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笑顔と命が咲いた日



ある日のWAKUWAKU GAKKO活動日、活動が終わったら話があるとパートナーのわかなからのメッセージが入った。その日はマリンユースセンターでの活動(全力でバスケやドッチボール🏀)
ヘトヘトの俺を車で迎えにきたわかなが駆け寄ってくる。俺は色々考えたけど思い当たる話はなくて、何か詐欺や事件に巻き込まれたか心配してた。

↓写真は別日のもの


『どうしたん?話あるだけ言われたら活動中ずっと気になってしゃあないんやけど。大丈夫?』

『妊娠してるかも。』

?!?!?!

俺は一瞬で世界がひっくり返った。歓喜!!!!
俺の精子がわかなの卵子に到達した?!?!
核融合、宇宙の神秘、新たな命の誕生。

家に帰って妊娠検査薬を2回した。
しっかりと陽性反応。
産婦人科に行き、エコー写真を観る。

3mmの身体に2mmの心臓があるらしい。


それから俺の生活はガラッと

変わることはなく、まだ安定期じゃないからと人にも話せない悶々とした日々を過ごした。

数人に話したがそれが噂になり、『俺報告されてない』という不満を言われてることを知ってナイーブになったり、それでも噂を聞いておめでとうと言ってくれる人達に愛されて一喜一憂した。


結婚制度に対して不必要やろうと思っていた俺ら二人は籍を入れようが入れまいがどっちでも良かったので、わかなのファミリーの期待に応えるために籍を入れた。今では家族3人鶴林を名乗れることに俺は喜びを感じる。令和6年6月6日、悪魔の数字とも言われる666の日に籍を入れた。悪魔は知らんけど3の倍数が好きやし物忘れ激しめやから覚えやすくて最高。その日からお腹の子をミロクと呼ぶ事になった。


Antonio standにて


名字なんて記号やと思っていた頃もあったが、聖徳太子が建てた鶴林寺にウインクしているバイブス高めの仏像があるのを知ってから愛着が湧いた。遺伝子のことについて詳しくないけど、Y染色体を男が引き継いでいくことを思うと苗字が記号としてある事にも意味があると思う。

そういえばわかなのお腹の中にいる子は男の子かな?女の子かな?

正直どっちにしても愛の塊である事には変わりないが、男の子の方が楽かな。怪我しながら成長していくWAKU2の仲間達を見てるとそう思えた。女の子だったら心配だ。俺が溺愛しすぎて骨抜きになってしまわないかな。

性別はなかなか教えてくれない焦らし上手のミロク。
『今月の検診でわかるよ。』
『まだわからなかった。』
を再三繰り返され、ようやく分かった性別は女の子。

いや、ほんまにどっちやってもMAX喜んだと思う。
そんな2択この世に存在する?

胎盤に顔を押し付けるミロク


そしてここからが本当に書きたかったこと。
俺たちは出来るだけ自然に近いお産をしたいと強く願っていた。今までの経験から西洋医学の在り方に不満があったし、今まで人類は科学も何もない時代から命を繋いできている。他の動物達はそれを当たり前にやっている。出来ることならば自宅で産みたい。

と思っていたが、自然なお産をお手伝いしてくれる助産院という存在を知った。逆に今まで知らなかったのが無知なんだと今は思うが、自宅で産んだ経験がある人が自宅よりも良かったよと勧めてくれた『くにさだ助産院』に足を運んだ。

尾道から高速道路で約40分。岡山県笠岡市にある助産院。何故そんなに遠くまで行ったのかというと、助産院でお産をするにはいくつかの条件が必要で、その一つが緊急時に受け入れてくれる病院が必要だということ。僕らが住む尾道には数年前まで助産院の患者さんを受け入れてくれる病院は存在したが、今は受け入れてくれしてくれる病院はもうない。助産院が活動できないのだ。

一般道で1時間と少しかけてくにさだ助産院に到着。そこには病院のイメージとはかけはなれた、きれいな一軒家が建っていた。
ピンポーン。お邪魔します。
玄関で靴を脱いで家に上がる。まるで親戚の家に来たような感じ。どうぞーって座布団の上に座らせてもらう。
『よー来てくれたなあ。遠かったじゃろう。』
と優しく丁寧に話を聞いてくれる叔母ような国貞さん。初診で産婦人科での冷たい対応と雲泥の差。ここで産もうとすぐに決まった。
『ここで産むけえなあ。』
と案内されたのは布団が一枚敷いてあるだけの部屋。
当たり前だがこれで事足りるのだ。病院のように分娩台に乗せられて仰向けで股を開き足をロックされビカビカに照らされるような産み方は何の拷問だよって思う。助産院では仰向けで産むことは殆どない。横向きか四つん這い。
毎月の検診はテルミー療法でわかなの全身を和らげてくれる。ミロクはエコーではなくわかなのお腹を触診して、ここに頭があってここに足があって、と助産師さん達は教えてくれる。逆子もひっくり返したりできるらしい。

