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世の中は「ずるくて理不尽」と思ったほうが、実は人にやさしくなれるのかもしれません

両親がアメリカのテキサス州に移住したので以前はよく行ってたのですが、現地ではメキシコや南米からやってきたヒスパニックの方が多く、そこら中でスペイン語が飛び交ってあまり「アメリカ」という感じがしませんでした。

ご近所さんも中華系の人以外はメキシコ人の方ばかりでしたが、皆さん親切で人あたりも良かった印象があります。

ただ現地に住むヒスパニックの方の生活は決して楽ではなく、エッセンシャルワーカーとして安い賃金でこき使われるケースがほとんどです。不法移民で渡ってきた人も多く、そのような方は社会の底辺でひっそりと暮らすしかありません。

それでも命がけでアメリカに来ようとするのはひとえに「本国よりマシ」ということだと思います。

中南米の国は貧富の差が激しいうえに政情不安で治安も最悪という国が多いため、生きていくだけでも大変です。アメリカに行けば少なくとも仕事にありつけて本国より安全に生活できるというわけです。
(日本から見るとアメリカも充分危ないのですが)

もっともアメリカに来ても不公平な扱いを受けますが、ヒスパニックの方を見ていると皆さん日々楽しそうに暮らしています。

こんなに大変なのになぜ明るいのか気になりましたが、もしかしたら最初から世の中には期待していないからかもしれません。

世の中はどうせ不公平で不平等で、理不尽なことが起きまくるので、あとは自分が如何に人生を楽しむかしかできることはないということです。

どうせ世の中には平気で人を殺すような悪いヤツがいっぱいいるので、ちょっとぐらい「ずるいこと」をしても気にしないのかもしれません。

生活の余裕は全くないけど、「心の余裕」ができることで他人にもやさしくなれるのではないかと思います。

一方で日本に暮らしていると少しでも「ずるい」ことをする人がいれば徹底的に糾弾されますので、つい世の中は公平かつ平等なものであり、理不尽なことは起きてはならないという感覚に捉われます。

実際は日本でも不公平で不平等なことは多く、理不尽なことがまかり通っていますが、「そういうことを許さない」というのが建前です。

たまたま運悪く悪事が明るみになった人がフルボッコにされますが、バレないところでもっと悪い人はいくらでもいます。

ただ建前上でも「世の中は公平かつ平等でなければいけない、理不尽なことはあってはならない」となると、自分自身に対して「ずるいことをしてはいけない」というプレッシャーがかかりますので、心の余裕はなくなってきます。

もちろん「ずるいこと」に対して厳しい目を向けることで社会の秩序が保たれるという一面もありますが、他人も自分も許せなくなるため「生きづらさ」にもつながると思います。

むしろ最初から世の中は「ずるい人」と「悪い人」だらけで、理不尽なことが起きまくると思った方が他人も自分も許せてやさしくなれるのかもしれません。

ということで、アメリカで出会ったヒスパニックの方々をふと思い出してみました。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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