「玄之又玄」(老子 第4章)

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「玄之又玄」(老子 第4章)

「道は満ちても尽きることがなく、深遠であり、万物の根源である。玄(奥深い)であり、また玄(さらに奥深い)。すべての妙なるものの門である。」


老子は、「道(タオ)」が 限りなく深く、測り知れないもの だと語る。
それを 「玄之又玄」(奥深くして、さらに奥深い) と表現している。

この言葉には、「本当の本質に近づけば近づくほど、さらに奥にあるものが見えてくる」 という意味が込められている。
まるで、井戸を覗き込んだときに、底が見えたと思ったら、もっと深い水面が広がっているような感覚だ。


考察:「知ることは、知らないことを知ること」

この「玄之又玄」の考え方は、学びのプロセス にも通じる。

例えば、新しい分野の勉強を始めたとき、最初は「なんとなく分かった気がする」。
でも、学びを深めるほどに、「自分が知らなかったことの多さ」 に気づくようになる。

  • 物事を表面的に見ると、シンプルで分かりやすい。

  • でも、深く掘り下げるほどに、新たな疑問や発見が生まれる。

  • そして、その先にまた 新たな「玄(深み)」 が広がっている。

つまり、「分かった」と思った瞬間こそ、まだまだ学ぶ余地がある ということ。
「知ること」とは、「知らないことが増えていくプロセス」なのかもしれない。


実体験:深く考えるほど、奥が見えてくる

最近、老荘思想を学んでいて気づいたことがある。

最初は「無為自然ってシンプルな考え方だな」と思った。
でも、よく考えると、「無為」とは 「何もしないこと」ではなく、「無理にしないこと」 だと気づく。
さらに深く掘り下げると、「では、どこまでが『無理』で、どこからが『自然』なのか?」と考え始める。

学べば学ぶほど、「本当の意味」がどんどん奥に広がっていく。
これこそ 「玄之又玄」 なのかもしれない。


問いかけ:「あなたにとっての『玄』は?」

あなたの人生の中で、「知れば知るほど、奥が深い」と感じるものは何だろう?
勉強、仕事、人間関係……
一度、「玄之又玄」の視点で、自分の学びを振り返ってみると、新しい発見があるかもしれない。

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