そんなこんなで毎月くにさだ助産院に通い、くにさださんにお産について教えてもらったり、妊婦の会という場でくにさだ助産院に通う妊婦さん達と交流する会があったり、わかな主催の映画鑑賞会で『1%の風景』という助産院のドキュメンタリー映画を観たりして、自然なお産について少しずつ知っていった。

たくさんの妄想、不安、期待、未来に関する様々なシュミレーションを重ねた日々。産まれたら胎盤を食べながら一杯やりたいなあ。俺より先に死んじゃったらどうしよう。生まれる前から死ぬ事まで不安になったりしたが、ほとんどは大きな期待、愛。
俺は今でも母の胎内の景色を覚えている。俺は景色だけやけど、胎児記憶は本当に神秘的で精子の時からの記憶がある子の話を読んだりしたこともある。ミロクにちゃんと覚えててよって何度かお願いしたからまたいつか聞かせてくれるだろう。本当にたくさんの妄想をした。WAKU2の仲間達にも沢山話したし、俺の夢の中では何度も産まれている。4歳になるまでずっと遊ぶ長い長い夢も見た。宇宙の神秘を感じさせられる日々だった。

そんなこんなで予定日の2週間前、WAKU2が冬休みに入った次の日、俺が陣痛が来る夢を見たその日に破水した。このタイミングしか休みはなかった。予定日は3学期初日。ミロク、狙ってきたな?
最初は破水とは思わず、朝から透明のおりものが出たと言うわかな。その日はたまたま?くにさだ助産院での検診の日、笠岡まで行き検診の際に朝のことを伝えてリトマス試験紙で破水か調べることに。結果は陰性。破水じゃないねーということで帰って「串天いっぱい」で晩御飯を食べる。家に着いたのは21時ごろ、トイレから出てきたわかなが『リトマス試験紙陽性なんやけど!』くにさださんに電話して助産院に行く事に。

破水する事で胎児は初めての外界に触れて時間が経てば経つほど感染症の危険性が高くなる。破水後24時間以内に陣痛が来ないと病院に行かないといけないということ。でも大丈夫絶対来るよと言われ、その日は陣痛待ちでくにさだ助産院に入院。入院というかお泊まりのような感じ。
いつ陣痛が来ても落ち着いていられる安心した雰囲気。期待を胸に眠りにつけるはずもなく、スヤスヤ眠るわかなの隣で目がギンギンの俺。
結局朝まで陣痛は来ない。陣痛を促進するツボを押してもらったり、足湯したり、散歩してみたりするが陣痛が訪れない事に少しずつ不安になる。
受け入れ先の市民病院と連絡をとり、なんだかんだで猶予は伸びて明日朝9時までに陣痛が来なければ病院に来てくださいとのこと。
一度家に帰ったらリフレッシュして陣痛が来るかなと言われ、くにさださんに紹介してもらった「和来堂はり灸治療院」にいき、陣痛促進の鍼とお灸を据えてもらった。熟練の職人のような鍼灸師さん。本当に心が暖かくなる対応で安心して家路につく。

陣痛を促進するツボ

途中、晩ごはんに破水した妊婦を連れて「お食事処ごんべ」で定食を食す。洗練された味に癒され体力をつけて家に帰る。
不安が募る中、WAKU2スタッフのももちゃんと、ももちゃんちにお泊まりしていたWAKU2ガールズが応援に駆けつけてくれた。返ってきた日常。本当に本当に安心した。愛。

俺の肩に立つ為の行列


ミラーボール講座

助産院→串カツ→助産院→定食屋
の怒涛の往復に疲れ果てた2人、いや3人。
明日の→助産院に向けて自宅のベッドで眠りにつく。ベッドの中でたくさん頭を過ぎる不安。わかなとミロクの無事を祈り眠る事しかできない俺。
前日寝れてないので明日に備えてしっかり寝る。

