アートの話をしていいですか?その2
私は小学生の時、「変」と言われていた。
一つのことにこだわって、葉っぱの脈を描き続けたり
髪を巻いて学校に投稿したり(パーマはかけていけないと注意された。いや、コテで巻いただけである。)
それがそのままここまで来てしまったような気がする。
よく、アーティストの人は
「個性が強い」とか「主張が激しい」といわれる。
何も言葉だけじゃなくても、それがファッションであったり
絵や音楽に現れてくる。
作品を生み出していると
「一体その個性はどこから生まれてくるのか?」と聞かれることがあった。
ありがたい。
私は至って普通なのだけれども。
でもひとつ言えるのだとしたら、
実は、その答えは明確に
「自分の内側の声に耳を傾けているか?」
に集約できると思っている。
私たちが世の中を生きていると、様々な情報がわんさかとある。
街の大広告看板、ディスプレイ、アナウンス、お店、雑誌、そしてインターネット。
それは無意識に頭の中に浸透して、
「あぁ、世の中って今こうなんだな。」と思い、些細な自分の決断に、影響を及ぼしている。
なぜなら、「判断をする」ことは、脳の労力を消費するからだ。
(それができなかったら広告の意味もないのだけど)
そんな情報過多の世界にいると、人は無意識のうちに自分がわからなくなるように、私は思う。
あまりにも多くのものが溢れすぎて、自分は本当は何を大切にしたいのかが、見えてこなくなる。
だからこそ、より意識的に「自分自身の内側の声に耳を傾けること」が必要になってくる。
特にアーティストなどの表現をベースにし、己が感じたことそのものが形になるような場合は、なおさら、他人からは学べても、結局は己の感覚を信じていくしかない。
では内側に耳を傾けるということは、具体的にどのようにすればいいのだろうか。
絵やまんがではなく、音楽でもなんでもいいが、
「この絵の前から足が動かなくなってしまった。」という経験をしたことはないだろうか?
そこに一点集中して、あとは何も考えられなくなるのだ。
私は、この心の動きに気がつくことが、「内側の声に耳を傾ける」こと認識している。
最初は気づくことが難しいかもしれないが、街中に出て行ったときなどに意識的に見ておくといい。
自分が何に目が止まるだろうかと。
普段は、次の予定ややるべきことを考えて歩いているかもしれないが、その時だけは
「今に在るようにする」
そうすることで、心の声が徐々に聞こえてくるようになるのだ。
この感覚を、アート作品に当てはめるとどうだろうか。
「内側の声に気がつく」という話をしたが、私の場合、作品を描くときは
その「内側の声に気がついたとき=心が動いたとき」のあの一瞬の映像を形に残すようにしている。
その時の一番適切な表現方法は何かを考え
時には絵画、立体、音楽
あるいはイラストかマンガになる。
ただ、今手元にある生み出せる技術を使って、その時の心が動いた瞬間を形にすることによって、それを共有できるようにしているという感覚。
一人の人間が心を動かされたことを、多くの人がそれを見ることが出来る。
時間や空間を超えて、
時代を超えて、それを伝えることが出来るというは面白い。
だから、アート作品は、1つのものに対しても、千差万別の意見がある。
よしという人もいれば、いやだという人もいる。
それがアートの本質であり、
もし、アート作品に
「あれ?何か気になるな?」と思うことがあったとしたら
それは自分の声の感覚であるから大事にしてほしい。
アートは描く側も、見る側も
「自分の内側の声に耳を傾ける」という点で、非常に良いツールなのではないかと思っている。
だからぜひ、一度静かなところで、じっくりとアートい向き合ってみると
自分の心にまっすぐになれると思う。
次回は
アーティストと呼ばれるが、実は世界はみんなアートでできているという話をしよと思う。
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