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「他人を不快にする」というのは本当に悪いことでしょうか?
「ダイバーシティ」の話をするとたまに出てくる問いがあります。
世の中には様々な人がいるので、自分の言動で他人を不快にさせないためにはどうすればよいか?
私は「誰も」不快にしたくはありません。
「相手を不快にさせない」という姿勢は人と接するうえで確かに大事なことですが、「誰も」となるとかなり難しくなります。
というのも「マジョリティ」の価値観に合わせると「マイノリティ」が不快に感じることがあり、逆もしかりです。
それこそ世の中には99%の人が全く気にしないことを「許せない!」と思っている人もおり、その人まで不快にさせないとなるとキリがありません。自分ではどんなに気をつけているつもりでも、たぶん誰かは不快に感じているのが現実です。
さてここからが本題ですが、「自分の言動が他人を不快にする」ということに対して二つの捉え方ができると思います。
1.他人を不快にするのは「よくあること」
この捉え方をすれば他人に対してイライラ、モヤモヤするのは正常なことなので、「不快に感じるのはそいつの勝手、こっちの知ったことではない」ということになります。
例えば自分がSNSに投稿したことに対して「見ていて不快」とか「不謹慎だ」とかの反応があっても「あっ、そう」で終わります。
逆に自分が他人の言動に対して不快な気持ちになっても「世の中には私が嫌いなヤツもいるな」で済むので、それ以上は何と思いません。
2.他人を不快にするのは「あってはならないこと」
この捉え方をすると世の中の誰もが他人に対してイライラ、モヤモヤを感じない状態が正しい状態になってしまうので、もし誰かが自分の言動に対していちゃもんをつけると、「不快にさせた私が悪い」か「不快に感じるそいつがおかしい」のどちらかになってしまいます。
実はクソリプに反応するのはこのようなメンタリティが根底にあるのではないかと個人的に考えています。
「私はみんなが不快にならないよう気をつけているのに・・・」と考えているからこそ、誰かに否定的な言葉をかけられると自分自身が傷つくか、相手を攻撃してしまいます。
そういう意味ではSNSで傷つく人はおそらく他人の気持ちを慮ることができる人かもしれません。「他人のことなど知るか」という超絶自己中な人はクソリプには反応すらしないと思います。
そんなわけで、もし「他人を不快にする」というのは本当に悪いことでしょうか?と問われたら、私はこう答えたいと思います。
「誰も不快にしない」のはそもそも無理ゲーです。
誰かがあなたの言動を見て不快に感じても「その人にとっては悪いこと」というだけで、法律に反していなければ悪いことでも何でもないです。
後はあなたがその人との人間関係を大事にしたいかどうかにかかってきます。もしその人があなたにとって関係を壊したくない人なら、できるだけ不快にさせないほうが良いでしょう。
もしその人があなたにとって「どうでもいい人」であれば、相手が不快に感じたら勝手に離れていきますのでむしろ互いに好都合です。
どう頑張っても誰かは不快に感じることがあるので、そこは諦めてください。
おそらく私のような考え方に対して「不快だ!」と感じる人もいらっしゃると思いますが、世の中にはマジョリティがいればマイノリティもいるのでそれが正常な状態だと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。