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短編映画『ボトルジョージ』を観にいってきた。

――抜け出そうと思っても抜けられない。ボトルネックにつっかえて、再び酒に飲まれて、下り坂を転がり落ちていくだけ。このあたりのモチーフとテーマの掛け合わせが絶妙だなと思いました。


人生は物語。
どうも横山黎です。

作家として本を書いたり、木の家ゲストハウスのマネージャーをしたり、「Dream Dream Dream」という番組でラジオパーソナリティーとして活動したりしています。

今回は「短編映画『ボトルジョージ』を観にいってきた。」というテーマで話していこうと思います。


🏨映画『ボトルジョージ』を観てきた!

昨日、東京五反田にある「スナックCandy」に行ってきました。そこで上映されている短編映画『ボトルジョージ』を観るためです。

『ボトルジョージ』とは、キングコングの西野亮廣さんが原作、トンコハウスの堤大介さんが監督を務めたコマ撮り短編アニメーション映画です。人形を動かしながら1枚ずつ写真を撮っていって、それをつなぎあわせて映像にしたのです。

物語のテーマは「依存症」と「家族」。酒に依存する父親と、その父親を持つ家族を描いています。主な登場人物はアルコール依存症の父親、その娘、猫、そして、ボトルの中に入った毛虫です。その4者を描いた13分の映画なのです。

どうしてその映画を見にいくのにスナックに行っているんだ、って疑問に思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、実は今、『ボトルジョージ』が観られるのはそのスナックだけなんです。いつもはスナックとして営業している「スナックCandy」が、夕方1820分から19:00まで「ボトルジョージシアター」として機能しているのです。115名限定で。

19:00以降はスナックとして機能するので、『ボトルジョージ』を観た15人とスナックのママとでお酒を飲みながら映画の感想を共有したり、西野さんの物語について語ったり、次会う約束を交わしたりするんです。

スナックで過ごした時間は魔法のような輝きを持っていて、これはこれでひとつの記事が書けちゃうんですが、今回は『ボトルジョージ』の映画に焦点を絞って語っていこうと思います。


🏨「依存症」と「家族」

依存症は、病気です。依存症の本人による自己責任ではなく、歴とした病なのです。抜け出そうとしても抜け出せない蟻地獄のような日々をひとり孤独に過ごしているのです。

そこに家族をはじめ身近な人が手を伸ばそうとしても、それを感覚的に追い払ってしまうのが恐ろしいことで、誰かに言われてやめたくてもやめられない状態に陥ってしまうのです。

『ボトルジョージ』でもそれが描かれていました。

アルコール依存症の父親が娘に寄り添おうとする姿も、酒におぼれて横暴な父親を複雑な眼差しで見守る娘の姿も、どちらも描かれていました。

ボトルネックという言葉があるように、ボトル(酒)によって自分の身体も、家族とのコミュニケーションも全部停滞してしまっていて、全てが悪くなる一方なのです。酒に溺れた父親にどう接すればいいのか分からないまま、娘は何もできないでいます。

ここから先はネタバレを含みますのでご注意ください。


🏨ボトルネックと下り坂

物語終盤、初めて父親の顔が映し出されます。そこで僕らは気付くのです、ボトルに入っていた毛虫のジョージは、アルコール依存症の父親であったのだと。

僕がいちばんお気に入りのシーンは、娘が眠っているときにボトルに入ったジョージがボトル越しに娘の顔に触れようとする場面です。ボトルは窓辺に置かれていて、ベッドとは距離があるんですが、ジョージのアングルのシーンなので、遠近法の関係で娘の顔を撫でているように見えるんですよね。

このあたりに、アルコール依存症の人間が家族に迷惑をかけていることに対する罪悪感や、本当はやめたいのだけれどやめられないもどかしさのようなものが繊細に描かれているなあと思うんです。

このシーンの後、ジョージは思い立って、ボトルの中から抜け出そうとします。しかし、抜け出そうとした矢先、ボトルが窓から落っこちてしまって、坂を転がり落ちてしまうのです。

抜け出そうと思っても抜けられない。ボトルネックにつっかえて、再び酒に飲まれて、下り坂を転がり落ちていくだけ。このあたりのモチーフとテーマの掛け合わせが絶妙だなと思いました。

転がるボトルをどうにか止めたのは、ジョージの意志、ではなく、猫でした。もちろんジョージには意志がありました。だからこそボトルから抜け出そうとしたわけですし。でも、依存症は意志だけでどうにかなるものではないんですよね。ひとりで解決できることはなく、誰かの手を借りないと坂を上ることもできないんです。

その後、猫の手も借りながら、ジョージはどうにかボトルを割ることができます。自分の身体を支配していたボトルから抜け出すことができたのです。アルコール依存症から完全に抜け出した様子は描かれなかったから、完全なるハッピーエンドだったわけではないけれども、淡く小さな希望が余韻となって残るラストシーンだなと振り返っています。

この映画を観て、こうして記事を書いていくうちに、自分が経験してきたことがいろいろと溢れてきました。長くなりそうなので、次の記事に回そうと思います。最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

20241107 横山黎


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