THE DAYS
13年。
今日で震災からそんな年月が経つ。
それは若者だった者が親に。
子供だった者が青年になる、そんな時間だ。
段々遠くなる過去で、みんな忙しく当時はなかった最新の悩みで頭がいっぱいなのかもしれない。
実際時代は常にうねっているし、もうあの日のことを思い出す機会も減ってしまっただろう。
去年Netflixで「THE DAYS」というドラマを見た。
3.11をテーマに原発事故の生々しい様相を、多分かなり忠実に再現している。
メインキャストに役所広司、竹野内豊、小日向文世がいるが、それを忘れてしまうぐらいリアリティを追求していて、BGMもまるで霧が佇んでるようで、不穏で不気味なものがほとんどだった。
津波の描写、あの原発建屋の模様、どれも奇妙なノスタルジーと一緒に乾いた砂の香りも連れてくる。
知らなかった事実も沢山ある。
最悪のシナリオを迎えた場合、どれだけ大変なことが起こったのかも。
もしかしたら被害を直で受けた人は見れないかもしれない。
実際、第1話を見た時にかなり色々フラッシュバックしてしまい結構食らってしまった。
みんなあの時何してた?
2011年 3月11日 14時46分。
体験したことの無いデカい地震が来た。
オレが住んでる13階建ての団地は上空から見るとL字になっていて、そのつなぎ目がガチャガチャに揺れていてぶっ壊れそうな勢いだった。
友達のSkypeのトークに白煙が上がる映像が貼り付けてあった。
「日本おわた」
恥ずかしながらオレはその時はじめて原発の存在を知った。
そこから毎日地震も原発も本当にこわくて、兄と集まって寝たりしてた。
エガちゃんの公開ラジオの映像を見るのが救いだったし、ザ・クロマニヨンズにもマジ助けられた。
テレビでは学者を名乗るやつがニタニタ笑いながら「大袈裟ですよ、大丈夫ですよ」と言っていて、でも危険レベルはどんどん引き上げられチェルノブイリと同等になった。
"テレビに出ていた奴が嘘をついた"
それも自分にとっては凄くショックで価値観が揺らぎはじめた。
そして、メルトダウンしたら東京には住めなくなると言われていたので、血迷いすぎたオレはいつでも逃げれるようダウンの両ポケットパンッパンにラップでくるんだ赤飯を入れていた。(ほんとうにバカ)
毎日テレビでニュースを追う。
オレはまだ高校を卒業したばかりで、枝野官房長官の会見と現場のヘリコプターから流れる中継で津波に街が飲み込まれていくのをただ見ていた。
まだ何もわからなかった、まだ何も知らなかった。
今だったら津波のヤバさも原発のヤバさも知ってる。
知らなきゃ調べるし、その前にまず考える。
テレビ、家族を失い呆然としてる表情。
その意味が顔の近くまで来るようにわかって、もしそんな映像が地上波で流れたらチャンネルを変えてしまうぐらいだ。
もう大人になった?
いや、人間誰もが賢くなった子供だ。
毎年この時期になると少しばかりの募金をする。
「こんな小銭で誰が助かるんだろう?」そんな事は考えないようにしてる。
弔いってなんだろう。
オレはやっぱり言葉を紡いでいくことだと思うよ。
それは忘れないってことだと思う。
遠くにいながら感じた泥と磯の匂い、それがなんだったのか。
それはかつての太平洋戦争での痛み悲しみ、それを次の世代に託そうとする動きと似てる。
彼らはバトンを渡した。
生きてるやつはみんなバトンを持ってる。
「非力は無力とは違う、人には一人分の力がある」って誰かが言ってた。
「THE DAYS」
面白い、という訳ではなく「日本人が見た方が良いドラマ」そう思った。
バトンを受け取って、誰かに渡そう。
だって、ぼくら生きてるんだから。