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過去への執着が消えた瞬間

以前、親が仕事に失敗した話をしました。
そして私たちは、
持ち家を売ることになった。

現実は、小説より面白いものです。
うちの父親は、それを家族になかなか話せなかったんですね。
もちろん、父の言いづらい気持ちは今ならわかります。
でも、ぎりぎりまで言い出せなかったということは、
そのあとが修羅場になるということです。
なんと1ヶ月前になってようやく宣言したわけです。
はい。修羅場決定ですね。
その夜の夫婦喧嘩は凄まじく、我々も心ここにあらずの放心状態。
問題は荷物。
借りる家はすでに決まっていたようですが、
何十年も住んでいた家なので、そう簡単には整理できません。
しかも高齢の祖母もいます。
しかもしかも、祖父がこだわって建てた思い出の家です。
祖母も絶句です。ですがさすが年の功。戦時中を生き抜いた者。
「わかった」の一言。
父の姉弟も怒り出します。姉たち、泣きます。
弟は、祖母の良質な物を持ち去ります。
「お母さんの部屋を僕のところにも用意するから、そのためだよ」といって、家をちょうど建てていたので資金として、こんなごたごたの中
お金も祖母から出させました。
きっと、兄に好き勝手にさせてなるものかと思ったに違いありません。
こんな時に、人の本質はよく見えることを知ることになりました。

話は戻って、デッドラインの決まった引っ越し作業に、驚く現実が追い打ちをかけます。デッドラインはなんと解体日!
引越し日じゃなくて、解体日です。
さすがに、父、後回しにしすぎたと思いました・・・
すごい後回しぶりです。
飽きれて子どもたちは、黙って整理するだけです。泣き続けるのは母。

さて引越しの前日。
解体が始まるというのに、荷物がまだだいぶ残っている状態。
母親はもう死人のような顔で片づけを続け、
私も思い出の品や写真・手紙を眺めながら選別。
もう未練たらたらです。現実をうまく受け入れていない家族。
父だけが現実と向き合っていました。
もっと、早く話をしたかっただろうに。
でも母の鬼の形相が頭をよぎったのだろうか。
祖母を想うと先延ばししてしまったのだろう。
今は自分が社長を務めているためか、父の気持ちがよくわかります。

解体当日。
引越しの車と、解体のトラックが同時に家にやってきました。
荷物を運び出しながら、運び出された部屋から解体されていき、
家がどんどん崩されていきます。これは実際に味わった人でないとこの虚しさはわかりません。近所の住民も驚いて、外に出てきていますが
もう人の目なんて気にしている余裕もなく、
我々は黙々と作業をするのみです。
祖母には解体の場面は見せたくないので、先に家を出てもらいました。
気丈にふるまっていましたが、玄関のカギを閉めると崩れ落ち、
一瞬だけ声をあげて泣きました。あの時の光景は、いまだに忘れません。

「お嬢ちゃん、この部屋も次解体するから、荷物出してよ」
そう、解体業者に声をかけられます。
でも、母の作業が追い付かずちょっと目を離しているうちに、
私が持ち出すものと、捨てるものに分けておいた荷物がありません。
あれ?あれれ?と思って、荷物の行き場を探しているうちに
私の部屋がどんどんと解体されていき、進入できない状態へ。
そう。私の大切なものはトラックに乗ってすでに出発してしまった。

大切にしていた服。
友達からの大切な手紙。
もらったプレゼント。
思いでの写真。
泣いた小説。
小学校からの日記。
すべてが一瞬にして、廃棄された瞬間でした。
20代の女の子にとって、それは悲劇です。

でもその時、私は腹を括ったのだと思います。
もう丸腰ですね。あきらかに。だからこそ思えたのだと思います。
「もう過去は振り返らない」と。
私の前には、現実と未来があるだけ。
過去への執着は、ここですべて洗い流されました。
だって、過去へ執着すべきものは、もう手元にないのだから。
それをメソメソと泣いて悔やんだところで、自分に何ができるだろうか。

あれから25年近く。
私は、あまり物への執着がなくなりました。
物はいずれ壊れるもので、なくなるもの。
ほしいと言われたら、すぐに人にあげてしまいます。
どうせ、墓場まで持ってはいかれないもの。
思い出は頭の中にあり、それは誰にも奪うことはできない。
映画「ショーシャンクの空に」でも、似たセリフがあった気がします。
その代わり、物を買うときは吟味して、
ひとつひとつ大切にしていくことも同時に備わりました。
お金があってなんでも買えた人生から、何でも買えない人生に変化して、
本質的に大切なものとは何かを学んでいきました。
そして、人というものの本質も見させもらいました。
幽霊よりもなによりも、人が一番怖いことを知ったと同時に、
こうした窮地での人の優しさも知りました。

あのまま父の事業がうまく言っていたら、全く違う人生を送っていたと思う。でもどちらがよかったのかと聞かれたら、魂の成長ができたのは、
確実に今の人生なのだろう。私にとっては、壮絶な20年の始まりにしか過ぎなかった1日だったけれど、それでもあえて言おう。
私の高く伸びた鼻をへし折ってくれたこの人生を、今となってはとてもありがたく受け入れよう。

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