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弱さの開示が苦手な父が、カウンセリングに向かうまで

私の父は、58歳のときにうつ病と診断されました。詳細はは書きませんが、長年つづけた営業職からの退任など職場における環境の変化が主な要因です。

病院に頼ることや母以外の人に助けを求めることが苦手な父ですが、うつ病と診断されてから2年、ようやくカウンセリングに通うことを決めました。

心療内科や精神科に通うことやカウンセリングを受けることは、日本では心理的ハードルが高いものとされています。

(あえてカテゴライズすると)特に、父のように長年家族の大黒柱という役割を担いながら、競争社会の中で生きてきた中年男性は、自分の話をすることや弱さを開示することに抵抗を感じる傾向があるそうです。

今回は、私が父にどんな説得を試みたのか、それがなぜいま届いたのか。その道のりを書いてみたいと思います。家族やパートナー、友人にカウンセリングを受けてほしいけど、説得が難しいと感じている方の力に少しでもなれるとうれしいです。

誕生日祝いのディナーで、母が泣いた

父にカウンセリングを受けてほしいと思ったのは、父本人ではなく、父を一番近くで支えてきた母との会話がきっかけでした。母の誕生日を祝うため、2人でディナーに出かけたときのことです。

薬での治療をつづけてきた父ですが、今年の夏はあまりに暑く気分の落ち込みが激しかったため、いつもよりも多く薬を服用していました。ある日、次の予約日よりも先に薬が切れてしまい、飲める薬がない状態が数日つづきました。

急に薬を断つことはおそらく体への負担があるのでしょう。父は「死にたくなるんだ」と母に話したそうです。

うつ病と診断された2年前よりは、父の症状ははるかに回復しています。しかし、こういったイレギュラーな出来事やたくさんの人に会うようなイベントごとの次の日などは、自分でも抑えられないほど「生きていても仕方がない」という思考に囚われてしまうそうです。

これまでは母が父の苦しみを受け止めようとしてきました。しかし、当然ながら、いくら強そうに見える母にもキャパシティの限界があります。

今思えば、母は2年以上前から「パパもつらいかもしれないけど、私もつらいんだ」と話してくれていました。それにもかかわらず、私も未熟だったゆえ、強い母なら大丈夫だろうと、適切なサポートができていなかったと反省しています。

そんな母が、父の昨今の症状の話をしながら、スーッと涙を流しました。その涙は母も泣いていることに気づいていないのではないかと思うくらい、あまりにも自然に流れていました。「このままでは母もマズいのでは」と直感的に感じ、私から父にカウンセリングを勧めてみることにしたのです。

家族の中の“聞く”の循環

合理主義かつ他人への自己開示が苦手な父に、どう説得すればカウンセリングを受ける気になってくれるか。父を責めるようなニュアンスにはしたくないと思い、「父の課題」ではなく、あくまで「家族の課題」であるという伝え方を意識しました。

その際に参考にしたのが、臨床心理士・東畑開人さんの著書『聞く技術 聞いてもらう技術』です。

ここからは、実際に父に説得をした際に使ったイラストで説明してみます。

「つらい気持ち」のパーセンテージはあくまでイメージです

父の「つらい気持ち」が100%に達したとき、母が父の話を聞くことでそのつらさの60%を肩代わりしたとします。すると、父の気持ちは少しだけ楽になったはずです。

そして、母が肩代わりしたつらさは、私が話を聞くことで20%の濃度に薄まります。そのあと、私もパートナーや友人に話を聞いてもらい、その濃度は限りなく0に近づいていく。これが私の家族の“聞く”の循環といえるでしょう。

しかし、残念ながら人生にはさまざまな不測の事態が生じます。

例えば、愛犬が突然の病気になったとします。すると、犬を愛してやまない母は父の話を聞くことができなくなるでしょう。また、私が何か不測の危機に陥った場合、私は母の話を聞くことができなくなります。“聞く”の循環は回らなくなるのです。

すると、誰にも話を聞いてもらえない父の「つらい気持ち」は上昇。もともと100%のつらい気持ちが、「誰にも聞いてもらえない」環境により200%、300%と膨れ上がってしまったら。最悪の場合、自死や自傷を防ぐための入院なども考えざるを得ないことになります。

そうならないためにも、“聞く”の循環の輪に入ってくれる第三者の存在は重要です。

もし仮に、父のつらい気持ちを60%カウンセラーさんが受け取ってくれたとしたら、母のつらさは30%、私のつらさは10%まで薄まります。これほど薄まっていれば、不測の事態が起きたとしても“聞く”の循環は小さいながらもキープできるかもしれません。

ここまで一通り父に話した上で、「いま、私からみるとママがつらそうに見える」と正直に伝えました。母はタフな人ではありますが、祖母の介護や日々仕事で起きる小さな問題など、父のこと以外にも考えなくてはいけないことやケアしなければならない存在がいます。いまは大丈夫に見えても、いつ何が起きるかなんてわかりません。

当たり前の話ではありますが、父にも母にも心身健康に、思う存分人生を楽しんでもらいたい。だから、何かが起きる前にいまできることをやっておこう、そう伝えました。

カウンセリングか認知行動療法か

併せて、心理療法にはさまざまな種類があることも伝えました。というのも、合理性を求める父にとってはエビデンスが重要であり、カウンセリングの紹介だけでは「話を聞いてもらうことにお金を出す価値があるのか」を懸念するだろうと思ったからです。

