検察官の定年延長について考える
今般の検察官の定年延長にかかる一連の騒ぎを見るにつけ、思い至ったことがある。
そうだ、統帥権の問題と似ている。この問題は、憲法上、軍部と内閣の権力構造が曖昧だったところから来ていた。統帥権自体は帝国憲法第11条に規定があったが、内容と範囲については明記されておらず、専ら慣習によっていたのだった。統帥権とは陸海軍の最高指揮権であり、大日本帝国憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」に明記のとおり天皇にあった。この統帥権は天皇大権として、内閣、議会から独立しており、具体的には、陸海軍の組織編制、人事、戦略の決定、出兵・撤兵、軍事作戦の立案、指揮命令などにかかるものだった。もちろん天皇自身がこれを行使することはなく、慣習として海軍軍令部、陸軍参謀本部がこれを輔弼して来たのである。
この範囲が問題で、有名なのが、ロンドン海軍軍縮会議の浜口雄幸内閣と海軍軍令部との争いである。大蔵省出身の浜口内閣としては軍縮は勿怪の幸いとして、勝手に合意して来てしまったことに、到底納得できない軍令部が統帥権干犯問題として激怒したのである。ここに軍部の暴走が始まったとして軍部がやり玉に挙げられるのだが、今回の検察局の人事の話も、基本的構造としては同じなのだろうと思う。
検事総長の人事のついて、国家公務員法には、官僚の任命権者は大臣にあると明確に書いてあるが、これにも不文律があり、お作法に違うと省庁側の反発にあうため、そこは忖度されて人事が決められていくのである。
ちなみに各省庁の幹部職員の人事については、内閣人事局(2014年5月設置)において、一元的に管理されている。ただ、ここでも省庁により不文律があり、お作法にたがうと官僚の猛反発にあうため、そこは忖度されて人事が決められていくのだ。
私は忖度という文化は決して悪いものではないと思う。トップダウンも悪くはないが、日本の文化として長く続いており、弊害もあれば長所もあり、これをなくしたところで、本質的な問題解決のベクトルにはかかわりがないのであれば、なくす必要もなかろうと思うのである。
きっと中での権力争いと様々な思惑が今回の黒川氏の事件には作用しているのだろう。
最期に、個人的な話で恐縮だが、検察官の皆さんは全国津々浦々の任地に赴き、2,3年たてば新たな任地で、日々業務にいそしまれている。何人か個人的なお知り合いもいるが、皆さん聡明で使命感に燃えた素晴らしい司法の担い手である。2年の定年延長が三権分立に何か影響を与えるとも思えないのである。むしろ、そんなことを考えるなんてとても失礼な話だと考えている。現政権への忖度云々なら、黒川氏一人でできる話でもないし、多分別の人間がトップになっても、検察という組織がやると決めたらやるのだろう。