朝になっても陣痛は来ない。とりあえず8時頃にくにさだ助産院に行き、陣痛促進。それでも陣痛は来ないまま、9時を迎えた。

くにさだ助産院の助産師なみさんと一緒に福山市民病院へ。移動の30分で陣痛が始まる!すぐに引き返したい気持ち!とりあえず市民病院で診察を受ける。産婦人科の先生は思っていたよりも優しく寄り添ってくれた。
『助産院で産みたいよね。陣痛もきてるし血液検査して感染症の疑いがないかだけ確認して可能ならば助産院に戻りましょう。』
助産院に戻れる可能性を信じ安堵する。

安心は束の間、血液検査と内診の結果ミロクが弱っている。血液検査の結果を見てそれがどういう状態かなんてド素人の俺たちにはわからない。が、なみさんが付き添ってくれていて、なみさんと病院の先生の意見が一致した。
万が一の場合、助産院から市民病院に救急車で搬送される事になる。出産から病院搬送までの時間を考えると病院で産むのが安心だと。

少し迷いはあった。病院で産むということはわかなは陣痛促進剤を点滴し、分娩台に運ばれて知らない人たちに囲まれて、出てきた赤子を暗闇からスポットライトのような強い光に当てて、へその緒を切る儀式は有無を言わさず看護師さんが速攻で切る。大事な栄養を持つ胎盤との繋がりは遮断され、赤子の片割れである胎盤は医療廃棄物として処分される。他の哺乳類は皆、母体が胎盤を食し、エネルギーを補給するのに。

その時いたおばちゃん看護師さんが
『赤ちゃんの事を想うなら、、、』
うるせえ俺ら以上にミロクのこと考えてる奴がいるかよ。

色んなデメリットが頭を過ぎるが、背に腹はかえられない。親身になってくれる先生となみさんを信じて病院で産む事を決意する。ここから先はわかなに不安をみせないと心に決めて、いざ陣痛室へ。

お腹に心拍やおなかの張りがわかる装置をつける。
それを見ながら看護師さんはわかなに『陣痛来てる?』と声をかける。その人は終始その装置の事ばかりに気を取られわかなに寄り添う事はない。
促進剤による過度な激痛に耐えるわかなは横向きの方が陣痛が楽だが、装置がズレるという理由で仰向けに戻される。
俺がわかなに『うつ伏せのほうが良い?』と聞くと、やってみたいという事でうつ伏せになる事に。リクライニングできるベッドを
『フラットに戻さないとね。』
と言うと部屋に入ってきた主任看護師さんが、
『旦那さんもういいですから!!
 ありがとうございました!!』
といきなり捲し立てる。
『ありがとうございましたってどう言う事ですか?』
わかなを不安にさせないようにできるだけ冷静に話がしたい。わかなに寄り添えるのは俺しかいない。
『私たちの仕事なのでもう大丈夫です。』
この看護師は何にイライラしていて、俺の言動の何を制圧したいのか分からない。
まあいいや。この人は仕事に疲れてんだな。
俺は変わらずわかなに寄り添う。

陣痛を耐える母わかな


WAKU2ガールズからの応援ビデオレター📣


この調子だとあと4時間ほどですかね。
と内診に来た先生が言う。
陣痛で苦しむわかな。これがあと4時間も続くのかと、、絶望したがわかなはそこから1時間半後、『もう出てるもう出てる!』と看護師さんをアタフタさせる巻きっぷりを魅せた。

急いで分娩室に移動する。
バタバタ用意する看護師さん。
『〇〇さんが電話でないー!』
『電源切れてんのかなー?』
とヘラヘラしている看護師さん。
『もう出てきちゃうー!押さえとくねー!』
出てこようとするミロクを制止する。
なんだこれ??

『もう頭出てきてるよー!』
『おおお!みせてください!』
『いや、見ない方がいいよ!』
『え?なんでですか?』
『えー?まあ奥さんがいいなら』
『いい?』『いいよ?』
頭が出てきてる!!ミロクー!!

結局その電話の相手は来ないまま、先生と看護師さん3人に囲まれて、会陰を切られて看護師さんに引っ張り出されるミロク。

2024年12月27日17時40分
ミロク、爆誕。

その後気がつけば看護師さんは1人になり掃除している。お股全開で放置されたわかなは顔が真っ青になり、ガクガク震え出した。急いで俺がタオルや上着をかけた。熱は42度まで上がり弱っている。わかなを不安にさせないよう出来るだけ冷静を装ったがわかなが死んだらどうしようと本当に不安だった。30分ほどして落ち着いたが、病院の対応は本当にあれでよかったのか。

