日本の在り方

日本のあるべき姿とは?

国家誕生以来、多くの人が試行錯誤してきたこと。
今の日本に心から満足している国民、どれくらいいるのだろうか?
幸福度指数の低さなどを考慮しても、決して高い数値は望めない。

特に若い人は苦しい状況に置かれている人が多く、
私もそれを実感してきたのでよくわかる。

そんな明るい未来よりも、絶望感が強い日本に、
希望の光を差すべく、新しい提言をまとめてみた。
非難や批判は大歓迎。多くの人のご意見をお聞かせ願いたい。

●東西南北
4つの分類にわけて考えていく。

北=思想・哲学(心・精神の在り方)
西=政治(社会全般)
南=教育(アートとサイエンス含む)
東=経済(エンタメ含む)

●北
方位磁石でも赤い印があるように、
北が決まらないと他の方角も定まらない。

最も重要かつ根幹をなすものであり、
ここは「心」「精神」といった目に見えないもの。
その根本の思想、哲学、宗教といたことをテーマとする。

歴史を辿り、それぞれの研究をすることは専門家に任せる。
ここで私が述べたいのはシンプルで、誰もが理解でき、納得のできるもの。

そんなものこの世には存在しない!そう反論される方もいるかと思う。
ただ、アインシュタインが相対性理論を生み出す時、「光の速度は絶対」と決めたように、「絶対の基準」がないと、国にしても人にしても土台が定まらず、発展も進化もしない。

その絶対の基準となるようなものをどう定めるか。

日本国内でしか通じない「日本語」よりも、
世界共通の言語で示したほうが、
他の国に示す時にもわかりやすく、伝えやすい。

私は数字の「0(ゼロ)」を絶対の基準にしたいと思う。

このゼロの概念に関しては、多くの数理学者や科学者等も研究して、
いろいろと明らかにされてはいるが、
私はシンプルに、小学生でもわかるように定義したい。

数字の本質は「自由性」にあると言われている。

その中でも「0(ゼロ)」は最も自由があると私はあると思っている。
矛盾するが、不自由の中に最大の自由がある。

わかりやすいのが割り算の計算で、
0以外の数字を0で割ることはできず、答えは「なんにもない」ということになり、
逆に0を0で割ると「なんでもかんでもすべてあり」となり、無限の可能性をもつ。

つまり、意味がない、そもそも式が成り立たない「無」という性質と、
すべて成り立つ「無限の可能性」を秘めた矛盾した二面性を内包しているということ。

これは、すべてに当てはまる原理。

例えば、最新の物理学、量子論の光子の粒と波の二重性についても然り、人間においては肉体は有限だが、見えない精神を「0(ゼロ)」と考えれば、それは「無限の可能性」を秘めているし、見えないから「無い」ということもできる。

人生はパラレルワールドと言われたり、現実は「仮想世界」のように捉えられつつあるのも、実と虚のこの合間に私たちは生きている証拠ともいえる。

この「ゼロの概念」をちょっと応用すれば、すべての物事を「善悪」、つまり「-か+」に分けようとするのは相対的な価値であり、絶対の基準にはならないということがわかる。

また、絶対は「0(ゼロ)」だけで唯一無二であり、どんな物事にも「割り切れない」要素を含んでおり、また、捉えようによっては、どのような現象にも、無限の意味や価値を見出すこともできるということ。

これは別に私が考えたわけでも、生み出したわけでもなく、数学に詳しい人なら常識のことで、これを人生に応用せずに損している人があまりにも多い。

この絶対の基準を日本語に漢字にするなら、
「神」「零」「愛」の3つになると思っている。

0はすべての基準であり、始まり。

例えば、高さを測るにしても、
「0(ゼロ)」となる地面の基準がないと測れない。

人間も男女(±)が繋がる「愛」がないと、新しい生命は生まれない。

人類や万物、宇宙の起源は何にせよ、それを生み出した元がある。
それを「神」とし、多くの宗教が生まれている。

「0(ゼロ)」は日本語で「零」とも呼ぶ。
「れい」という音感は
「霊」「礼」「令」いった漢字にも繋がる。

人間は「霊」であること。
すべてに「礼」を尽くすこと。
神の「令」に従うということ。
こういう絶対的なものが大切だということがわかる。

ちなみに神の「令」というのは、
宗教の教えや決まり事を守れということではなく、
人類は誰しも「必ず死ぬ」というルールがある。

食べたら出す、仕事したら寝て身体を休める、
男女が交わらないと子供が生まれない、そういった「当たり前」のこと。

ルールは理(ことわり)。

この「理」のつく漢字を思い浮かべてもらいたい。
「道理」「摂理」「倫理」「物理」
こういった「理」の数々は絶対のルールを物語っている。

「神に祈る」といった宗教的な行動にしても、
人類の親である神に対して「断り(ことわり)」をいれるということ。

「理(ことわり)」は人間のような情状酌量の余地など持ち合わせておらず、
理(ことわり)に反するものはすべて拒絶する(断る)。

ついつい大好きな漢字の話をして脱せしてしまったが、
話を戻して、この「絶対的な基準」というものが、国家にしても国民にしても、
確りと共通認識してこそ、民国一体となって進化・発展していく。

〇日本独自の役割
「0(ゼロ)」という概念は世界共通であり、
日本だけでなく、地球全体に広めるべき根本原理。

次は、日本独自の視点を持つことの重要性を話したい。

その前に、これからは「国家」という枠組みを外して「地球連邦」として、地球を基準に世界が1つになっていく時代。それぞれ独自の文化や風習を壊すとか、言語や通貨を強制的に統一するというのではなく、それぞれの個を認めつつも、それを有機的に繋げていき、1つの地球連邦として存在すべく時代になってきていると思う。

