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「仕事の価値」は他者が決めるが、「人としての価値」は自分が決めるものです
毎年新人研修の場で新社会人の方にお伝えしていることがあります。
それは学生は「頑張った」が評価されるが、社会人は「頑張った」だけでは評価されず、価値のある成果物を生み出して初めて評価されるということです。
そして成果物の価値はお客さま(社内のお客さまも含め)が判断することなので、「仕事の価値」は他者が決めるということです。
これはこれで社会の厳しい現実なので新社会人の方にお伝えする必要はあると思うものの、「仕事ができる=人として価値がある」と言いたいわけではありません。
もちろん「人としての価値」については様々な考え方がありますので、「仕事ができる人には価値がある」という意見そのものを否定するつもりはありません。
ただ人としての価値が仕事だけで決まるとなると、他人から「お前は仕事ができないから価値がない」、「あなたは年収が低いから価値が低い」なんて言われてしまうことになります。
そんなことを言われて素直に「仰る通りです」と受け入れる人はあまりいないと思いますが、私だったら心の中で「オレの価値をお前ごときに決められてたまるか!」と言いたくなります。
(実際に口に出したらマズイのですが・・・)
とはいえ、世の中には人の序列をつけるのが大好きな人がいるので、放っておくと色んなことを好き勝手に言われてしまいます。
結局のところ、自分の中に「私はどんな人間でありたいか」という軸を持っていないと、いつまでも他人からの評価に振り回されてしまうのかもしれません。
自分の中に「人は生きているだけで価値がある」と思えば誰が何と言おうと堂々と生きて行けばいいことですし、「人は社会に貢献して初めて価値がある」と思えば世の中の役に立つよう努力すればいいと思います。
もし自分自身が「人としての価値は仕事で決まる」と思えばそれこそ一高い成果を上げられるよう仕事に取り組めばいいのですが、そうでなければ仕事はそこそこにして後は自分自身の軸に沿って生きても、何ら後ろめたいことはありません。
実際世の中には諸般の事情で仕事はうまくできないが人間的な魅力のある方はたくさんいらっしゃいます。反面仕事はできるがプライベートではお近づきになりたくないという人もいます。
ただどちらも「人としての価値」は私ごときが決められるものではないので、それがその人の望んだ生き方であれば第三者としては最大限尊重したいと思います。
今回もお読みいただきありがとうございました