英国コーンウォール公爵夫人、カミラ妃の家系について
日本ではなぜかカミラ夫人と呼ばれているコーンウォール公爵夫人。イギリスの王太子、プリンスオブウェールズ(Prince of Wales)、チャールズ殿下の妃殿下です。その息子のウィリアム王子の妃は、日本ではキャサリン妃と呼ばれていますが、イギリスでは、Duchess of Cambridge、ケンブリッジ公爵夫人と呼ばれています。Princess Catherineなどと呼んだりするメディアは皆無です。なぜ、メーガン=マークルに妃殿下の称号を付けて呼び(申し訳ないのだが、私はとても彼女を○○妃と呼ぶことが出来ない)、コーンウォール公爵夫人はカミラ夫人なのだろうか。この二人よりもカミラさんは王室の序列としても上(エリザベス女王、アン王女、アレクサンドラ王女、カミラ妃の順)のため、カミラ「夫人」などというのはどう考えても相応しくない呼称です。
カミラ妃の正式な称号は、Her Royal Highness The Princess of Wales and Countess of Chester, Duchess of Cornwall, Duchess of Rothesay, Countess of Carrick, Baroness of Renfrew, Lady of the Isles, Princess and Great Stewardess of Scotland. このため、私はカミラ妃と呼ぶことにしています。また、あのプリンセス・オブ・ウェールズ、イギリス王太子妃もカミラ妃が保持する称号の一つです。ダイアナさんの世間一般からの人気に配慮し、上記称号の中から、コーンウォール公爵夫人を選択し、これを一般に使っており、イギリスでは、カミラ妃は、Camilla, Duchess of Cornwall と呼ばれています。ちなみに、スコットランドではチャールズ皇太子がDuke of Rothesayと呼ばれるため、カミラ妃もDuchess of Rothesayであり、これは故ダイアナ元妃と同じ呼び方です。
また、カミラ妃は父方がスコットランド王、そして母方がチャールズ2世の血を引いています。見事な家系図になりました。ウィリアム王子、ハリー王子に恨みはないけれど、この二人の夫人とは比べるべくもなく、そして前王太子妃であるダイアナさん(Lady Diana Frances Spencer)と比べても、全く引けを取らないカミラ妃の家系のことを少し書いてみたいと思いました。
カミラ妃と言えば、イギリス国王エドワード7世の愛妾とされたアリス・ケッペルのひ孫である事が有名で、このことをもとに、カミラ夫人=国王の愛人の子孫であるというイメ―ジばかりが強調され、かたやダイアナさんについては、名門伯爵家の令嬢であるというイメージが固定されているようです。
しかしながら、カミラ妃のそのお血筋を調べてみると、実は、父方、母方共に、王様の血を引くいわゆる上流貴族の出身であることが一目瞭然なのです。父方はスコットランド王ロバート3世に連なり、母方は名門イングランド貴族の家系でチャールズ2世の直系子孫であり、プランタジネット朝のエドワード4世に連なります。ちなみに、ダイアナさんについては、スペンサー伯爵家の令嬢で、父方のこのスペンサー家はマールボロ公爵家のスペンサー=チャーチル家とも親戚であるきらびやかな名門貴族でこの父方の血筋を通じ、チャールズ2世に連なりますが、母のフランシス・バーク・ロシュ(Hon.Frances Burke-Roche) はファーモイ男爵令嬢で、ファーモイ男爵家はサンドリンガムのパークハウスという王室所有の家に住み、母のルース、レディ・ファーモイはエリザベス女王の母、クイーンマザーと仲が良く、彼女の侍女を務めており、イギリス王室と大変近い地位にはありましたが、血統としてはそれほど見るべきものはありません。
カミラ妃の曽祖母である前述のアリス・ケッペルに話を戻しますが、彼女は第4代ダントリース准男爵、ウィリアム・エドモンストーン(Admiral Sir William Edmonstone of Duntreath, 4th Baronet)の令嬢アリス・フレデリカ・エドモンストーン(Alice Frederica Edmonstone)として生まれ、第7代アルバーマール伯爵、ウィリアム・クーツ・ケッペル(William Coutts Keppel, 7th Earl of Albermarle)の令息ジョージ・ケッペル中佐(Lt.-Col. Hon.George Keppel )と結婚しました。アリスが結婚したジョージは伯爵家の息子とはいえ三男で、伯爵家の家督を継げないため、それほど裕福な生活は期待できませんでした。この時代、このように美貌を誇るが暮らし向きが今一つの貴族階級の夫人が、社交界に出入りし、地位のある男性と巡りあい公の愛人となることは、自らの旦那の立身出世を助けるためでもあり、珍しいことではありませんでした。そのため、結婚後、アリスは夫をせき立て、ロンドンへ移り住みました。