そんな理想に向けて、日本独自の役割としては、「国旗」を見たり、日本の呼称として「日の丸」と言うのがあるように、「日の本(元)」、つまり太陽の国。すべての生命の元。

日々暮らしていく上で欠かすことのできないエネルギーの元。太陽のように平等に光輝き生命を活かす存在。「大和」という呼称からも、大きな和となって、対立関係の国々をまとめていく使命があることを感じる。

今の日本にはそんなパワーやエネルギーはないという人もいるかと思うが、それも考えよう次第。

戦後復興の日本人の底力をみれば、日本には世界に誇るべき精神がまだ残っているはず。新たにつくるのではなく、眠って隠れてしまったものを、呼び起こすだけのこと。

日本が世界を1つに繋げていく重要な使命を担っている。

〇法治国家

日本は法治国家ではなく「放置国家」になっている。
あらゆることが「放置(ほうち)」されていて、
特にさきほど述べて人間の根源や死生観、
最も大切なことを見失う方向に進んでいる。

「法律」というのは、先ほどの絶対的な基準、
「神」「零」「愛」といったものがないと破綻する。

自らつくった法で自らを苦しめ、より不自由にしていく。

本来ならば、「法律」というのは必要最低限でよく、
みんなが共通認識としてもっている「良心」を
わかりやすく文字でカタチにするだけでよく、
それを使って己の権力や権威を振りかざすなど、
愛に反する最低の行為。

これに気付かずに、その権力に屈している国民は、
そろぞろ目を覚まさないといけない。
いつまでも寝ていては、そのまま永遠の眠りについてしまう。

これからは法律を増やしたり、
面倒なこと、複雑でわかりにくいことに主眼を置くことせず、シンプルにわかりやすく、
法律も必要最低限に減らす方向を目指すべき。

●西

ここは主に政治(社会全般)のこと、
特に人間においては「健康」という面にフォーカスする。

北で人間は「霊的な存在」とか、見えない心・精神が
大事という話をしていたが、この肉体をもって地球上に住み、営みをすすめていく上では肉体も同様に大切なことは言うまでもない。

その肉体の健康と快適な暮らしを実現するためにも、政治、これは国単位じゃなく、地方でも同じで、「公」という役割が重要になってくる。

私個人の感想にはなるし、推測の域ではあるが、戦前、もしくは戦時中は、いきすぎた「公」の意識のため、「私」を失われ、個性もへったくれもない時代を過ごした。もちろん、今もそういった悪い面が残っているところが多くある。

ただ、戦後は米国の影響もあり、この「公」の精神が「私」の精神中心に置き換わってしまったように感じる。

大切なのは、この「公」と「私」のバランスであり、戦後は「私」に偏り過ぎてしまったように感じる。これは戦時中の偏った「公」への反動かもしれないが、それにしても無意識にあまりに偏り過ぎてしまっていた。

町をあるけば、自分勝手で「公」を完全に無視した「私」的な家が乱立している。マンションなどの集合住宅にしても、シェアする「公」共通施設がまだまだで、高級タワマンなどではジムなど設備が充実しているところもあるが、食や浴、はたまた睡眠まで共通させているとこなどない。

江戸時代の長屋にはメリットもデメリットもあった。

完全否定しなくてもよかったと思う。
個室に閉じこもり、人とのふれあいを極端に減らし、
デジタル空間ばかりに行ってしまうと、
本当の自分が何なのか、ますます迷路に彷徨い歩いてしまう。

「れいち」というマップに示したように、
食では人工より天然を。
住まいでは、窮屈より広々と。
衣では石油製品より、自然物を。

これが健康の秘訣。

運動と休息バランス。
日常と非日常の調和。
予防と対症といった療法の使い分け。

すべては「絶対基準」をベースにして、
選り分けていけば、人生も安定する。

●南
ここの教育の分野は私が最も力を入れたい分野。
北でもちらっとわかったと思いますが、
「教える」「伝える」「語る」ということに、
私自身の特徴と特技があるように思っている。

このような文筆も好きだが、
本来なら直接、全身から発する言葉で伝える方が、
人々には伝わるはず。

この南の基本方針は「れいち」が基準となるが、
とにかく、「思考」重視よりも「感覚」重視に切り替えないと、富士山の噴火や東海大地震が起きた時に、瞬時に判断する場面が迫った時に、右往左往しては人命の生死に関わってくる。いまから訓練しておくことに無駄はない。

●東
日本の「負」の象徴を読んでいただければ、
日本経済の負のスパイラル原因もわかるかと思います。

「れいち」で考えれば、
みな自分自身の肉体という会社を経営している意識はなく、神の職場で働いている従属の感覚もない。

創造と破壊が表裏一体であること。
お金を稼ぐには、よく最初に与えることとあるが、
その理由や原理の説明が乏しい。

れいちで捉えれば簡単なことで、
己の「利益」のためというモチベーションでは限界があり、これを「他のために」となると無限の広がりをもつ。

そうすると無限のやる気、モチベーションへと繋がり、他の人よりも圧倒的な活力が湧き出てくる。

これはビジネス成功だけのためではなく、人生全体を成功に導く原動力ともいえ、この「自他」の取り扱い、考え方を丁寧に教え伝え、みんなが理解していかないと、いつまでも悲惨な事件や無意味な戦争はおさまることなく続いていく。

小さな一歩でもかまわないから、
できること、やってみたいこと、
やれること、やるべきこと、
この矛盾の真理の中に自分の身を置いてこそ、
本当の力が発揮されてくるのだと思う。

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