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ワルの更生物語を素直に信じられますか?

昨日は全国で成人式が行われましたが、例によって大暴れするヤンチャな新成人がおり、もはや毎年の風物詩と化している感もあります。

荒れる成人式は30年近くの「伝統」がありますので、当時暴れていたヤンキーの方々の多くも今や立派な中年になり、若者に説教を垂れているのかもしれません。

私も昔はヤンキーに対してはネガティブなイメージを持っていましたが、いわゆる「元ヤン」の方が社会に出てご活躍される姿を見て「人は変わるんだ」と思うようになり、暴れる新成人の方々に対しても温かい目で見ることができるようになりました。

元不良が更生して大活躍する話は漫画や小説のネタにもなりますが、一方で世の中にはこのような「ワルの更生物語」に対しては「最初から真面目一筋の人よりも、ワルだったヤツが更生しただけで賞賛されるのは納得いかない!」という人もいらっしゃいます。

「道を踏み外したことがある人よりも、一度も道を踏み外したことがない人のほうが偉い」という意見も一理あると思いますが、根底にあるのは「人の本性」に対する見方の違いがあるのかもしれません。

「人の本性」は変わるのか?という問い

この問いに対しては3つの考え方ができると思います。

  • 人の本性は変わらない、本性が「悪」の人はずっと「悪」である

  • 人の本性は変わる、本性が「悪」でも「善」になることはできる

  • 人の本性は変わるかもしれないが難しい、本性が「悪」のままの人は多いが、まれに「善」に変わる人もいる

「善」「悪」の定義自体が難しい問いなので、
ここでは他者を思いやることができるのを「善」、
自分の欲のために他者を傷つけるのを「悪」と定義します

 

人材育成の仕事をしている以上は「人の本性は変わる」という立場に立つ必要がありますが、「人の本性は必ず変えられる」と言い切れるかと問われると今の私もそこまで確信が持てません

というのも、世の中には更生を信じて裏切られた事例が数多く存在しており、「更生不可能な凶悪犯罪者」がいるのも確かなので、すべてのワルが改心できると信じ切るほどの勇気はまだありません。

そのため、「ワルは更生できるけど、現実は結構難しい」というのが現時点での私の本音です。

一方で「善人の闇落ち物語」もある

「悪」から「善」に変わるのもある一方で、善人だった人が闇落ちするということもあります。(これも漫画や小説のネタになりやすいです)

もちろん「そいつは善人の仮面を被っていただけで、本性は悪に過ぎない」という見方もできますが、根っからの善人が諸般の事情で他人を信じられなくなり、悪の道に走るというのは充分あり得る話だと思います。

「人の本性は変わる」という立場に立つならば、「善」から「悪」に変わる人がいることも受け止める必要があるかもしれません。

「人を信じ切る」のは相当の覚悟がいる

人を育てる以上は「相手が変わることを信じてあげること」が大前提ですが、人の本性を変えることが相当難しいうえに「闇落ち」もあるとなると、相手のことを信じ切るためには裏切られてもいいという覚悟がないとできないと思います。

世の中には元受刑者を無条件で採用する経営者もいらっしゃいますが、器の大きさと覚悟に心の底から尊敬します。

私自身も今はそこまでの覚悟を持てていませんが、「どんなワルでも変わる可能性を信じたい」という思いは持ち続けていきたいと思います。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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