エドメ・ルティフ・ド・ラ・ブルトンヌ。
彼はマゾッホと同様、セックスと女性支配を愛した人物。
セックスや売春についての自分の考えを書き連ね、売春の合法化を追求した「Le Pornographe」という本を出版しました。
全体としてはセックス、足や靴のフェティシズムなどを主とし、さまざまな主題について200巻という息を呑むような量を書き上げています。
1−4,良いフェティッシュ・シューズとは?
フェティッシュ・シューズは脚を長く見せるため、常に高くなっています。靴のヒールはしっかりと巻かれたコルセットのように、足を前に傾けることで体重の分布を変えることができます。
靴にはチェーンとロックが付属しているため、マスターとスレイヴの関係を強めることができますし、チェーンは体の動きを制限し、ロックされている場合は足の大事な性質を崇拝者に示すことができます。
高くなりましょう。
赤や黒のエナメルの靴は、コルセットのように足にフィットしブーツの縁までレースアップするものもあります。靴には必ず高いヒールがあり、底にプラットフォームが付いていることもあります。
フェティッシュ・シューズの歴史は古く、ヴィクトリア時代から1920年代までさかのぼりますが、今では博物館で見かけることも多くなりました。
しかしそれらは美しさと魅力の源であり、必ずしもSMに関連付ける必要はありません。ドミナになるという野心がない場合は、大胆な衣装の一部として、またはデザインの凝った服として簡単に着用できます。
1−5,ジーグムント・フロイト
19世紀末、有名な精神分析学者であるジーグムント・フロイトは、フェティシズムは潜在意識の抑圧にすぎないと指摘しました。
彼はさらに、性的フェティシズムは男性が母親の陰部に対する無意識の恐怖、あるいは去勢に対する恐怖であるとまで言いました。
フロイトは女性が性的フェティシズムに耽溺する理由を論じることはありませんでしたが、似たような探究心を持っていたのではないかと推測できます。
1920年代のフェティッシュウェア
フェティッシュウェアとSMの世界を愛する人々の熱意は、弱まることはありませんでした。1920年代には性的フェティシズムの大部分がアンダーグラウンドであり、ポルノグラフィックな画像は売春宿や個人の住居など人目につかない場所で撮影されてきました。
1−6,イヴァ・リチャード
1920年代から1940年代初頭にかけて、フェティッシュ・ウェアの愛好家や販売者として活躍したのがイヴァ・リチャードです。
イヴァ・リチャードという名前は、イヴァ・リチャードとナティバ・リチャードが経営していた会社の名前。
ナティバは裁縫師で、二人で帽子やランジェリー、靴などさまざまなフェティッシュ・ウェアを販売していました。
エロティックなランジェリーやフェティッシュ・ウェアが一般に販売されるようになるとますます冒険的になっていき、彼女の衣装を着ているところを夫が撮影し、大胆なポーズをとることもありました。
写真
彼らは鞭打ち、スパンキング、ボンデージなどの写真を販売し、フェティッシュな世界を追求しました。また通信販売用のカタログや、パリやロンドンの地元の雑誌にも広告を出していました。
大胆なフェティッシュ・ウェア
1930年代には、革製のコルセット、ハイヒールのブーツ、手錠、マスク、シャックル(U字型金具)、首輪、手錠、ゴムの鞭など、よりエキゾチックなアクセサリーが続々と登場。
しかし、第二次世界大戦によりイヴァ・リチャードの素晴らしい世界はほぼ壊滅状態。
1940年代初頭にナチスがフランスに上陸すると閉鎖を余儀なくされました。
フェティッシュウェア–現在でも通用する
ナティバが写真で作成したポーズのいくつかは、当時としてはかなり大胆でした。
今日の写真を見ると、現代のフェティッシュ・ウェアでも違和感のないコスチュームやアクセサリーが見られます。
彼らの存在は忘れられることなく、30年代から40年代にかけて他のフェティッシュな愛好家たちに受け継がれていきます。
当時ライバルは多くなく、アメリカのチャールズ・ギエットとフランスのダ
イアナ・スリップくらいでした。
彼らのカタログは後を追う他の人々に影響を与え、興味深いことに50年代のモデルの1人であるベティ・ペイジは、ナティバ自身が着用したものとほぼ同じブラジャーと貞操帯を着用しています。
Vol.2「フェティッシュが公になる-1950年代から現代まで。」へ続く。
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