自分や他人の「大切なもの」を守るために、他の誰かが犠牲になるとしたら
私は築40年以上のマンションに住んでいますが、耐震性がわずかに足りないことがわかったため、昨年耐震補強工事を行うことが決まりました。
工事にあたり、一部の区分所有者には工事の立ち入りにご協力いただく必要があるのですが、一人だけ立ち入りを拒否している人がいるため工事を始めることができません。
幸い耐震性が足りないと言っても基準の数値にわずかに足りないだけで、今大きな地震が来ても倒壊する危険性はほとんどないのですが、最近は地震が頻発しているため、不安に思っている住民もいらっしゃいます。
この方は話し合いにも応じないため、膠着したまま1年以上経ちましたが、法律では区分所有者の権利が保障されているため、いくら総会で賛成多数で可決されても、工事を強行することはできません。
つい最近までは私も「コイツ一人のために他の住民の安心安全が脅かされるのはおかしい」と憤りを感じていました。そのため、どうすればこの方に協力してもらえるのかという視点でばかり考えていました。
しかし、逆の立場で考えると「なんでおまえらの安心安全のためにこっちが不快な思いをしてまで協力しなければいけないのか?」と思っている可能性もあります。
マンションの住民にとっては「安心安全」は確かに大切なものですが、この方が立ち入りを拒否しているのも何か別の大切なものを守りたいのかもしれません。
そう考えた時にどうすればよいのかわからなくなりました。
自分たちにとっては「耐震工事によって大切な命を守る」という大義名分があっても、この区分所有者にとってはそのために自分の何かを犠牲にする筋合いはないため、互いの「大切なもの」がぶつかってしまいます。
世の中の衝突の多くは「大切なもの」を守るため
気候変動に関する問題もなかなか前に進まないのも、地球環境という一見誰にとっても大切なものを守るために、今の生活が犠牲になる人がいるからではないかと思っています。
その日の食べ物にも困る人にとって、50年後の地球がどうなろうと知ったことではないのかもしれません。
また、人によっては今の便利な生活こそ「守りたい大切なもの」かもしれません。
難しいのは誰かにとって「大切なもの」は別の誰かにとっては「どうでもいいもの」であり、何が「大切なもの」かは他人には決められません。「地球を守る」、「命を守る」という大義名分も万人には通じないと思います。
そのため、互いに自分の「大切なもの」を守りたいと言い出すといつまでも折り合いがつかなくなります。
職場でも同じことがある
社会問題に比べるとスケールの小さい話ですが、職場でも「大切なもの」をめぐって衝突がよく起きます。
例えば、営業部門は「売上」を守りたいのですが、売上を守るために顧客の要求を受け入れると社内の別の部門が犠牲になることもあります。
よく若手の提案を上司が握りつぶすという話もありますが、上司は上司で今まで積み上げてきたものを守りたいという思いがあったりします。
「正解」を探すのではなく、「覚悟」を持つ
結局のところ、互いの「大切なもの」が相いれない場合、すべてを丸く収めようとすると却って何も前に進まないと思います。
もし自分の「大切なもの」を守るために他の誰かが犠牲になるなら、その現実を直視する必要があるでしょう。
誰も犠牲にしなくないなら、自分の「大切なもの」を諦める。自分の「大切なもの」をどうしても守りたいなら、誰かを踏みつぶしても前に進む。どちらも「覚悟」が求められることです。
そういう意味では経営者や政治家といった、「誰の大切なものを守るか」を決める立場の人間は恨まれる覚悟を持つ必要があるかもしれません。
今回もお読みいただきありがとうございました。