楽しいことが分からない
大学二年生の夏休み。あり得ないほどに長くて疲れる。学校のある時期は人といて疲れる。対して学校がないと逆に家に引きこもり、淡々とした毎日を過ごすこととなるのでそれはそれで気持ちが悪くなる。だからといってどこかに遊びにいくこともしない。一人でどこか行く気分になりもしなければわざわざ人を誘う労力も無い。これといった趣味もないので辛い。ただただ時間を溶かすように消費している今が怖い。将来、「あの時間に○○しとけばよかった」って後悔するのだろうな、って思うと怖い。今の体たらくな自分がめちゃくちゃ嫌だ。それに加えてバイトも決まらない。やりたい職種のバイトがなかなか決まらなくて、もうかれこれ一か月は探し続けてる。しんどいな~。そんな私頼りなさそうですか?そんな私だめですか?こんなに熱心で?やる気あって?長続きするのに?もう本当に溜息しか出ない。友達のいない私からすると、長期休みって強制的に独りになることで自分を見つめなおす期間と化してしまう。自分のいやなところとか、生きにくさを感じることとか、とにかく自分の性根をつきつけられる。自信のあるところ、自分の好きなところもあるけど、それは割と浅い次元の話で、もっともーっと深い次元では、私は私にまったく自信がない。自分という人間は、人間一人としてカウントされるほどじゃない、という気持ちが昔からある。それが全ての根源、私のルーツだと自覚している。服屋に行っても自分がこんな可愛い服着てもどうせ…というのを鏡を見ながら思っていた時期も(昔のことではあるが)あるし、自分ひとりで出かけることに価値を感じられず違和感しかにないのも、この自信の無さゆえなんだろうな~って思う。人を遊びに誘えないのも自分に自信がないから。コミュ障なのも自分に自信がないから。あと、自分がやってて一番楽しいことってなに?と聞かれても、最近はもう分からない。大学生になってから、暇をもて余すようになってから、特別楽しかった思い出もないし、自分のこと嫌いという気持ちが明確に形を成した感じがする。高校生の時は割と楽しく生きていけてたのに。自分の「今」が、自分らしくない、"妥当"じゃない感じがここ数年すごくする。でも今までの19年間振り返っても、100%自分が不満なく生きれた期間なんて存在しないから、私っていう人間が生きる適正がないだけなんだという結論に毎度帰着する。学生から中学生の期間は自分に対する自身の無さと対人関係の不満で生きづらかったし、高校生は牢獄みたいな進学校で洗脳されたように勉強させられて息が詰まっていたし、今は自分という人間を見つめなおすことができるようになったからこそ嫌な部分が正確に見えてきてしまった。いつの私も生きるの向いてない。あと何十年も私という人間の容器で生きていかなきゃいけないことが本当にうんざりだ。さっさと違う容器に取り換えてほしい。
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