🇰🇭子供達に助けられた。アンコールワットへの道@ポイペト→シェムリアップ2005
2005年。私はタイのアランヤプラテートというカンボジア国境にいた。ポイペトである。陸路で国境を越えたい、という一心でカオサン通りでバスを予約し、ここまできた。
この写真はカンボジア側からタイを見た写真だと思われる。なぜなら、国境を越えた瞬間に舗装路は荒れ、車が左側通行から右側通行に切り替わったのを覚えているからだ。
若かった私は国境超えのインパクトがここまであるものとは思いもしなかった。
カンボジアに入国するなり、地面は真っ赤なラテライトを表出し、ほこりが舞い、地面にゴミが溢れた。
この写真はポイペトからシェムリアップ行きのバスを待っている停留場だ。
乗り込むのはファラン(欧米人)と幾人かのスレ切った日本人バックパッカーだった。
突然スコールがくると未舗装路はぬかるみ、ぐちゃぐちゃになった。
当時、アンコールワットへの陸路はまだまだ険しかった。(今は舗装されたとも聞くが、以降15年行ってないので今はどうなっているのか知らない)
これがシェムリアップを目指すバスだ。右ハンドル車で左通行。一般車両は国境を超えると見慣れない車が増えた。大概ヒュンダイ自動車だった。おそらくは左ハンドル車をそのまま使えるので都合が良かったのだろう。
バスは穴ぼこだらけの未舗装路を情けないほどの速度で走る事になる。8時間はかかるらしい。欧米人がざわついている。
途中で昼休憩だ、と全員下ろされた。
休憩場所はどこか?というと、ここだ、という。
小さな集落がそのままパーキングエリアを兼ねていた。
初めて見るクメール人達はタイ人に比べるとい、言い方はよくないかもしれないが野性味があった。「凄み」と言った方がしっくりくる。
私は怖がっていたのだ。油断していると何か盗まれるんじゃないか、とピリピリしていた覚えがある。
笑顔で話しかけられることも、微笑み返される事も少なく、国境を超えるだけでこうも違ってくることにとまどっていた。
集落で出された昼飯を食べ終わり、辺りを散歩していると、子供達が私について来て離れなかった。
当時200万画素のカシオのエクシリムS20で撮影した写真だ。彼らがいかに活発で明るかったがよく分かると思う。子供は動きが激しくてピントが合わない。
特に赤い服の子の眼が印象的だった。わかりにくいかもしれないが、濃いブルーだった。
彼らはずっと私につきまとっては、顔を覗き込んできた。こちらが彼らの顔を見ると、ケタケタと笑いながら逃げた。そしてまたそろりそろりと私に近づく。そしてまたキャッキャと笑いながら逃げた。それを繰り返していた。
そんなやり取りを集落の村人は見て微笑んでくれた。私の警戒心も溶けてきた。
今となってはこの集落の名前も分からない。彼らは今頃立派な大人になっているはずだ。
バスは悪路を走り抜けた。
スマホも携帯すら持ってなかった。
当時はまだインターネットカフェにお金を払って知人と連絡を取り合うのが一般的だった。
バンコクで分かれた友人の事を想った。
でも簡単に連絡は取れない。
そんな旅が出来た最後の頃だったと思う。
陽が落ちた。
バスは予定通り8時間かけてシェムリアップに到着した。
ゲストハウスにチェックインした。
暗い廊下だった。
さあ、明日はアンコールワットだ。
ーータケシ