かつて好きだったものとふたたび向き合うことへのためらい
日常生活の中でふと感じたことを忘れないように書き留めておくのも、きっと沢山あるnoteの活用法のひとつ。
朝食を作りながら頭をよぎったのは、10代後半から20代にかけて影響を受けた映画や本、音楽とふたたび向き合うときに感じる「ためらい」について。
大好きだったアーティストの展示やライブの開催を知って、一瞬「うわ、行きたい!」と素直な欲望が湧き上がるも、「あぁ、でもなぁ……」とためらっているうちに会期が終了となり、「あぁ、やっぱり行けばよかった。いや、行くべきだった」と後悔する現象に、最近ちょくちょく見舞われる。
誰もが「だったら行けばいいのに」と感じるはずだが、その1歩が踏み出せない原因に、卵を焼きながらしばし思いを馳せてみた。
きっとその原因は、自身の感受性が鈍っていることを目の当たりにする潜在的な恐怖と、「好きでありつづける」ことから自然と離れてしまったことへの後ろめたさ、そして進化し続けるアーティストの「いま」を知る不安……といったいくつもの小さな想いが、一瞬のうちに頭の中をグルグルと駆け回ることにある。
かつてその世界観に感銘を受け、魂を震わせ、どっぷり浸かっていたからこそ、「当時の自分」とふたたび向き合うのが怖いのだ。
でも、自分がアーティストの立場ならきっと「そんなの全然気にしないで、いつでも戻っておいでよ」と言うに違いない。だったら、今の自分がどう感じるのか、飛び込んでみるのも悪くない。
それは旧友と再会する感覚に近いのかもしれないし、もしかしたら全く別の感覚なのかもしれない。でもすべてはここから始まる……ような、そんな気もしている。
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