悩む人間と悩まない人間

人は皆悩みがある。

「えー、○○ちゃん完全無欠じゃん。悩みなんて全然なさそ〜。あなたが羨ましいよー。私なんてコンプレックスの塊だもんー。」

そう、人はそれぞれ違う悩みを持つ。

だがそれらには程度の差がありすぎる。

「うわー、単位落としたー。しにたい。」

「5浪しましたが志望校に落ちました。私の唯一の人生の目標でした。遊ぶ時間も友達と話す時間も趣味も全部犠牲にしてきました。もう何も私には何も残っていません。しにたい。」

だとあまりにも違いがある。

ん?例えが悪いって?

いや違うんだ理解してくれ、前者が本当に悩みの種の一番の要因だと思い込んで当人が世界で一番不幸だと感じている人がいるのだ。無論誤りである。

そこで私は考えた。

 『注射の針で大泣きする子供』と、『出産の最中の妊婦』は『本人の痛みのベクトル』で測ったときの痛みレベルが等しいように、

『些細な悩みのみ持つ人間』と『自殺寸前の人間』は同じぐらい不幸だと思っているのか、と。

何故ならば、どちらも同じ人間だからだ。いくら感情の起伏の激しい者とそうでない者がいたとしても、その最大値が違うはずがない。

(、、、嘘だ!そんなの絶対嘘だ!この仮定は成り立たない。だって最大値が同じなら自殺をする人が存在世の中では、生涯のうちにみんな一度は自殺するもん。というか普通に考えて絶対ありえないもん!みんなが私ぐらい悩んでるわけないもん!みんな酒飲んだら嫌なこと全部忘れるでしょどうせ!私は飲んでる最中だってしにたいしにたいばっかり考えるもん!くそー!ずるい!どうせ私はネガティブ人間です!)

ということでこの世には悩み続ける者とある程度気楽に人生をエンジョイする二者に分けられるように思える。


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悩みというのは周囲の影響よりも自分の中での葛藤に思われる。

厭世観よりも自分への嫌悪感。未来への不安からくる過去に対する後悔。

悩むステップとしては以下。

何かやらかす(心当たりがある)→ 他者の反応や結果に怯える → それに対処できる自信がない → 行き詰まる

自分の今までの行為に全て自信が持てて正しいことをしたと感じられていたら納得が行き、自分の行為を正当化できただろう。つまり、軽度(一般的)な悩みの傾向としては

悩みの度合い = (自身の思う)やらかし度合い * (自身にとって)事の重大性

だがこれはまだいい方だ。しばらく時間が経てば何があったのかも忘れるだろう。だが時間が解決してくれない、どうしようもなく深刻な悩みというのも存在する。これに、今回想定している「悩む人」は陥りやすい。

 私は個人的に、人生とは時間の経過とともに失われていく将来の可能性と対峙し続けることによって精神を鍛えていく修行だと思っていた。

先ほどの悩みと違ってこちらは過去ではなく未来に由来する。生まれた時は無限の可能性があったはずなのに、成人する頃にはある程度その人の人生は決まっていて、その中で必死にもがかない限り選択肢は指数関数的に減ってゆく。そんな追い詰められた状況では、普段から人生の意味や将来の計画について熟考する者は、もう後が無いと感じることが多くなる。つまり重度の悩みは

悩みの度合い = 将来への期待 * 現状の出来

である。


考えすぎはよくないね。


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