カール・ロジャーズによって提唱された「クライエント中心療法」を基としたカウンセリングは非常に効果が測りにくいものです。

一方、認知行動療法はうつ病の治療として定着してきており、薬物治療と併せて進めることで、薬だけよりも再発率が低下することがエビデンスとして明らかになっています。

もちろん、数字として結果が出やすいから「いい」、出にくいから「悪い」と言いたいわけではありません。それぞれにメリット・デメリット、向き・不向きがあります。

何より父が治療に前向きになれることが重要だと考え、「父に響きそう」という期待を込めて認知行動療法についても簡単に伝えました。

厚生労働省のサイトには認知行動療法とはどんなものか、わかりやすく記載されたマニュアルが掲載されています。
https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/kokoro/dl/04.pdf

厳密にいうと、精神分析、精神分析的アプローチ、ACTなどもっとたくさんの心理療法が存在しています。ただ、私が説明できないところもあるし、逆に話をややこしくしてしまいそうだったため、日本のうつ病に関する心理療法では代表的な、カウンセリングと認知行動療法の2つに絞って話しました。

こちらはそれぞれのいいところ、疑問が残るところをまとめて父に見せた表です。「あくまで父にとっていいか」の観点ですので、手法そのものの良し悪しを書いたものではありません。

例えば、認知行動療法はあらかじめプログラムが決まっており、およそ16回という短期間で終了します。ホームワーク等「やること」があるため、父のように自分の話をすることにハードルを感じる人にはとっつきやすいかもしれません。

一方、カウンセリングはプログラムに終わりがないぶん、いざというときにカウンセラーさんに頼れる環境をつくりやすいメリットがあります。「やること」が決まっていないぶん、じっくりと話を聞いてもらうことが可能です。

それぞれの「疑問」に関しては、「いいところ」の表裏一体といえます。例えば、認知行動療法は「やること」が決まっているため、じっくり話を聞いてもらえる時間は少なく、カウンセリングは終わりが設けられていないため、そのことが心理的・経済的負担になることも考えられます。

それぞれの良し悪しを洗い出したのち「あとはパパの好みだから」と、どちらを選ぶのか、どちらも受けるのか、またはどちらも受けないのかは父に委ねる、という形で私の説得はひとまず終了しました。

本人の意志が動くまで待つ

できる限りのことは伝えたつもりでしたが、母には響いていても、父にはどこか届いていない感覚を覚えました。というのも、説得を試みた日は父にとって「調子がいい日」だったからです。

うつ病の場合、調子がいいときは「薬をやめても大丈夫」など、自己判断してしまう傾向があります。父は「考えておく」と言いながら、「回復してきてる自分には必要ない」と心では思っていたのではないかと想像します。

「ゆっくり考えてみて」とリマインドをし、東畑開人さんの『なんでも見つかる夜に心だけが見つからない』という書籍を渡しました。カウンセリングとは何か、非常にわかりやすく書かれた本です。

そして、説得を試みてから約1ヶ月が経った頃、父から突然電話がありました。最近は長らく調子が良かった父に、またどうしようもなく気分が落ち込む夜がやってきたのです。

「調子が良くなると、カウンセリングなんて必要ないと思ってしまう。でも、またこうやって落ち込む日が来ると、自分にはまだ頼る先が必要なのだと実感した。だから、受けてみようと思う」

そんな内容でした。

これまでは母を介して父の症状を聞くことが多かったため、父から直接伝えてくれたのは今回が初めてでした。「誰かの助けを借りる練習をしないと、この先もきっと良くならないよ」と、母が背中を押してくれたそうです。

いちばん近くで支えてきた人の言葉の強さ

母は「パパは娘のいうことは聞くけど、私のいうことは聞かないから」と半ばあきれた表情を浮かべながら言っていました。でも、私が感じたのは、やっぱりいちばん近くで支えてきた人の説得は力があるということです。

私がどれだけ用意して、どれだけいい説明を試みたとしても、きっと母の協力がなくてはここまで至らなかっただろうと感じています。なるべく必要な情報は元気なときに伝えたうえで、あとは適切なタイミングで、適切な人が背中を押す。どの家族にも当てはまる方程式ではありませんが、これが父がカウンセリングに足が向くまでの道のりでした。

現時点では、いくつかのカウンセリングルームの候補の中から、初回に向けて準備を進めている最中です。ちなみに父は認知行動療法ではなく、カウンセリングを選びました。「やること」があることがプレッシャーになりそうだからと言っていました。

「どのカウンセリングルームなら信頼できそうか」「どんなカウンセラーさんを選ぶべきか」は、きっと多くの方が悩むところだと思いますので、話の続きもいつか書けたらいいなと思っています。

家族の関係性は変わっていく

最後に、私はいまの父、いまの家族が一番好きです。いつもピリピリしていたサラーリーマンの父はすっかり丸くなり、家庭を支える絶対的な存在に思えていた母はずっと前から助けが必要だったのです。

家族の関係性や見え方は、長い年月をかけて変わっていく。それが家族をつづけることの奇妙さであり、おもしろさなのかもしれません。

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