もし「自分の器」を超えた役職に「出世」してしまったら・・・
昨日のつづきです。
「他人の落ち度を背負えない人」は「偉い人」に向かないと言いましたが、世の中の多くの会社では「ミスをすべて部下のせいにする上司」や「責任を取らない上司」が居座っているのが現実です。
ただこれは昇進させた会社や上司本人が悪いというよりも、組織の構造上どうしてもそうなってしまうのではないかと考えています。
「ピーターの法則」では人間は能力の極限まで出世するのでどこかで自分の能力を超えた役職に就くようになり、有能だった平社員でも無能な中間管理職になってしまうと言われていますが、これはまさにその通りでピラミッド型の組織で頑張って昇進を目指すと、どこかで「自分の器」を超えた役職に「出世」してしまうのが宿命です。
そうならないようにするための一つの方法が「最初から出世を目指さない」という生き方ですが、誰もがそんな生き方をしたいわけではありません。「出世」を目指す生き方も立派な生き方であり、「出世」しないと実現できないこともあります。
ではどうすればよいか?結論は役職者になってしまったら「その役職に見合うよう自分の器を拡げる」しかありません。
もちろん出世を目指していた人が「やったー、ついに課長に昇進だ!」と喜んでもいいのですが、同時に昇進したら今までと同じではダメだということに気づいたほうがいいでしょう。
ただし、器を拡げるのは一朝一夕でできることではありません。新任課長研修を3日間受講したぐらいでは器が大きくなったら誰も苦労しないので、やはりそれなりの経験と年月が必要です。
具体的には経験を積む中で「痛い目」にあい、自分の行いを振り返り、気づきを得て自分自身を改めていくというプロセスを何度も何度も繰り返していく中で、自分自身の器が拡がっていきます。
例えば名経営者の自叙伝の中によく下記のエピソードが出てきますが、それがまさしく役職が自分の器を超えたためにあう「痛い目」です。
「あなたにはついていけません!」と部下から総スカンを喰らった
「こんなところでやってられるか!」と人が大量に辞めた
「お前のところとは出禁だ!」とお客様から取引停止を言い渡された
そんな経験などしたくないと思うのが人間ですので、役職者になるとできるだけ痛い目にあわないよう事なかれ主義に走る人も少なくありません。
役職者として無難に乗り切ることはできるかもしれませんが、自分自身の器はそれ以上拡がらなくなりますので、気がついたら「ミスをすべて部下のせいにする上司」や「責任を取らない上司」になっている可能性があります。
器が役職者に見合わないのであれば本来はその役職から降りることが望ましいのですが、多くの会社では一度昇進してしまうと降ろすわけにもいかないため、いわゆる「課長止まりの人(課長の器じゃない人)」や「部長止まりの人(部長の器じゃない人)」になってしまいます。
(人によってはそれでも充分かもしれませんが)
ということで、もし役職者に昇進してその役割を全うしたい意志があるなら、まずは「痛い目にあうことから逃げないこと」から始めるとよいと思います。
名経営者になるような人でも最初から器が大きいわけではありません。むしろ器が小さかったために役職者に昇進してからたくさんの痛い目にあってしまった人も多くいます。
ただそこから逃げずに自分自身に向き合い、自分自身を省みることで器を拡げ、結果的に器が大きい名経営者になっているのです。
器は誰でも拡げることができます。後は自分自身にその意志があるかどうかにかかってきますので、もし「自分の器」を超えた役職に「出世」してしまったらそれは自分が人間的に成長するチャンスと捉えるといいかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。