このアリスとジョージ・ケッペルの間の二女が後のアシュコーム男爵夫人ソニア・ローズマリー・ケッペル(Sonia Rosemary Keppel)であり、ソニアとと第3代アシュコーム男爵ローランド・カルバート・キュービット(Roland Calvert Cubitt, 3rd Baron Ashcobme)の間に生まれたのが、ロザリンド・モード・キュービット嬢(Hon.Rosalind Maud Cubitt)、カミラ妃の母親です。
このロザリンドとブルース・シャンド陸軍少佐(Major Bruce Middleton Hope Shand)の間に長女として生まれたのが、カミラ妃 (Camilla Rosemary Shand)です。
このケッペル家というのは名前があらわす通りオランダ系で、もともとは、ウィリアム(ウィレム)3世の右腕であったアーノルド・ファン・ケッペル(Arnold van Keppel)が1697年に軍功でアルバマール伯爵位を授けられたことに始まります。
家系図が示す通り、アーノルドの息子で第2代アルバ―マール伯爵ウィリアム・ケッペル(William Anne van Keppel, 2nd Earl of Albermarle) と結婚したのが、アン・レノックス、第1代リッチモンド公爵令嬢(Lady Anne Lennox)で、チャールズ2世の孫娘にあたります。チャールズ2世は正妃との間に子供が出来ませんでしたが、愛人たちとの間に10人以上の庶子がいてこの庶子を通じて、現代のイギリス貴族にはチャールズ2世の血を引く人たちが多くいます。カミラ妃の他にも、ダイアナさん、アンドリュー王子の元妃セーラ・ファーガソンさんもこのチャールズ2世の庶子の子孫です。セーラさんも名門貴族の末裔で、彼女の家系図もダイアナさんと同様大変華やかなものですが、これはまた別の機会に・・・。カミラ妃は、このアン・レノックスを通じ、チャールズ2世に連なります
第3代アルバ―マール伯爵ジョージ・ケッペル、チャールズ2世のひ孫です。
下記に参考資料として、カミラ妃の家系図を載せていますが、御覧のとおりスペンサー伯爵令嬢のダイアナさんにはご本人の爵位という意味では及びませんが、血統で言うと、負けず劣らず立派なものだと言えます。もし、カミラ妃の父親に爵位があり、例えば子爵令嬢であり、また年上でなければ(チャールズ殿下より1つ年上)、チャールズ殿下が優柔不断で、父上のフィリップ王配殿下に遠慮せず、カミラ妃に勇気をもってプロポーズしていれば、カミラさんは最初から皇太子妃になっていた可能性もあります。(ダイアナさんは、アンドリュー王子と小さい頃からの遊び友達、いわゆる幼馴染であり、この二人の方が気が合うと周囲からは見られていました。しかし、彼女はアンドリュー王子に全く興味がなく、皇太子妃になりたかったのだと言われています。王室の生贄になった被害者のように自らを語るダイアナ元妃でありますが、こうした彼女の意思を考えると、物事が少し違って見えてきます。もし、彼女が皇太子妃になっていなければダイアナフィーバーも起きなかったし、イギリス王室がここまで話題に上っていなかったかもしれませんが・・・)
とにかく、ここまで書いてきて、下記カミラ妃の家系図を見れば、彼女が上流貴族の出身であり、その社会で育ってきたことが分かるでしょう。ちなみに、チャールズ殿下がカミラ妃にプロポーズを伸ばして海軍の航海に出てしまった間に、カミラさんはアンドリュー・パーカーボウルズ氏と結婚してしまうのです。カミラさん25歳でした。
そして、このパーカーボウルズ氏も、カミラさんと同様、チャールズ2世の血を引く貴族階級の出身です。彼の祖母はアン・デラフォードというカトリック教徒で、大変裕福なデラフォード卿の娘です。彼はチャールズ皇太子のポロ友達であり、チャールズ皇太子は彼を通じてカミラさんと知り合いました。ちょっとした三角関係だったわけですね。少々付記しますと、このアンドリューさんも大変ハンサムで社交界の人気者でした。所謂Eligible Bachelorであった訳です。カミラさんも社交界の花で、とても人気があったことはご存じでしょうか。彼女はとても知的で賢く一緒にいて楽しい女性だと言われています。名門出身、人気者同士のご結婚でした。カミラさんの女学校時代の友人は、カミラさんはとても良い結婚をしたがっていたそうです。まさに理想通りの結婚をしたと言えるでしょう。
(参考資料)カミラ妃の家系図