火の神公園ー鹿児島県枕崎市

5年前の本日、2015/05/26に弾丸お墓参りした際にたち寄った🛫

この鎮魂碑は平成7年4月7日に建立、坊ノ岬沖海戦で第二艦隊(大和、矢矧、磯風、濱風、霞、朝霜)が沈没してからちょうど50年後のことだ。たまたま当時市長を務めていたのが父の従兄なのだが、既に故人のため、生前に、ちゃんとお話を聞いておけばと悔やまれる。6隻の沈没地点を示した石碑もあって、東シナ海を眺めながら、その空や海の青さ、穏やかさが対照的で涙した。

(ちなみに、この公園は、映画何とかの大和のロケ地にもなった。が、題と主題歌など、最初から最後まで違和感だらけ、なんじゃこりゃ感満載の駄作、というか愚作。こういうのが共感を得るのだろうか、いくら何でもひどすぎるだろう。伊藤長官を演じる渡哲也が渋い以外全く共感できないため、ここでは割愛いたします。)

なお、無用の長物だとか、アル〇メデスの何とかという映画で批判されている大和ですが、一言いいたい。それは見当はずれというものです。ワシントン海軍軍縮条約で対米英比5:3にされた日本が、質で対抗するため(そもそもこの制限がなくても、工業生産力がなかった日本が大量生産できたとは考えづらいですが)当時の技術の粋を集めて作った日本の最高傑作ともいえる船が大和です。技術の詳細は別の機会に譲りますが、簡単に言うと、全長約263メートル(ボーイング747 ジャンボ機4機分、甲子園のホームからバックスクリーンまでの距離の約2倍)、排水量(重量)約7万トン、最大速力は27ノット (時速約50キロ)、主砲の射程距離は約42,000メートル=42キロ!箱根駅伝の2区間、フルマラソンと同じ距離、主砲は直径46センチでその砲弾は1.6m(対空)と2m(対戦艦)、重さは約1.5トン(私の愛車saabちゃん1台がちょうど同じくらいの重量です。これが1万メートルを超える高さまで打ち上げられて、東京から厚木くらいの距離を飛んでいくのです・・・)

1905年に日本海海戦でバルチック艦隊を破った三笠がイギリス製で、その5年後に初の国産戦艦薩摩が竣工したことを思えば、そこから何と約30年で
この船を作り上げた日本の技術力の凄さがわかろうというもの。

当時は各国ともに巨大戦艦を競って作っており、航空戦と戦艦の利用とのコンビネーションが必要になった端境期にあって、空母・戦闘機の航空戦力にまで予算が回りきらず、その中でも零戦(海軍)と一式(陸軍)など陸海軍に分かれて飛行機を開発するという政策・戦略の不足にあり、決して大和という巨大戦艦が時代遅れだったせいではありません(実際に、アメリカは空母、航空機のみならず軍艦も建造し続けていた)。

惜しむらくは、この偉大な戦艦が、戦闘で活躍する機会のないまま最期を迎えたことでしょう。しかし、少なくとも、あのまま終戦となり、アメリカ軍に接収されて解体され、核実験の標的になるよりは良かったのかもしれない。

と、とめどなく考えていたらこんな時間になってしまった。寝る。

合掌。


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