ミロクを取り上げてくれた看護師さんは俺のひとつ下の歳。この子が唯一俺たちの感覚を否定せず、寄り添ってくれた看護師さんだった。
持っていったカメラで写真撮らせてくれたり、撮ってくれたり。
こういう人が助産院に転院するんだろうなと思った。

ただ、誰も悪ではなく、それが当たり前の世界。それしか知らないという世界。俺も知らない事だらけのこの世界。
何が良いとか悪いの話ではなく、何が自分に都合良く何が自分に都合悪いかという世界。
俺らにとって病院というシステムは都合悪い事ばかり。ノックもせずに病室に入ってくる看護師さん、ミルクは赤ちゃんが飲みたい時ではなく、決まった時間に飲ませなければならないシステム。面会は10分⁈守らなくても全然大丈夫やったけど。出産の次の日、入院1日目のおやつがスーパーカップ、バニラアイスだった時は都合が悪すぎてそれに誰も疑問を持たない病院の環境に怒りを覚えた。

病院食
1月1日、わかなにとってのお節料理
病院食、祝い御膳。
看護師さんに美味しくないでしょって言われたらしい。笑

その後市民病院を退院して、くにさだ助産院で一泊して母乳のあげ方や今後の過ごし方について詳しく教わった。ご飯は俺の分も作ってくれて本当に丁寧で繊細な味。めちゃくちゃ美味しく、栄養バランス抜群。住みたい。


たくさん市民病院での不満を並べたけれど、エコーやレントゲンを撮って目に見えない所を可視化する技術は凄い。あと陣痛促進剤を服用しなければミロクとわかなはもしかしたら無事じゃ済まなかったかもしれない。人類の叡智、科学と、寄り添ってくれた先生と看護師さんの2人に大大大感謝。
そしてなによりミロクの誕生をずっと支えてくれたWAKU2の仲間達、くにさだ助産院の助産師さん達、尾道に住む仲間達、ここまで俺を育ててくれた人生で出逢った全ての人たち、そして俺を産んでくれた両親、先祖様。本当に本当に有難う。

我が子の名は
鶴林 咲(さく)
たくさんの笑顔が咲きますように。

病院でたくさん線に繋がれ
酸素ケースの中に入れられる咲。
早く抱きしめたかった。
眠る咲。
にゃん
ポケモンみたいな咲
弥勒菩薩を彷彿とさせる咲

ここに生き物として生まれた時からの仕事、
『繁殖』完了。

今は咲ちゃん生後3週間。
ミルクは飲まず、母乳だけでしっかり成長してる。俺も飲んでみたいけど咲ちゃんの分だと思ったらなかなか手が出せずにいる。
紙オムツは使わず布オムツでしっかりお漏らししている。洗濯は大変やけど紙オムツはゴミになるし、お股冷やして良くないと聞く。
育児は大変やけどわかなと2人で協力しながらやって、家にご飯を差し入れして頂いたりWAKU2の日はお弁当を作ってきてくれたりたくさんの人に支えられて生きている。


新しい命を繋ぐことだけが俺の役割だと思っていた人生やったけど、その先にまだまだ役目があるみたい。

『こどもの仕事は遊ぶ事、おとなの仕事はこどもに遊び方の手本を見せる事。つまりずっとやってて良いのさ同じ事。』ページ2 by ARARE

長くなったがこれを何故書いたのかというと、病院の悪口を言いたいわけではなく、くにさだ助産院が素晴らしかった事を伝えたかったのと助産院という存在を知らないまま産婦人科を選んでる人が大多数だから。もしこれから人類繁栄の為に命を繋ぐ人たちがいるならば一度助産院を視野に入れてほしいと思ったから。

助産院でのお産は全国で1%しかないらしい。

俺たちは第一子はやむ無く市民病院でのお産になったが、後悔はない。知り得る限りの最善を尽くした結果無事に我が子を抱くことができた。
もしも第二子が誕生したならばまたくにさだ助産院でのお産を望みお産に臨むだろう。
助産院といってもたくさんあるし、俺が知ってるのはくにさだ助産院だけなので全ての助産院がいいとも言えないし病院だって様々ある。命をこの世に宿したならば最善のお産をする事が本当に幸せな子育てをする第一歩だと思ったので色んな道を知った上で自分たちの意思で決められればと思い、今ここにnoteを初めて投稿しました。
誰かに届くと良いな。

そして限りある命をみんな大切に。
この世に産まれた時、誰1人悪いものはいない。
みんながみんなを想いやる心を育てれば、これから産まれてくる人類は皆、愛を育んで行くでしょう。

人類の明るい未来に弥栄。
らぶあんどぴーす。

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