どんなに完璧な理屈を持っていても、「嫌なものは嫌」の前ではあまりにも無力
社会人向けの人材育成の仕事を携わっているとよく陥りがちな過ちがあります。
それは「理屈で相手を説得しようとすること」です。
というのも、育成の対象者が子供ではなく大人であるため、相手を「理性のある大人」=(理屈で物事を考える存在)として見てしまいます。
そのため、相手に行動変容を促すときはあの手この手で「理屈」を用意します。
この行動を取れば、こういう理由でメリットがある
この行動を取ってしまうと、こういう理由でよくないことが起きる
職場でうまくいっている人は、みなこの行動を取っている
例えば、職場で自分から挨拶をしようとしない新人に対して「挨拶の大切さ」を教えたいとします。
目的は今まで挨拶をしなかった新人が自分から挨拶するようになることですが、これを「理屈」で伝えようとすると「自分から挨拶をすれば、上司や先輩から好印象を持ってもらえるよ」「挨拶をしないと、逆に嫌われるよ」といった言い方になります。
もし相手も「理屈」で考える人であれば「挨拶をしたほうがよい」という理屈をわかってくれるので行動を変えるようになります。
人によっては「何で挨拶ぐらいで印象が決まるのか?」といった疑問が出てくるかもしれませんが、理屈で考える人であれば根拠を持って説明すれば大抵納得してくれます。
問題は「挨拶という行為がどうしても嫌」という人です。
何で挨拶が嫌なのか聞いても「嫌なものは嫌」としか言えないのですが、直接言いづらいので「何で挨拶をしないのか?」問い詰めても黙り込んでしまいます。
こうなると「理屈」で迫れば迫るほど相手の心は閉ざされるため、行動変容どころが却って逆効果になる恐れがあります。
そのため、もしこういう人に出会った場合、教える側は一旦「理屈」を放棄するしかないと思います。
「何で嫌なのか?」を探ろうとしても前には進まないので、まずは「あなたにとって、これはどうしても嫌なことなんですね」と理解を示し、相手が心を開いてくれるまで根気強く待つしかありません。
もちろん仕事なので嫌でもやらなければいけないことはありますが、無理強いをしても行動が続かないので、「これならやってもいい」という妥協点を一緒に探した方がまだよい結果が得られます。
先ほど挙げた「挨拶が嫌」という新人の場合、元気よく挨拶することがどうしても嫌であればせめて軽いお辞儀だけでもやっていただく、相手の目を見て話すのが苦手なら目線をそらすことを許容する、といったことから始めるというイメージです。
教わる方が「嫌なものは嫌」となると教える方は「コイツわがまま言いやがって!」と思ってしまいますが、いくら責めても理屈で論破しても結局良い結果にはつながりません。
「人を育てる」という行為は相手あってのことですので、「急がば回れ」ということわざがあるように育てるほうの上司や先輩は結果を焦るのではなく、「世の中にはこんな人もいる」と割り切って「相手ができること」から少しずつ実践していただくほうが長い目で見た時に人が育つようになると思います。
今回もお読みいただきありがとうございました。