夏がはじまってた。
アイスが速攻で溶けるような暑い日だった。
イヤホンからはbloodthirsty butchersが流れている。
演奏が終わって静寂になる曲間、外が騒がしい。
イヤホンを外すと、セミの鳴き声が聞こえた。
7月。
ある休日の午後、外に出ていた。
ジリジリと上がる体温、光のシャワーを浴びている感覚だ。
目を閉じると、瞼に染み込んだ光が、肉を透明にして赤い光が見える。
自分と外界の境界線が薄くなっている気がする。
生きている感じもするし、死に近付いている感じもする。
ああ、太陽に誘拐されたい。
わたしは夏が大好きだ。
特に用事があった訳ではない。
日を浴びたかっただけだった。
どうやら太陽の光を浴びるとセロトニンが出て鬱状態になりにくいらしい。
だから一日一回はなるべくそうしている。
それに散歩も好きだ。
オレは起きるのが遅いのでもう夕方だった。
ビールを片手に川まで行くと、木の下に集まった3人の黒人がチルアウトな音楽を流して座っていた、KhaidのJolieという曲だった。
夕陽とセミの声と雲の解像度、アルコール。
良い気分になった、夏がはじまってた。
何かを信じるのは苦手だが、夏は無防備に期待をしてしまう。
だけど、夏は早歩きだ。
あっという間にカレンダーはめくれていく。
ぼーっと生活に寄りかかるように息をしてたら、もう8月も後半だ。
セミの死骸をよく見るようになった。
今わたしは置き去りにされている。
今年の夏、何も計画しなかったな。
どうもスカッとしない、どうにかライブの予定でも入れておけば良かった。
だらんとしていた。
そういえば夏休みの宿題はいつも終わらせられなかったな。
とある事情で家族旅行も行けなくなってしまったのもあるし、シフトもいつもより多く入れたので今月中に海も見れそうにない。
夏らしいことをまだしていない。
川に泳ぎにでも行くか。
様々な事情があり、色々と考え込んでしまって、逃避的に作曲をしたりしていた。
88歳になったおばあちゃんに聞かせようという理由もあった。
本当は旅行中に聞かせる予定だったから、まだ聞かせられてないけど良い曲が出来たと思う。
死んだじいちゃんの事も考えてた。
天国にノックするようなイメージで頭の中に遠い昔を思った、戦時中の真夏が見えた。
山下達郎や桑田佳祐に並ぶような名曲なんだけど、、。
それが勘違いがどうかはこれから確かめに行く。
音楽は呪いもかけるけど魔法もかけるんだよな。
8月15日。
黙祷も聞こえてくるし、誰かの誕生日を祝う声も聞こえてくる。
乾いた朝のアラームも聞こえてくるし、眠れなかった会社員の欠伸も聞こえてくる。
特別も平凡も夢も絶望もある。
いつかの終戦記念日の果てにぼくらは生まれて、そしてまだ迷子だ。
皆どうしようもない悩みを抱えている。
答えのわからない傷跡。
我々の未来をスクラップする要素は腐るほどあるけど、絶望にもアウトロはあるはずだ。
悲しいフレーズの行き止まりを作ろう。
この島に生まれたこと、あなたに出会ったこと、その訳を知りたい。
そしてそれは多分、全部音楽の中にある。
不安が膨大でも信じていることはある。
何も諦める必要はない。
だってぼくたちはまだ夏の終わりを知らないんだから。
重い腰を上げて、現実的なそれぞれのタスクに向き合う。
計画を進めなければならない。
ケ・セラ・セラ
まあなんというか、何を言ってもどうせいつかは死ぬし、でもまだ今は生きているし。
そしてオレには音楽がついているわけだ。
何がしたいか、昔からオレは変わらない。
今だって、空を叩くような声で歌いたいだけだ。